面影
「てっきり野草か果実でも採って来るのかと思えば……まさか魔物とは……」
速攻で狩ったドードーを火にくべているティオの横で、ガルドが興味深そうに眺める。
「……軽蔑するか?」
ガルドの呟きに対して、ティオが問いかける。あくまで目線はドードーだけに向けており、それがティオの心情が如実に現している。
だがガルドはそれを無用な心配と笑いとばした。
「する訳ないだろう。生きる為に食すのだ、同胞を食すような外道でなければ軽蔑することなどありえない。そいつが俺の同族という訳でもないし、お前らが普段食べている鳥や牛となんら変わらんよ」
あっけらかんとしたガルドの言い分に、ティオは救われた気持ちになる。生きる為とは言え、僅かながらに抱いていた背徳感を一息に吹き飛ばされたようだった。
「そもそも、なぜ軽蔑すると思ったんだ? 大方、俺達とその鶏を同族のように思っていたんだろうが、 “魔物”という括りはお前ら人間が勝手に定めたものであって、同種に見られるのは心外だ」
「う……悪い。確かに浅慮だった、気を付けるよ」
ティオは頭を下げる。すぐさま己の非を認めたティオに、ガルドが満足そうに頷いた。
「まあ構わないさ。実際、源流が違うとは言い切れないんだ。……共通点も多いしな」
「…………」
ガルドの言葉に、ティオは内心で同意する。
魔素を操る力に、人間の姿に変わる技能、エグジスタ。偶然とは思えない共通点だ。それは全ての魔物の源流が同じであることを想起させる。
ティオは頭を振って考えを振り払う。今それを考えることに意味はない。
「きゅっ」
アルミラージが鳴き声を上げる。見れば、ドードーはちょうどいい具合に焼けていた。
「いただきます」
「きゅい」
ティオはドードーを火から引きあげ、そのまま齧り付く。もはや慣れたものである。そして、いつも通り空いた手に魔素を生み、アルミラージの鼻先に持っていく。
「きゅいっ♪」
アルミラージは嬉しそうに鳴いてティオの指先を舐め、魔素を取り込んでいった。
「おいおい……。なんだ、そりゃあ……」
「ん? 魔物って魔素を取り込んで生きるんじゃないのか?」
唖然としたように呟くガルドに、ティオは首を傾げる。
「いや、それはそうだが、それは初めて見るぞ」
言いながら、ガルドはティオの手を指差す。魔素を生みだしている手を、だ。
「お前らも出来るんじゃないのか?」
「そんな訳ないだろう……。確かに俺達は魔素を生み、取り込むことも出来るが、魔素だけを体外に出すなんて芸当、到底できん。むしろ、どうして出来るなんて思ったんだ?」
ティオは言葉に詰まる。
身体が変質してから自然に出来るようになった為にそう思ったのだが、それを説明するにはここまでの経緯を全て話さねばならない。
さっきは思わず口にしかけたが、本当に話していいものかどうか、ティオはガルドの目を真っ直ぐに見据えて考える。
ガルドはティオの意図など知る由もないだろうに、視線を受け止め、真っ向から返す。そんなガルドの反応に、ティオは諦めた様にため息を吐き、頷いた。
「わかった、全部話すよ。少し長くなるけど……」
「構わんさ、夜は長い。俺がいれば他の魔物が来ることもないから、安心して話してくれ」
待ってました、と明らかな期待を秘めて眼を輝かせるガルドに、ティオはもう一度ため息を吐き、語りだした。あの逃亡劇から今まで、やたらと密度の濃い二日間を。
***
「――そう、か。そんなことが……」
ティオが一通り話し終えると、ガルドが僅かな相槌を返すだけで辺りは静寂に包まれる。
普段は何かとうるさいアルミラージは、長話に耐えられず、ティオの膝で眠ってしまっていた。
ティオとしても、下手な慰めなど求めていない。むしろ、話しながら僅かに昂ぶってしまった感情を抑えたかったので、この静寂はありがたかった。
深く呼吸して落ち着きを取り戻し、顔を上げたティオの正面に、一匹の子虎が佇んでいた。
「えっと……フィア、だっけ?」
フィアはティオの呟きに応えることなく、そのままティオに歩み寄り、ぺろり、と指先を舐める。
「えっと……」
何が何だかわからない、と助けを求めて視線を移せば、ガルドの悲しそうな、切なそうな表情が目に入った。
「そいつもな、殺されたんだよ。母親をな……」
ガルドの言葉を聞き、ティオは再びフィアに視線を戻す。フィアの瞳には同情や憐憫などではない、優しさが宿っていた。ただただ心配するような、そんな瞳にティオは一言、『ありがとう』と呟いて、フィアを撫でた。
フィアは最初だけ大人しく撫でられていたが、しばらくすれば役目は終わったとばかりにガルドの隣へと戻っていってしまった。
「……その子も解かるのか? 人間の言葉」
「ああ。まだエグジスタは使えないが、暇な時に俺が教えてやっている」
それを聞いて思わずティオは吹き出した。平野の真ん中で、魔物の親子が言葉の勉強をしているというシュールな風景を想像してしまったのだ。
ガルド達はなぜティオが笑っているのかがわからず、きょとんとしている。が、とりあえずはティオが少し元気を取り戻したことに笑みを浮かべるのだった。
「さて、感傷に浸るのはここまでにして、まずは整理してみるか」
ガルドが仕切り直し、空気を改める。ティオも異論はなく、頷いて肯定を示した。
「まずは魔物の肉を食べてからの変化だが……前例を聞いたこともないから何とも言えん。だが、魔素の生成、それに魔素を取り込んで血肉とするのは――魔物と相違ない」
「……そう、か」
ガルドはティオの方を見て、何か言いたそうにするが、結局何も言えず、話を続ける。
「ただ、魔素を視認出来るというのは聞いた事がない。魔素を生み出す性質上、お前たち人間よりは魔素に対する感覚は鋭いはずだがな……」
「…………」
ティオは顎に手を当てながら聞いていた。疑問はあるが、答えが出るとも思えない。僅かに考え込んだ後、頷いて話の続きを促した。
「次に、魔術の強化については……すまんがわからん。俺は魔術に関しては門外漢だからな」
「まぁ……仕方ないな」
「――だが」
ガルドの言葉を聞いて一瞬残念そうな表情を浮かべたティオだったが、続く言葉に再びガルドへと視線を向ける。
「気付いているとは思うが、俺の風のような技能は魔素に依存する。性質としては魔術に近いものだ。それには体内で生成した魔素を使うんだが、これが案外不安定でな、精神的な影響を強く受ける。自身の状態によっては、魔素が活性化して威力が上がるときもあれば、逆に制御すら難しくなることもある」
「……魔素によって術に影響が出る?」
それは魔術には無かった、少なくともティオは知らなかった概念だ。そもそも自然界の魔素に質も何もなく、魔術に影響することは無い。精々、魔素の量を気にする程度だ。
だがガルドの言うことを信じるのであれば、魔素にも質がある。
おそらく自然界の魔素はほぼ同質なのであろうが、それよりもティオが生成した魔素の質が高いという可能性は大いにある。それならば魔術の強化にも一応の説明はつく。
「そうだ。まぁ技能と魔術が全く同じものという訳でもないし、あくまで推測だがな」
「いや、可能性は十分あると思う。ありがとう、参考になった」
申し訳なさそうにするガルドに、ティオは首を振って答える。
魔術は魔素を原動力にした技術だ。目の前の焚き火がそうであるように、燃料の質が良ければより燃え盛り、火力も上がる。魔術にも同じことが言える可能性は高いだろう。
「すまんな。しかし、魔術とエグジスタの両方を扱える高位の魔物であれば、或いはもう少し詳しい話を聞けるかもしれん」
「魔術を扱える高位の魔物って……悪魔種か精霊種か? 現実的じゃないな……」
ガルドもティオと同意見なのか、唸りながら頷く。
魔物には一部魔術を扱えるものがいる。その代表格が高位の悪魔種、精霊種である。先日ティオが倒したゴブリンシャーマンの様な変異種もいるが、ゴブリン種を除けばその数は多くはない。少なくとも、探そうとして探せるものでは無い。
かといって、悪魔種は人類の天敵とすら言えるその性質から、まともに話を聞けるとは思えない。むしろ確実に殺し合いが始まるだろう。
そして精霊種。精霊種とは妖精や神霊と言った実体を持たない者を指すが、悪魔種とは正反対の意味で厄介だ。彼らは臆病、排他的な性質なため、基本的に他者から身を隠す。彼らと出会うというのがそもそも無理な話である。
「だいたい、エグジスタを扱えるかどうかなんてどうやって見分けるんだよ」
「普通に話しかければいいさ。相手に応える気があるのなら何かしら返答が来るだろう。攻撃で返って来るかもしれんが……」
少しばかり自棄気味になるティオに、ガルドが当然の様に答える。
その攻撃が致命的なんだという文句を飲み込み、ふと疑問に思ったことをガルドに問いかけた。
「……今更だけど、俺に話しても大丈夫なのか? 少なくとも俺はこんな技能聞いたこともないし、あんたたちはこの技能を隠していたりはしないのか?」
「別にそんなことは無いぞ? 人間達に伝わっていないのは、ただ単にその機会が無いからだろう」
あっけらかんと答えるガルド。ティオの反応を待たずに続ける。
「普通は、エグジスタを使う機会なんて無いからな。人間のことを敵としか見ていない奴は言わずもがな、そもそもこの技能自体を嫌うやつも多い。一応、エグジスタを使って人間と共に生活している変わり者もいるらしいがな」
「なるほど。言われてみれば確かに……」
ガルドの説明を受け、ティオは納得を示す。事実、この友好的と思えるガルドでさえ、初めは殺し合ったのだ。フィアの乱入が無ければどちらかが死んで終わりだっただろう。
「過去には性質の悪い悪魔が人間に化けて都市に入り、町中で大暴れすることもあったらしいが、高位の悪魔が変化した瞬間に居合わせた人間が生き残ることはないだろう」
「ああ……」
ティオが表情に嫌悪を浮かべる。魔物であるガルドでさえも言葉の端々に嫌悪を滲ませていた。
ティオが今までに習った歴史の中には確かにそういった事件がいくつかあった。都市の中に突然現れた悪魔によって都市が壊滅、生き残りは僅か、といったような歴史的な大事件だ。
未だ大きな謎とされている都市への侵入手段が思わぬところで解けたわけだが、それを言っても誰も信じないだろう。
少し考えるが対策出来るものでは無いと悟り、頭の端に置いておくに留めて話を続ける。
「あとわからないのは、魔素の制御能力か。肉体が変質してすぐにそれが出来たというのであれば勘違いも解かるが、さっきも言ったように、普通の魔物は魔素をそのまま体外に出すなんて出来ない……はずだ。他に、思い当たることはないのか?」
「思い当たること、か……」
正直に言えば、ティオには心当たりがあった。言わずもがな、ルミナ・ロードである。
元々、ルミナ・ロードの恩恵で魔術感覚や魔素の制御能力が強化されていた。それはティオも気付いていた。そして、イグス達がそれを隠そうとしていたことも。
それなりに魔術の腕と知識が増えれば自ずと辿りつくことではある。己の能力の異常性と、その原因に。それを隠そうとした父と師匠の真意に。その想いも受け止めて、ティオはここまで成長できたのだ。
そしてその父との約束の一つに、センスのことは信頼できる者以外には教えないという約束があった。それはもちろんティオも覚えているし、違えるつもりもない。その上で、ティオは告げる。
「一つだけ、ある」
迷わなかった。まだ会って間もない、魔物で、殺し合いすら演じた相手。それでも、ティオは信じることに決めた。
ガルドならば有用な答えをくれるかもしれない、という打算も確かにある。だがそれ以上に、信じたいと思った。
なんとなく、本当になんとなく。ガルドにイグスの面影を見たのだ。
「俺にも、ある。エグジスタと同じ、ギフテッド・センスが」
ティオの視界に映ったのは、焚き火に照らされたガルドの、驚いたような、納得したような表情だった。




