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オーバーセンス  作者: 茜雲
二章 真実を求めて
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葬送




 夜、月明かりだけが辺りを照らす暗闇の中、ティオの視線の先には蝋燭と警備の明かりに照らされた館がある。風情も何もない。


「……最初から、こうしておけばよかったのかな」


 貧民街の一角で買った、怪しい黒いローブを身に纏いながら呟く。だがその呟きは、誰の耳にも届かず、風に溶けて消えた。


 ティオは館を睨めつけながら、昼間にミネアに言われた言葉を思い出していた。


『火事が起きたのが7日前。火の勢いが凄くって、どれが誰の遺体かもわからない状況だって……』


 その言葉で目の前が真っ赤になった。あの夜(・・・)と同じように。


 それでもなんとか冷静さを保ち、お礼を言って店を後にしようとしたその時、ミネアに呼び止められて言葉を掛けられた。


『――無茶は……しないでね』


「……ったく。俺ってそんなに顔に出やすかったかな……?」


 或いは、ミネアがそういうことに鋭いのか。


「まぁいいや……今は――」


 言いながら、館の裏手から、塀を乗り越える。3メートルを超える塀だが、魔術で身体能力を向上させて、足場でも適当に作ってやれば、障害にすらならない。


 周囲には警備はいない。ルミナ・ロードがあれば警備のいないタイミングなど容易に計れる。


「さて……」


 館を見上げる。イワン・クルーガーがマグナー商会で稼ぎ、建てた館だ。


(それを忘れて、商会に牙を剥いたというのなら……。覚悟しろ)


 まだ証拠がある訳ではない。証拠(それ)を、今から押さえに行くのだ。


 物的証拠があれば良い。だがそんなもの、後生大事にとっておきはいないだろう。とっくに処分されているに決まっている。ならば、どうするか。


(吐かせれば良い。尋問でも何でも。嘘は、ルミナ・ロードで見抜ける)


 そう、ルミナ・ロードさえあれば、大抵の嘘は見抜ける。適当に尋問すれば真実を得られるだろう。だが問題は、その証言に証拠能力は無いこと。故に、今まで使わなかった。使えなかった。


(公的な機関には頼らない。自分で、全部終わらせてやる)


 自分以外に証明することが出来ないのであれば、自分でやればいい。満足のいくまで。全てを。


「もう、覚悟は出来た。もう、迷わない」


 間抜けな話だ。いつでもそうだった、失ってから、覚悟が決まる。失ってから、歩み始める。


 覚悟は決めた。自分で終わらせる覚悟を。裁きなんて高尚なものじゃない。もっと原始的で、感情的な炎だ。


「邪魔はさせない。誰にも――」


 たとえゼノスほどの相手が相手でも、立ち塞がるのならば真っ向から叩きのめす。手加減や、死なせないようになんていう配慮が入る余地は無い。


 ミラとフィアは宿に置いてきた。2匹に凄惨な場は見せたくないというのもあるが、今の2匹では足手まといにしかならないのが大きな理由だ。


「――行くか」


 窓に手をかける。外側から鍵を開ける程度、魔術を使えば容易だ。普通ならばそこまで緻密な制御は出来ないし、魔術の詠唱や、魔素の動きに反応して警備が押し寄せてくるのだろうが、生憎ティオは普通ではない。


 とは言え油断は出来ない。生成した魔素を使っているが、僅かながらも魔素が動くのだ。相当の使い手ならば気付くこともありえる。


 窓をあっさりと開けたティオはそのまま、周囲の気配を探る。周囲に警備の気配は無く、誰かが騒いでいる気配も無い。どうやら気付かれなかったようだ。


 可能な限り気配を殺しながら侵入した部屋から廊下へと出る。


(周囲に人の気配は無いな。さて、確かクルーガーさんの部屋は……)


 ティオは1度だけ、この館に訪れたことがある。幼いころの顔合わせ程度だが、記憶に残る館の見取り図を頭の中に展開する。


(こっちだ)


 廊下を進む。気配を殺しきることは適わなくても、足音を出さないくらいならば出来る。


(今のところ……どこかで騒いでいる気配も無い。このままいけるか――っと!)


 廊下の先、曲がり角のところで視界が薄く灯る。意識を集中すれば、警備の気配を掴んだ。


「――っが!?」


 バインドウェイブで気絶させる。僅かに声をあげたので周囲を警戒するが、運よく誰も聞いていなかったようだ。


(ほんと、便利だなこの力……)


 ティオはかつてのラステナの言葉を思い出す。


『強盗……暗殺……殺人……窃盗……。どれもセンスを使いこなしたティオ様であれば難しいことでは無いしょう』


 あの言葉は事実だった。紛れも無く。この状況がそれを証明している。


(呑まれない様にしないと……)


 力があるから使うのではなく、力を必要とするから(それ)を使う。至極当たり前のことだが、それを履き違えると取り返しがつかなくなる。


(まだ大丈夫……まだ……)


 気絶した警備を近くの部屋に転がしておき、再び館の中を進む。そこでようやく目当ての場所を見つけた。


(確かここが執務室……。さて)


 ここまで見つからずに来たものの、クルーガーとのやり取りは確実に護衛に察知されるだろう。ならば、これ以上隠れる必要は無い。即ち、真っ向勝負だ。


 コンコン、と執務室の扉を叩く。直後、中から声が聞こえる。


「誰だ」


 記憶にあるクルーガーの声と一致する。昔の記憶なので確実ではないが、状況的に間違いはないだろう。


「ティオ・マグナーと名乗る少年が来ており、会いたいと申しています」


「なんだとっ!?」


 カマ掛け程度に言ってみただけだが、いい反応を返してくれた。クルーガーと違って、ティオは声変わりで今の声が知られていないことが幸いしたようだ。


「……分かった、居間に通せ。それから、居間には誰も近寄るなと家人に指示しろ。全員にだ。……ドルム、居間周りに何人か待機させろ。ガキ一人だ、どうとでもなるだろう」


「へいへい、わーったよ」


 クルーガーの声のあと、別人の声が聞こえる。どうやらタイミング良くか悪くか、裏方(・・)担当の人間が部屋にいたようだ。


 ドルムと呼ばれた男がめんどくさそうに返事をして扉を開けた。その扉の向こう、目の前で拳を振りかぶる少年。それが意識を失う直前にドルムが見た光景だった。


「ぐぼあっ!!?」


 がら空きの腹部に異常に重たい一撃を受けたドルムは、意識を手放しながらクルーガーの仕事机まで吹き飛ぶ。


「なんだっ!?」


「いやまさか、こうもあっさりとは……。思いつきでも言ってみるものですね」


 フードを脱ぎながら部屋に入る。そしてティオの顔を見たクルーガーは驚愕に声をあげた。


「ティオッ……様!?」


 いったいどの口が様付けになんてするのか。ティオは呆れながらも後ろ手で扉を閉める。


「こんばんは。久しぶりですね、クルーガーさん。お仕事の調子も良い様でなによりです」


「ほ、本当にティオ様……なのですか? よ、よくぞ、ご無事で」


「くだらない問答は結構です。先程のご指示も、しかとこの耳で聞かせていただきましたし」


「ぐっ……」


 失敗した、とでも思っているのだろうか。だがそれは違う。本当の失敗は口を滑らせたことなどではなく、マグナー商会に、ティオに喧嘩を売った事だ。


「何事ですか! 旦那様!」


 そうこうしている間に、騒ぎを聞きつけた家人がやってきたようだ。クルーガーの方を見れば形勢が逆転したとでも思ったのか、笑みを浮かべている。


「フロストプリズン」


 呟くように呪文を唱えると、扉が丸ごと凍りつく。いや、氷に埋もれると言った方が正しいか。


 氷塊となった扉の向こうから家人の怒号や扉を叩く音が聞こえるが、これでしばらくは持つだろう。ここは2階、逃げようと思えば窓から逃げることも出来るだろうが、そんな隙を与えるつもりはない。


「邪魔なんて入らせませんよ。これは僕らの、マグナー商会の問題だ」


「ひっ――!」


 あまりに予想外、あまりに圧倒的な力の一端を垣間見て、クルーガーから声が漏れる。


 だがそこは流石に数多の商売敵とやり合ってきた商会の重鎮、怯みながらも机に隠した投げナイフに手を伸ばす。


 だが、今回は相手が悪かった。ことあるごとにそこに視線を送るような不自然(・・・)を、ティオが見逃すはずは無かった。


 クルーガーが投げナイフを手に取った次の瞬間にはティオは距離を詰め、椅子ごと押し倒して動きを止める。


「さぁ、洗いざらい吐いてもらうぞ。お前が、俺達に売った喧嘩だ。今更逃げられるなんて思うな」


「し、知らないっ! 私は何一つ知らない! 何もしていないっ!」


「白々しい。俺を手に掛けようとした時点で、無関係という線は消えた。お前の策略か? あるいは誰かの指示か?」


「知らないっ! 知らないっ!!」


 子供の様にいやいやと首を振る。この状況で予想以上の反発に、ティオは眉をひそめた。


(この状況で、なぜこうも頑なに話さない……? 口を割った事への制裁を恐れてるのか? だとしたらこいつはやっぱり下っ端で、もっと力を持った黒幕が他に……)


「――おいっ! 早く憲兵を呼んでこいっ!」


 扉の向こうからそんな叫び声が聞こえる。例え憲兵が来てもこの扉はそうすぐには破られないだろうが、万が一を考えると面倒だ。


(あんまり、時間は掛けられないか。……仕方ない)


 空いた手で、力任せにクルーガーの口と顔を押さえ込む。子供とは思えないその力に、クルーガーは目を見開いた。


「イワン・クルーガー。俺達の商隊を襲わせたのは、お前だな?」


「……」


 ティオの質問に、クルーガーは答えない。いや、口と顔を抑えられている故に答えられない。だがティオにはそれで構わなかった。


(鼓動も、眼にも、目に見えた動揺や焦りはない。まぁ主犯ではない、か)


 予想通りではある。何度か顔を合わせて解かっていたが、クルーガーは典型的な小物だ。こんな大それた行動を主導で実行できるとは思っていなかった。誰かに唆された、という可能性が最も高い。


「……次だ。王都の商会メンバーにこのことを知っている奴はいるか」


 クルーガーがこれ以上情報を与えないと言わんばかりに目を瞑る。だがティオに対してそれは大した意味が無く、その行動自体が答えたくない《・・・・・・》という意思を示している。


(他にもいるか。或いはそいつがザンギ達をけしかけた下手人か……)


 情報をしっかりと記憶に刻み込みつつ、矢継ぎ早に質問を投げかける。


「トリウス兄さんの証文は? お前が持ってきたのか?」


 瞬間、クルーガーの鼓動が跳ねる。それは今までで一番の反応だった。確認のつもりで投げた質問だったが、その反応にティオは疑問符を浮かべる。


 そんな反応をする理由がわからない。証文を持ってきたことなど、ミネアが容易に調べられたことだし、知られたからどうこうというものでもないはずだ。


 だがそれに反してクルーガーの心臓は早鐘のように鳴り続ける。それは焦燥。まるで命の危険を感じているような。


(――まさか)


 この状況で命の危険を感じることなど、ティオ(一つ)しかない。そして、そのティオの逆鱗に触れることを恐れたのだとしたら。先程の質問から連想出来る逆鱗(こと)は……


「お前が、兄さん達を……?」


 再び心臓が跳ねた。もう、疑う余地は無い。


「ち、ちがっ――いぎゃっ!?」


 この期に及んで言い訳をしようとするクルーガーに、ティオは思わず手に力を込めた。骨が軋むような音と共にクルーガーの顔が苦痛に歪む。


 このまま握り潰したい衝動に駆られるが、ティオの未だ冷静な部分がそれを止める。少し間を置き、一つ息を吐いてから手の力を緩めた。


「わ、わひゃしは指示されただけでっ……! そ、そうだっ! 金ならやるから命だけは――」


「――黙れ」


 見苦しい命乞いが聞くに堪えず、黙らせる。ティオ自身すら冷たいと感じる声色だ。


 指示されたのだとしても、下手人はこいつで間違いは無いのだろう。何の言い訳にもならない。


「誰に、指示された……?」


「ひっ……し、知らないっ! 私はっ、使いだと名乗る男から指示と金を受け取っただけだ……!」


 本格的に命の危険を感じたからか、言い訳のように情報を漏らす。だが、核心的なことは聞けなさそうだ。


(流石に、こんな奴に直接会うほど馬鹿じゃないか)


 こんな俗物に顔を晒し、口封じもしていないような奴なら話は簡単だったのだが、残念ながら黒幕の人物はそれなりに用心深いようだ。


「その男の名は?」


 せめて少しでも情報を得ようと質問を繰り返す。クルーガーも、自棄なのか、死にたくない一心なのか、もはや隠そうという気はないらしい。


「た、確か、ゼノスと名乗っていたはずだ」


「ゼノス……だと……?」


 ここでゼノスの名が出たことに、驚きを露わにする。


(別人? いやそれはありえない。そんな偶然がある訳が無い。けど、それならなぜ、俺の名を出した時に何の反応も返さなかった?)


 それほど中心に近い立ち位置にいて、ティオの名を知らないというのはありえないだろう。ならば、なぜ反応を示さなかったのか。示さないことが出来たのか。


(――顔を知っていたのかっ!)


 あのタイミングで反応を示さなかったということは、予め知っていた、気付いていた可能性が高い。館の前で戦った時から、或いは宿屋ですれ違った時には既に、気付かれていたのだろう。


(じゃあ何で見逃した……? いや、今は考えている場合じゃないか)


 事実だけを受け止め、一旦思考を切り離す。


「マグナー商会での協力者は誰だ?」


「あ、あいつだっ! 支店長のディノ・ライセン!」


「あの人が……!?」


 それはティオにとって意外な名だった。クルーガーと違ってそれなりの交流を持っており、信頼出来る人間だと思っていた。それこそ、これが終われば協力を仰ぎに行こうと思っていたほどに。


(あの人まで協力してるとは……いったい何故っ……!)


 ティオが考えを巡らせていると、凍った扉の向こうから足音と怒号が聞こえてきた。どうやら憲兵が来たようだ。


 ちょうど周囲の巡回でもしていたのだろうか。随分と早いご到着である。流石は、王都の憲兵といったところか。それをもっと正しい時に発揮してもらいたいところだが。


(ここまで、か)


 最後に、クルーガーの方を見る。幕引きだ。


 右手に、魔素を込める。だが、魔素を込めた右手が、自分の意思とは別に震える。


 盗賊の時の様な自衛とは違う。自分の意思でのそれ(・・)に、頬を汗が流れた。揺らぐ心は、半ば無意識に言葉を紡ぐ。


「クルーガーさん……全てを認めて、罪を償ってくれませんか……?」


 ティオの言葉を聞いて、クルーガーは目を瞬かせる。そしてその意味を飲み込んだ直後、全力でその言葉に食い付いた。


「も、もちろんっ! 全て話します! 罪を償いますからっ!!」


 クルーガーのその言葉を聞き、その眼を見て、ティオは諦めたように目を閉じた。


「――ありがとうございます」


「は?」


 このタイミングでのその言葉に、思わずクルーガーは聞き返した。


 困惑するクルーガーをよそに、ティオはクルーガーの上から退き、距離を取る。助かったのだと、僅かに希望を見出したその眼は次の瞬間、絶望に落とされる。


「ありがとう。甘さ()に引導を渡してくれて。――おかげで今度こそ覚悟は決まった」


 言いながら、右手をクルーガーに向ける。そこにはクルーガーにもわかるほどの魔素が込められている。


 クルーガーの眼は濁っていた。例えルミナ・ロードが無くても、そこに自戒も、誠意すらも込められていないことは察せられただろう。その眼には、自分しか映ってはいなかった。


(何が、“覚悟は出来た”だ。何が、“もう迷わない”だ。この期に及んで自分の甘さには吐き気がするっ……!)


 ティオは歯を食いしばり、クルーガーを睨みつける。


「ひぃっ!」


 ティオの雰囲気から本気であることを察したのだろう。立ち上がって壁際にまで逃げる。だがティオが窓側に立っている以上、逃げ場は凍った扉しかない。無論、それを突破出来ないし、させる訳が無い。


「もう引き返さない。いや、そもそも、もう退路なんて無いんだ」


 誰に宛てた訳でもない言葉を紡ぎ、更に魔素を込める。


「ま、待てっ! 金ならいくらでもやるっ! 命だけは!」


 月並みな命乞いの台詞だ。だが、実際に聞くと耳障りで不快だった。


 もはやティオが耳を貸すことは無い。もう、決まったのだ、覚悟は。


「――葬送(フューネラル)


 ティオの右手に生まれた魔素が一点に集まり、クルーガーにも見える一粒の光と成る。そして、その光はクルーガーに向けて飛翔した。


「待っ――」


 ――キィン


 響くような、澄んだ音を響かせて、クルーガーは氷塊の中でその時を止めた。


「…………」


 氷の彫刻へと成り果てたクルーガーを眺める。苦しんでいる表情ではない。生きたいと、死にたくないという欲望が溢れた様だ。これ以上ないほど、酷く人間臭いその彫刻は、芸術品としては一級品だろう。飾りたいとは思えないが。


 拳を握りこむ。後悔は無い。覚悟も揺らいではいない。ただ、事実を受け止めていた。命を背負う為に。自身が堕ちない為に。


「う……」


 うめき声に振り返る。最初に気絶させたドルムという男だ。


 ティオは少し考え、放置することに決めた。おそらくはクルーガーの子飼いであり、商会の件にはさほど関わっていないだろうからだ。確証も無く手を下すのは躊躇われた。


 ドルムはもうすぐ目を覚ますだろう。扉の向こうも、音が激しくなっている。目的は果たした以上、ここに長居は無用だ。


 フードを被りなおし、窓に近づく。下から声が聞こえる。おそらく憲兵が回りこんでいるのだろう。


 ティオはそれを意に介さず、窓を開け放つ。下から緊迫する空気が伝わってくる。


 腕とローブで適当に顔を隠しながら、下を眺める。そこには剣を持った憲兵が3人。こちらに対して何かを叫んでいる。


 聞く耳持たず、窓の縁に乗り上げる。飛び降りるとでも思ったのか、憲兵が構える。ティオは空いた手をかざし、唱えた。


「シャイニング」


 閃光が夜の闇を切り裂く。呪文に反応して咄嗟に視界を塞いだ憲兵は、流石と言えるだろう。だが、視界を塞いだ腕を退ければ、そこにはもう、誰もいなかった。












「っはぁ……」


 貧民街の一角、そこにティオはいた。人目に付かない場所でローブを脱ぎ、一息吐く。そのため息は疲れからか、自分の為したことに対してか。


「……帰るか」


 休息もほどほどに、ティオは通りに出て宿に向かった。


(俺が生きていることは、おそらくゼノスから伝わっているはず。しばらくは身を隠すか……。いや、こっちから黒幕まで辿りつくのは多分無理だ。なら、釣ってみるか(・・・・・・)


 クルーガーとのやり取りで得たものはそう多くない。協力者らしいディノ・ライセンにはもちろん事情を聞きに行く(・・・・・)が、黒幕へと辿れる可能性は低いだろう。


 だが、向こうとしてもティオは放置出来ないはずだ。ならば、なんらかの行動を起こすだろう。その時、分かり易い標的が必要だ。


 例えるなら、ティオは釣り餌だ。自身を餌に敵を誘い込み、釣られた魚から情報を得る。それで確かな情報を得られる確証はないが、これを繰り返せばいずれ大きな行動を起こさざるを得なくなるだろう。そこが狙い目だ。


(なら、名前だけはこのまま名乗り続けるか)


 流石に家名まで名乗るつもりはない。下手をすれば無関係な者まで引き寄せ、巻き込みかねない。


(……ミネアとも、距離を取らないとな)


 これは自身を餌にする諸刃の策だ。幸い、まだミネアと交流があることはゼノスには知られていない。だが、これから先もそうである保証はないのだ。早いうちに距離を取った方がお互いの為だろう。


(王都で頼れる数少ない相手だけど、仕方ないか)


 頼るだとか協力だとかの前に、ティオはミネアとの交流を気に入っていた。それを思うと少しばかり物寂しいと思えたが、それも全てが終わるまでだと己に言い聞かせる。


(全部終わった後、ミネアの前に姿を現す資格が俺にあれば、だけどな……)


 もう戻れない己の道を認め、自嘲気味に笑みを浮かべた。


 ふと気付けばそこは今宿泊している宿。考え事している間に着いてしまったらしい。


「あ、また夕飯食べ忘れた……。まぁいいか」


 一つ呟いて宿に入る。頭では食べた方がいいと分かってはいるのだが、どうにも食欲が沸かなかった。


「ただいま」


 言いながら、あてがわれた部屋の戸を開ける。部屋の中からの応えは、思っていたのとは異なっていた。


「あ、お帰りなさいです」


 聞き覚えのない少女の声。はっ、と目を見開き、声の方を見る。そこには小柄な銀髪の少女が一糸纏わぬ姿で佇んでいた。


 この安宿では部屋に灯りなど用意していない。窓から入りこむ月光が唯一の光源である。だがそれが逆に、少女の美しい銀髪に良く映えていた。


「――え」


 あまりに突飛な状況に、ティオは体を硬直させる。そして、そこで気付いた。正確には一糸纏わぬ姿ではなく、その首元に見覚えのある紫のリボンが括りつけられていたことに。


「どうかしたのです?」


 ティオの反応に、少女……フィアは首を傾げた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

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