素直な奴ら
「きゅいきゅいっ」
「おい、あんまり前に出るなよ」
見知らぬ場所に来て高揚しているためか、無用心にも先行するアルミラージをティオが諌める。フィアも幾分呆れた表情である。
といっても、調子に乗るアルミラージの気持ちも分からないでもない。あの平野でガルドと別れてから1時間ほどになるが、魔物と接触していないのだ。
おそらくではあるが、最後のガルドの雄叫びが原因だろう。
かなり魔素の込められた雄叫びであった為に、程度の低い魔物はその場から逃走したのだと思われる。とはいえ推測であるし、仮に本当だったとしてもその効果がどこまであるかは分からない。いい加減警戒を強めるべきだろう。
「きゅーい」
緊張感のない返事ではあるが、ティオの言葉を聞いてアルミラージが戻ってくる。
不完全とはいえエグジスタを習得し、人間の言葉を解するようになったおかげで、多少なりとも意思疎通が出来てティオとしてはありがたいことこの上ない。
近くまで戻って来たところで、ティオの忠告が正しかったことが判明する。
「グルルル……」
草陰から出てくる4頭のブラックウルフ。ティオはもう見慣れたもので、驚きも焦りもせず、腰に挿した剣に手をかける。だがそれは途中で遮られた。
「フィア?」
フィアが前に出てブラックウルフ達と相対する。
ティオとしてはガルドによろしく頼まれているフィアを危険に晒す気はない。故に完全に庇護対象だと思っており、そのフィアが前に出るのはいただけない。
だがティオが制止の声をあげるよりも先にフィアが行動を起こす。
フィアの眼前に風が生まれ、それは徐々に凝縮されて球体の体を成し、やがて2つの弾丸と成った。
ブラックウルフはそれに脅威を感じたのか、即座にフィアへと襲い掛かった。
「――遅い」
ティオが呟く。その言葉を証明するように、襲い掛かった2頭は射出された風弾にまともな反応も出来ずに撃ちぬかれ、その生命を終える。
冷静にタイミングを計っていた1頭が倒れゆく2頭を盾にフィアとの距離を詰め、一気に飛び掛る。
流石に風弾を形成する時間はなく、フィアは後ろへ飛びのいて回避する。だがそこを更にもう1頭が狙ったように飛び掛った。
一瞬手を出しかけたティオだったが、それは杞憂に終わる。
フィアは風を生み、その風に乗って近くの木の幹まで跳躍する。
子猫ほどの体格だというのに助走もなしで5メートル以上もの跳躍を見せられ、さらに着地点は自分たちの手の届かない高さである。対処に迷いの生じたブラックウルフは一瞬体を硬直させた。
その隙だけで十分だった。
フィアは跳躍しながら形成していた風弾を放つ。ブラックウルフの1頭はその直撃を受けて絶命するが、もう1頭は辛うじて回避する。だがそれも次の瞬間には無駄だったと理解させられた。
フィアは木の幹から再び宙に踊り、風弾を回避したブラックウルフに特攻する。体勢を崩したブラックウルフにそれを回避する術はなかった。
フィアがブラックウルフに着弾する。風を纏ったフィアはまさにそれ自体が弾丸であり、ブラックウルフの胴体に触れると同時に纏った風を解放する。
規模は小さいが、ティオに大きなダメージを与えたガルドの風塵爆発と同様のものだ。その直撃を受けてブラックウルフ程度が生き残れる訳がなかった。
「んにゃ♪」
そのまま風に乗って再び跳躍したフィアはティオ達の近くに着地する。実にあっさりとブラックウルフを蹴散らしてみせ、見たか、と言わんばかりに誇らしげな表情だ。
実力差を見せつけられたアルミラージは、じーっと尊敬の眼差しをフィアにぶつける。
フィアはそんなアルミラージを一瞥するが、わざとらしくフイッと顔を背け、さっさと歩き出してしまった。
「きゅー」
フィアの素っ気ない態度にもめげず、アルミラージはぴょこぴょことフィアに付いていく。
「仲良いなぁ」
ティオがそう呟くと、フィアがキッとティオを睨み付ける。ティオが肩を竦めてなんでもないアピールをすれば、フィアは不機嫌になりながらも歩みを再開した。
(さっきの態度もそうだけど、妙にアルミラージを意識してるなぁ。嫌ってはいなさそうだけど……)
フィアの態度に首を傾げる。判ったことと言えば今それを考えている場合じゃ無いと言うことだった。
「おい、右から来るぞ」
ティオが魔物を察知して2匹に警告する。と、同時に魔素の動きを感じ取った。
同じくそれを感じ取った2匹はすぐにその場を飛び退く。直後、その場を高速の黒い影が通過した。その影はすぐに別の茂みに入り、姿を消す。
「ブルックか」
ティオがそう呟いた直後、再び茂みから現れたブルックがティオに向けて突進する。
ティオはそれを難なく回避しながら、暢気に考察していた。
「なるほど。こういう戦い方もあるのか、茂みで視界が遮られるこの場所ならではの戦法だな。さて、どうするか」
ブルックの動きは、ティオには完全に見切られていた。いくら視界が悪かろうが、六感全てが強化されているティオには大してハンデでも無い。
ティオは体内で魔素を練り始める。
ただでさえ皮膚が硬い上に技能で強化されたブルックが相手では、生半可な攻撃は意味を成さない。ならば、単純に魔術の威力を上げてやればいいだけである。
ティオは魔素を練りながら、ちらりと横を見る。そこには再び姿を消したブルックに対して、対処に困っているフィアが見て取れた。
(ブルックの魔素から正確な位置を把握できるほどの感覚は無いか。あの風弾も、ブルックの突進と真っ向勝負だと分が悪いだろうし、やっぱり俺がやるしかないか)
先ほどの攻防を見て、ティオは可能な範囲で魔物の対処をフィアにやらせようと、考えを改めていた。
フィアの目的は能力の向上である。それにはティオの魔素以外に実戦経験も必要であるし、同行する上でフィアの戦力を把握しておきたかった。フィアが何やら戦う気満々だったこともある。
無論、無理をさせるつもりは無い。今回は相手と場所、戦法といった面で相性が悪かっただけだ。平地での純粋な戦いではフィアに負ける要素はないので評価を下げる要因にもならない。
そこまで考え、ティオはブルックを屠るべく呪文を唱える。
「突き通せ、グレイブ――」
「きゅいっ!」
気の抜ける鳴き声、次いで轟く雷鳴によってティオの詠唱が遮られる。
アルミラージから生み出された雷撃は茂みから飛び出した直後のブルックを正確に射貫いた。
直撃を受けたブルックは痺れた足をもつれさせ、盛大に転倒する。自慢の突進力が災いし、ティオ達を横切って凄まじい勢いで木に激突した。
「きゅーい、きゅいっ♪」
アルミラージは嬉しそうに鳴き、飛び跳ねる。隣のフィアは何とも鬱陶しそうな表情だ。
(音でブルックの居場所を察知したのか。そういえば最初避けたときも反応早かったし、感知能力が高そうだな。雷撃の精度も悪くないし、後衛向きかも)
ティオがそう評価している間も、アルミラージは褒めて欲しいのかフィアにちょっかいをかけている。フィアの方は無視を決め込んでいるが。
「フゴァ!」
ブルックはまだ意識があったようで、起き上がるや否や、アルミラージに向けて突進する。この時点でアルミラージはようやく何事かと振り向いた。もう避ける間も、反撃する間も残されていない。
ほんの少し早くに気付いたフィアだが、同じく反撃する間はない。回避だけなら出来るだろうが、その場合アルミラージだけがブルックの突進を受けることになるだろう。
それに気付いた為かどうかは判らないが、フィアは迷いを見せる。だが戦いにおいて迷いは致命的な隙である。一瞬の迷いで、回避の機会すらも逸してしまった。
もうブルックにはね飛ばされるのは避けられないと思えるその状況で、何かが視認さえ出来ない速度で飛来する。それを認識出来たのは術者であるティオだけだ。
飛来した何かは、ブルックの胴体に命中し、そのまま臓物を撒き散らしながら貫いた。さらに、貫かれても受け止めきれない程の衝撃が、ブルックの体と、突進の勢いとを纏めて吹き飛ばす。
ブルックはそのまま十数メートルほど吹き飛び、再び木に激突して停止する。当然ながら、疑う余地もないほど完全に絶命していた。
フィアとアルミラージは目を見開いてその様子を見届けた後、それをやった張本人に視線を移す。と、同時に眼前に水球が迫ってきた。
「ぷきゅ」
「にゃぷ」
「戦闘中に油断するな馬鹿」
無論、ティオの所業である。腕を組みながら、顔を振って水気を飛ばす2匹を睥睨する。
ティオの言葉でアルミラージは落ち込んで俯く。フィアは不機嫌そうに顔を背けた。褒められた態度ではないが、ティオの言葉を理解しているからこその態度だろう。無関心よりよほどいい。
とりあえず言いたいことを言った後、ティオはため息を一つ吐いて、微笑んだ。
「わかったのならいい。怪我はないな?」
「きゅいっ」
「……なー」
ティオに許されたのだと思ったアルミラージは嬉しそうに返事をする。フィアも、安心したように緊張を解いて、あくまで顔を背けたまま、小さく応えた。
「そうか。んじゃ、行くぞ」
ティオは頷き、2匹に告げる。2匹もティオの言葉に頷いて応えた。
(2匹の子守りでどうなる事かと思ったけど……素直な奴らで良かった)
そう、心の中で呟きながら、歩みを再開する。
すぐ後ろに分かり易く素直なのと、分かり難く素直な2匹を引き連れて。




