本気の感情
ティオはとある酒場で1人、テーブルについていた。3日前、ティオが情報屋と会った酒場である。
ティオは情報屋の報告を受ける為、珈琲を嗜みつつ情報屋が訪れるのを待っていたのだ。仮にも酒場でまだ幼さの残る少年が1人でいるのは不自然極まりないが、いつものことなのか、店員が訝しがる様子はなかった。
時刻は既に正午を回っている。前回、情報屋と会っていたのもこれぐらいの時間だ。
「そろそろか……」
3杯目の珈琲に口をつけながら呟く。それを合図にしたかのように、酒屋の扉が開かれた。
「…………」
情報屋だ。
昼間だというのに真っ黒な装束を身に纏い、フードを被っている。目立ちたいのか、目立ちたくないのか分からない格好だ。少なくとも、現実に目立っていることは確かである。
情報屋はまるでティオがそこに居ることを知っていたかのように、迷わずにティオのテーブルに近寄り、席についた。
「金は?」
開口一番それである。
ティオは逆に感心しながら、懐の麻袋から小金貨を1枚取り出した。
「ここにあります。けど、渡すのは“情報を受け取った時”です」
小金貨をチラリと見せつけた後、まだ渡さないと言う様に懐に戻した。
ティオは前金を支払った際、残りを支払うのは“情報を受け取った時”だと確かに言った。そういう意味ではこれは正当な主張だ。
別に、今すぐ渡しても支障はない。ティオの見立てでは、相手は金貨をそのまま持ち逃げするような詐欺師でもない。
これは単なる意思表示だ。言いなりにはならないという、対等な取引であると言う意思表示。
ティオの対応が意外だったのか、情報屋はフードの奥に見える目を丸くする。そして直ぐに口元に笑みを浮かべた。
「……くくっ。ああ、そうだったな。確かにそんな話だった」
どうせ覚えていただろうに、と白々しく笑う情報屋を睥睨しつつ、ティオは本題を促す。
「それで? ディノ・ライセンの行方は掴めたんですか?」
「まあ待て」
逸るティオを情報屋が制する。
何を待つ必要があるのかとティオが訝しんでいると、店員が何かを持って来た。
「……こんな昼間から酒ですか」
店員が持ってきたのはジョッキになみなみと注がれたビール。頼んでもいないのに持ってきたということはこれも、”いつものこと”なのだろう。
そう言えば3日前に来た時も呑んでいたな、とティオは思い出す。
情報屋はティオの呆れたような言葉には応えず、一息にビールを呷る。仕事の場で酒を飲むのがこの男の流儀なのかもしれない。ティオには到底理解できそうになかったが。
「――プハ。…………まだ、王都にいる」
「……やはり」
一気に飲み干し、空となったビールジョッキをテーブルに荒っぽく置きながら呟く様に告げる。
それを聞いて、ティオは予想通りだと頷いた。
「ライセンを装った影が王都を出たが、本人は郊外の屋敷に隠れている。確かな情報だ」
情報屋の言葉を聞きながら、ティオは情報を整理していく。
(確か、ディノ・ライセンが王都を出たというのはあの日の明朝。クルーガーを殺して、僅か十数時間後だったな。……やはり行動が早すぎる)
偽装の為に影武者まで用意するとなると、予め準備が必要だろう。だが実際にライセンは、事が起こってから僅か半日で行動を起こしている。それは事前に予期していないと不可能な動きだ。
(クルーガーが殺られるのを読んでいたのか? それともクルーガーの件とは無関係の行動? だがそれにしてはタイミングが合い過ぎる……)
「…………」
情報屋は、対面で思い耽るティオに好奇の目を向けていた。その表情は面白がっているようにも見えるし、観察しているようにも思える。
「……その屋敷の場所は?」
「貧民街の郊外だ。詳細はここに書いてある」
ティオの問いかけに、情報屋は予め用意しておいた紙片を取り出す。そこにライセンが潜んでいる屋敷の場所が記載されているのだろう。
「そんなところだな。それじゃあ、報酬をいただこうか」
「……礼を言います」
情報屋から差し出された紙片を受け取りながら、ティオは代わりに小金貨……ではなく金貨を1枚、情報屋に渡す。
「……少しばかり多いようだが?」
「もう1つ……いえ、2つ依頼したいことがあります」
「……いいだろう。言ってみろ」
情報屋はにやりと笑みを浮かべながら続きを促す。
それを受け取ったティオはこくりと頷き、目の前の情報屋にしか聞こえない声量で話し始める。
「王宮の……おそらく考古学者だったウィルソン・デカルト。それから……天球宝珠という宝石について調べてください」
それを聞いた情報屋は顎に手を当てて考え込む。心当たりを探っているのだろう。
「天球宝珠については、眉唾ですので少しの情報でも結構です。あと、他にそれを探している連中についても、可能ならばお願いします」
「……また、随分と厄介そうな依頼を持ちこんでくれる……。――承った。ただ、客に譲歩されるのは情報屋としての俺のプライドが許さん。宝石の方についてもその在り処まできっちり調べて来てやるよ」
情報屋は不敵な笑みを浮かべてそう応えた。
願ってもない、とティオも笑みを返す。
「ええ、よろしくお願いします」
「ああ。今回は……そうだな、前金はさっきの金貨でいい。残りの金額は報告の際に提示しよう。学者の方はともかく、宝石の方はどうなるかわからんからな。報告はまた3日後だ。それでいいか?」
ティオは頷いて了承する。
「よし、これで取引は成立だな。それじゃあ――」
情報屋が何かを言う前に、ティオは小銀貨をテーブルの上に置く。
「ここの代金です。多い分は差し上げます」
「くくっ……わかってるじゃねぇか。ならそうだな、もう一つ情報をやろう。なに、釣り銭替わりだ。…………ライセンの情報だが、全くと言っていいほど苦労せず、容易に入手出来た」
情報屋の言葉を量りかねたティオが首を傾げる。
「……自慢かなにかですか?」
「わからねぇか?」
そう言われ、ティオはその言葉を熟考する。
ディノ・ライセンは自身の影武者を用意してまで行方をくらませたのだ。そんな人物の潜伏先が、何の苦労も無く割り出せるものだろうか。
答えは、否。
それほど周到に準備されていた偽装工作が、そう簡単に看破出来るはずが無い。必ず人目を避け、可能な限り痕跡を残さず潜伏したはずだ。情報屋の腕が良かったと結論づけるのは簡単だが、それは浅慮というものだろう。
そして、そうであるとするのであれば、結論は一つだ。
「……罠だと?」
「…………」
情報屋は無言で新たに注がれたビールに口を付ける。無言の肯定、というべきか。
(……そうだとしても何故、わざわざ身を隠すような行動を? 待ち構えるのなら自分の屋敷でもいいはず。人目に付かないようにか、待ち伏せるには都合が悪かったのか。或いは……)
ティオはライセンの真意を探るが、所詮推測だ。答えは出ない。直接、問い質したりしない限りは。
「結構気合い入れて臨んだってのに、蓋を開けてみりゃあ周囲の聞き込みだけであっさりだ。正直、拍子抜けだったな」
愚痴のような情報屋の言葉を聞き流し、ティオは席を立つ。知りたいことは聞いたし、頼むことも頼んだ。この先どう行動するにせよ、後はティオ次第だ。
ティオは情報屋の隣を通り過ぎる際、ふと足を止めた。
「……ところで、なぜわざわざそれを僕に?」
「言っただろ、釣り銭代わりだと。それに……お得意様に死なれちゃ、困るからな」
ビールを呷りながらそう言ってのける。
ティオはそれに得心したような、腑に落ちないような、微妙な表情を浮かべる。少なくとも、お得意様とやらになるつもりはティオにはないのだ。
「……まあいいです。それでは、3日後にまた」
そう言って立ち去ろうとするティオを、今度は情報屋が呼び止めた。
「最後に、名前を聞かせてくれないか?」
ティオは一瞬だけ足を止め、ふと笑みを浮かべながら一言、言い捨てる。
「言う必要、ありますか?」
情報屋の返答を聞かず、今度こそティオは酒場を出る。そのまま酒場の外で待機していたフィア達と合流し、その場を後にした。
後に残された情報屋は飲み干したビールジョッキをテーブルに置き、たいそう愉快そうに呟いた。
「――ティオ……マグナー。それに、“暁”か。……さて、俺にとって良き客となるか……それとも、良き商品となるか」
情報屋は頭の中で依頼された調査の予定を組立てながら、店員にビールの追加を注文するのだった。
「さっきのが情報屋さんですか? ……どうにも信用出来ないのです」
フィアがティオに話しかける。酒場の外から聞き耳を立てていたらしい。どうやらあの情報屋は、フィアのお眼鏡には適わなかったようである。
「まぁそう言うな。腕は確かだ」
言いながら、ティオはディノ・ライセンの居場所が書かれた紙片を眺めていた。
(貧民街方面の郊外……決して治安は良くない。隠れ住むにも不便な場所だが……何が起きても大抵のことは公にならずに済む、か。まぁそれは、こちらとしても好都合だけど)
王都ベルナートはいくつかの区画に分かれる。文字通り富裕層が住まう富裕街に、家無しの文無しが行き着く貧民街。街……とは名ばかりの廃墟に近いところであるが。
前者はもちろん後者も、王都の一部であり、当然ながら何かあれば憲兵が派遣される。だが、彼らが貧民街で必要以上に行動することは無い。
例えば、貧民街で殺人事件があったとして、憲兵が来るのはしばらく経ってからだ。そもそも通報すらされないことも有り得るが。そして、来たとしてもすることと言えば遺体の処理程度である。犯人捜しなど、まず行われない。
憲兵すらも自由に手出しできない。それは、貧民街に蔓延る裏組織やそれを利用する貴族など、様々な思惑や利権が入り乱れた結果だ。余計なことに首を突っ込むと虎の尾を踏むことを、彼らは知っている。
だがそれを正そうという者はいないし、出来る者もいない。王都の闇とも言えるそれを打ち払うには、生半可でない力と、覚悟が必要となる。
そしてそれは、一部の者においては非常に都合がいい。あそこでなら、そこで起きる全てを闇に葬ることも難しくはないからだ。
(さて、罠か、それとも……。なんにせよ、勝負は今夜だな)
これは仇まで辿り着く為には避けて通れない道だ。退路はなく、目的の場所は罠の先にある。ならば、罠も全て纏めて貫き通すだけだ。
決意を新たに固めていると、ティオは視線に気付く。フィアやミラからのじっとりとした視線に。
「……なんだよ?」
「ティオさんこそなんです? まだ私達に遠慮しているのですか?」
「ミラも手伝う!」
「ヴォンッ!」
フィアが呆れたような視線を投げかけ、その後ろからミラとネスレが自己主張する。
一瞬呆気にとられたような表情を浮かべたティオだが、直ぐに表情を消し、フィア達の言葉を切り捨てる。
「……お前らには、関係ない」
「――関係、ない?」
ティオの言葉を反芻するように、フィアが呟く。
それをどう捉えたのか、ティオは諭すように続けた。
「ああ。これは俺の問題だ。お前らを巻き込みは――ッ!?」
瞬間、フィアから放たれる烈風の弾丸。魔素に鋭敏なティオだからこそ気付けたその刹那、ティオは同質の風弾を生み出してそれを迎え撃った。
2つの風弾は接触すると同時に共に融解し、周囲に烈風を生む。
吹き飛ばされるような威力ではないが、唐突に発生した烈風は周囲の目を引くには十分だった。
「――ッ! こんな場所で何すんだ馬鹿っ!」
「馬鹿はティオさんの方です! ふざけんなです! 言うに事欠いて“関係ない”なんて……!」
珍しくフィアは本気で怒っていた。今にも荒れ狂いそうなほど猛っているフィアの魔素を見ればそれは明らかだ。
「ぐっ……とにかく落ち着け! お前は今まで通り自分の目的のことだけ考えてればいいだろ!?」
ティオがそれを口にした瞬間、荒れ狂っていたフィアの魔素がフッと収まった。
何とか落ち着いたかと思い、フィアの方に視線を向ける。そしてフィアの表情を見て、ティオは思わず硬直した。
――泣いていた。
フィアは目尻に涙の粒を携え、悔しそうに表情を歪めていたのだ。
「――フィ……」
「もう……いいのです……っ!」
声を掛けようとしたティオだが、フィアはそれを遮り、ティオ達に背を向けて駆け出した。
「フィアッ!!」
「――ミラが行くよ」
すぐさま追いかけようとしたティオだったが、目の前に立ち塞がったミラに止められる。
「……わかった、頼む」
一瞬、ミラの真意を量りかねたティオだったが、理由は解からないがおそらく原因である自分が追うよりも良いと思い、ミラに委ねた。
「うん、任せて。それと……えいっ」
「ごふっ?!」
ミラはいつもと同じ笑顔でそれを了承しながら、ティオの腹部に一発見舞う。
無論手加減されているが、ミラの元々の身体能力が高い事と、不意を突かれたことで思いの外ダメージを喰らった。
「けほっ……なんだってんだよ、お前まで……」
「ミラも、怒ってるんだよ?」
「…………」
ティオは腹部を抑えながらミラの言葉を受け止め、ミラも、フィアと同じく自分が傷つけてしまったのだと察する。
そんなミラに、ミラ達に対して、ティオは言葉を紡ぐことが出来なかった。
「それじゃ、行ってくるね。早くしないとお姉ちゃん見失っちゃうし」
「……頼む」
「りょーかいっ♪」
そう言ってミラはフィアを追って駆けて行き、そこにはティオとネスレだけが残される。
「……お前は、どうする?」
「…………」
ティオの問いかけに、ネスレはただ黙って佇んでいた。離れはしないが、ティオのことを肯定している訳ではなさそうだ。
気付けば周囲には人だかりが出来始めていた。あれだけ言い合えば当然だろう。
「……行くぞ」
ティオは傍らのネスレを促し、視線から逃れるようにその場を後にした。
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