負けられない理由
「さて、あまり時間を掛けているとティオ君が回復してしまうだろうし……面白くなってきたところだけど、さっさと終わらさせてもらうよ」
ゼノスがその発する気を一段深めながら宣言する。
ともすれば死刑宣告と言えるそれに対して、フィアは笑みを浮かべた。
「なるほど。思いのほか、余裕が無いみたいですね」
「……なんのことかな?」
フィアの言葉によってゼノスの歩みが止まる。フィアを睨めつけるその目には、探るような光が灯っていた。
「速過ぎたでのですよ、先程のあなたは。最初の……ティオさんに傷を負わせた時のあなたは。それと比べれば、今のあなたの動きは遅すぎるのです。ティオさんの一撃がよほど堪えましたか?」
そう、ミラとの距離を一瞬で詰め、ティオに致命傷を負わせたあの時。もはや人間とは思えない速さだった。ティオが全力の身体強化をしても、ミラを庇うのが精一杯だったのだ。
それが今はどうだろうか。確かに速いが、眼で追える。対処が出来る。まともに戦えているその事実が、ゼノスの不調を示していた。
「…………」
ゼノスは答えず、ただ佇んでフィアを睨めつける。
その態度が答えだ。
「今のあなた程度になら、私でもなんとかなりそうなのです」
フィアは口元に笑みを浮かべながら、ゼノスを煽り続ける。
「あなたもそれは解かっている筈です。それなのにあまり強そうなことを言うと、弱く見えるですよ。いえ、そんな虚勢を張らざるを得ないほど、余裕がないのですか」
「……あまり、舐めてくれるなよ」
ゆらり。ゼノスの体が揺れる。
次の瞬間、ゼノスの姿が消えたかと思うほど、高速で地を蹴った。
「っ!」
その速度は、ティオに傷を負わせた時の速度と比べても遜色はない。
瞬時にフィアとの距離を詰めたゼノスは、速度を落とさず豪速のまま、フィアに向けて剣を振り抜いた。
剣閃が宙を薙ぐ。
だがそこに、フィアはいなかった。
「野生では冷静を欠いた生き物から死んでいくのですよ」
いつの間にそこにいたのか。
フィアはゼノスの一撃を避け、ゼノスの側面にいた。がら空きの身体に向けて、予め込めていた魔素で特大の風弾を形成しながら。
ゼノスの動きを読み、剣筋を読み、不意を衝かれたふりまでしてゼノスの側面を奪った。冷静さを欠いて真っ直ぐに迫ってきたゼノスの、その裏をかいたフィアの大博打。
それは必勝の間合いであり、決着の一手。これでゼノスに致命傷か、或いは致命的な一撃を与え、勝利を決定付ける一撃。
そのはず……だった。
「――知ってるさ」
ゼノスの眼はしっかりとフィアを捉えていた。
そして捉えていたのは眼だけでない。フィアがゼノスの攻撃を避けるために意識を集中させていたのは剣を持つ右手だ。それとは逆、無警戒だった左手がフィアと同じように風を纏い、まるでそこにいるのを解かっていたかの様にフィアに狙いを定めていた。
「――ッ!!」
演技でなく、今度こそフィアは眼を見開く。
そしてゼノスの魔術が無情にも解き放たれた。
「スパイクショット」
――ドッ
鮮血が舞う。
呪文詠唱を省略して即時発動したゼノスの魔術は、小さいながらも針の様に鋭い風の弾丸を生み、フィアの胸を貫いた。
「ぁ……」
僅かな、声にならない声を漏らし、フィアの膝から力が抜けた。
「……へぇ? あそこから咄嗟に急所を避けたのか。まったく、野性的勘というものはほとほと厄介なものだね」
ゼノスが眼下でへたり込むフィアを見下ろす。
「そうそう、さっきの君の洞察だけどね? 半分は正しいよ。実際、ティオ君から受けたダメージが大きくてまともに動けやしない」
言いながら、ちらりとティオに視線を投げる。
ティオはその視線を受けても、ただゼノスを睨みつけるだけだった。
「……動けないのか動かないのか。まあいいさ、どちらにせよあそこからじゃ間に合わないしね」
再びフィアに視線を向ける。その眼は決着を確信していた。
「お疲れ様、子猫ちゃん。最期は経験の差だったね。一つ助言をするなら、挑発が露骨過ぎる。生まれ変わりなんてものがあったら、次はもっとうまくやるといい」
ゼノスは剣を構えながら囁く。
フィアの挑発も、その目的も、ゼノスははっきりと気付いていた。フィアとは対人戦の場数が違うのだ。
気付いてしまえば簡単だった。わざと挑発に乗った振りをしてフィアの一挙手一投足を注視すればいい。経験の浅いフィアにそれを誤魔化す技術など無いのは当然だった。
「…………のです」
「……?」
ゼノスは耳に僅かに届いた声に首を傾げる。
「子猫じゃ、ないのです……! 私は――」
「じゃあね」
子供の戯言になど、興味はない。そう意志を込めて、ゼノスは剣を振り翳した、その瞬間――
「なっ!?」
フィアが強い光に包まれる。
視界を光が塗り潰し、ゼノスは思わず剣を止める。
次いで、咆哮と共にそれは光の中から飛び出した。
「ガアァアアッ!」
「ぐっ……!?」
光の中から飛び出した白銀の虎は、硬直したゼノスの腕目掛けて喰らい付く。
それは言うまでもなく、エグジスタを解いたフィアである。だが、少し前まで猫程度の大きさだったのに対し、今のフィアは明らかにそれから数倍にまで育っていた。
未だストームタイガーとしては小柄ではあるだろう。だがもう、子猫と見間違われることはない。
「……っ! このっ……!」
ゼノスは剣を持つ腕に喰らい付かれ、満足に剣を振るうことが出来ない。
そして、今のフィアは小さいとはいえ、れっきとしたストームタイガーである。その膂力は人一人を投げるなど造作もない。
フィアは自身を軸に、ゼノスを投げ飛ばした。
「ぐ……ぅ……!」
ゼノスは空中で体勢を直しながら痛みに呻く。フィアに噛みつかれていた右腕は完全に骨が砕けてしまっていた。
利き腕の負傷は痛手といえるだろうが、ゼノスは怯まなかった。冷静に頭を回し、即座に左に剣を持ち替えながら着地する。
だが体勢を立て直す時間を与えるつもりは無い。フィアは風を纏い、空気を切り裂きながらゼノスに飛び掛かる。
「ちっ……スパイクショット!」
それはつい先程フィアを貫いた風魔術。その速攻性に似合わぬ威力をもって再びフィアへと迫る。
ゼノスはそのまま、フィアが風弾を受けて怯んだ隙を狙わんと左手で剣を構える。だがゼノスが見たのは、嵐の王の真髄だった。
ゼノスが放った風弾はフィアに届くより早く、空気の抜けるような僅かな音と共に弾ける。それはあの森でティオを散々苦しめたガルドの風の鎧と同じモノだ。生半可な攻撃は全て、あの鎧に弾かれる。
それを認めたゼノスは舌打ちを一つ鳴らし、回避行動に移る。ゼノスは知らなかったのだ。それはただの鎧に留まらないことを。
「――ッ!!」
それは、ティオが風の鎧に込められた魔素を視て、それでも辛うじて察知できた前兆。
魔素を視る能力も、ルミナ・ロードも持たないゼノスがそれに気付いたのは流石と言えるだろう。だが、気付きは些か手遅れだった。
フィアが着地する寸前、纏った風が融解する。制御を失った風は、最小限の回避で反撃の隙を窺っていたゼノスを巻き込み、炸裂した。
「くっ……!」
爆風に煽られ、身体のあちこちを風で切り裂かれながらもゼノスは体勢を立て直して着地し、すぐさま剣を構える。
揺るがない。
幾度と無く攻撃を受け、今や利き腕も折れている。だが、ゼノスが纏う気迫は一切衰えてはいなかった。
それとは対照的に、フィアは満身創痍と言わざるを得ない。咄嗟に急所を避けたとは言え胸の傷は重症だ。その状態で回復魔術もなしに激しく動けば、結果は目に見えている。
「…………」
フィアはその身体を息で揺らしながらゼノスを睨みつけていた。いや、睨みつけることしか出来なかった。絶好の追撃の機会だが、それ以上に自身の傷が深いことを、地面に滴る血の量が示していた。
それを好機と見たゼノスが地を蹴る。風の鎧は既に剥がれ、フィアを守るものは何もない。反撃の余力も無いだろう。
殺気を放ちながらフィアへと迫るゼノス。その正面に、雷槍が飛来する。
ゼノスは即座に反応して、雷槍の回避に成功する。だがゼノスの表情は浮かばない。それはゼノスが最も恐れていた展開だった。
「――待たせた」
フィアの横に立ち、安心させるようにフィアの肩へと手を置く。すると再び、フィアを魔術の光が包み込んだ。
「……おっそいです。……後は、頼んだですよ。ティオさん」
わざわざエグジスタを使ってまでティオに文句を付けた後、その場にへたり込む。
ティオはそれに苦笑しつつ、フィアに回復魔術を掛けた。
「完治とはいかないが……しばらく我慢してくれ」
「また待たせるのです? 後で何かご褒美を貰いたいところですね。街を案内してくれるという約束もまだですし」
「あはは……」
そう言えばそんな約束もあったなと苦笑する。忘れていたと言えばフィアが怒るだろうから口にはしない。
とりあえず応急程度にフィアを回復させたティオは、警戒してか何もせずに佇むゼノスに向き直る。
「わかったよ。また今度、ミラ達と一緒にな」
「はい。期待してるのですよ」
そう言ってフィアは邪魔にならないように下がる。
それを確認したティオは、負けられない約束を携え、ゼノスに向かって歩き出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!




