嵐の王
「きゅー……」
ティオが魔術で生成した水で顔を洗っていると、洞窟からのっそりとした足取りでアルミラージが出てくる。
寝ぼけているのかどうかは判らないが、半目で起ききっていないのは確かなようだ。
「アクアス」
ティオの指先に拳大の水球が浮かぶ。そしてそのまま指で弾く、たった今起きてきたアルミラージに向けて。
「きゅぷっ!? きゅ、きゅいっ!?」
水球は寸分違わずアルミラージの眉間に直撃して破裂した。当の本人(本兎?)は突如自分を襲ったものが何なのかわからないのだろう、大慌てしている。
「ははっ、ほら、いい加減目を覚ませ」
言いながら、布でアルミラージの顔を拭う。状況を把握できたのか大人しくされるがままになってはいるが、不服そうに呻り声をあげている。残念ながら甘え声と大差ないが。
「こんなもんだろ。さて、朝飯にするか」
「きゅ……」
未だ不満そうな声をあげるアルミラージを無視して焚き火跡の方へ歩いて行く。そこには昨晩の残りをいれた蓋付きの器があった。無論、ティオが魔術で作ったもので、密閉こそ出来ないものの、虫などを防ぐ簡易な保存容器といったところだ。
容器から取り出した焼きドードーを魔術で再度熱してからかぶりつく。
空いた手に魔素を纏わせ、アルミラージに突き出してやればさっきまでの不満を忘れたように夢中でそれを取り込んでいった。
「さて、今日はどっちを探索するか」
「きゅいっ」
今日進む道を考えているとすぐ足元から無駄に元気な鳴き声が聞こえた。
「お前、どこまでついてくる気なんだよ……。家族のところに帰らないのか?」
アルミラージの睥睨しながら呟く。当然、その問いに答えるものはいない。足元のアルミラージは首をかしげるばかりである。
「まぁ、好きにするといいさ」
「きゅいっ♪」
言って、ティオは先を進む。後ろからは『言われずとも』とでも言わんばかりに元気な返事と、跳ねながらついて来る足音が聞こえていた。
昨日は洞窟の正面方向を探索した為、今日は右手の方角を探索していた。探索、と言ってもこれといって状況を進展させるようなものは見つからず、かれこれ2時間ほど歩き通しだ。
途中何度か魔物と遭遇するも、今までと同じ様に隠れて進むか、薙ぎ払いながら歩を進める。
「しかし、こうも景色が代わり映えしないと、進んでる方向も怪しくなってくるな。目印を見失わないようにしないと」
ティオの言う通り、周囲の景色はほぼ変わらず、木々が並ぶばかりである。更にその背の高い木々が日光を遮り、日中にも拘らず仄暗い。目指す方角がずれても不思議ではない。
目印を見失わないように注意し、さらに1時間ほど進む。そろそろ昼飯でも捕まえようかと考え始めた頃、視界の先、薄暗いはずの森の先から光が見えた。
「まさか……外っ!」
弾かれたように駆け出す。現在位置が分からないからこそ、出口がすぐ近くにある可能性もあった。可能性は低いと考えていたが、うれしい誤算に思わず顔が綻ぶ。
そして、勢いそのままに森を抜けた。
視界を光が包む。薄暗いところから急に明るいところへ出たため、一瞬視力を奪われるが、しばらくして少しずつ見えるようになっていく。
そして見えた景色に、思わず嘆息した。
「うわぁっ……」
そこには一面に広がる草原があった。
芝生の様な草が生い茂り、果実らしきものが生っている木も見える。所々に大岩が鎮座しており、その上で小鳥が休んでいる。見える範囲には魔物はおらず、その長閑な雰囲気を邪魔する者はいなかった。
日光浴でもすると気持ちいいだろうな、と少しずれた考えが浮かぶ。さっきまでの薄暗い森とは正反対、遮るものの無い大空が眩しかった。
爽やかなそよ風が頬を撫でる。薄暗い上に魔物出るような森を歩いていればどうしても気分は鬱蒼としてくるが、そんな気分さえ吹き払ってくれるようだった。
「風が気持ちいい……。こんな場所があったんだな」
言いながら周囲を眺める。平原の先にまた森が見えた。残念ながらまだ常夜の森を抜けたわけではないようだ。がっかりしていないと言えば嘘になるが、それ以上にこの場所の空気が心地よかった。
「きゅいっ♪ きゅーい」
見ればアルミラージもはしゃぎながら草原を飛び跳ねていた。ティオは苦笑しながら周囲を見渡して見える範囲に脅威となるものがないことを今一度確認する。……どうやら危険はなさそうだ。
空を見上げ、太陽の位置とおおよその時刻で方角を割り出す。結果、おそらくここが洞窟の西側にあるだろうことがわかった。
来た方を振り返れば遠くに山が見える。森の中央にある魔山だ。東にそれが見えたと言うことは、ここから西に突っ切るのが一番出口に近いだろう。
記憶の中の地図と、山までの目測距離を照らし合わせ、出口までの距離の見当をつける。おそらく、休息などを含めてもあと1日か2日ほどで森を抜けられるだろう。
ようやく希望が見え、ティオの目頭が少し熱くなる。かぶりを振り、とりあえず一息入れようと正面にある大きな岩の陰を目指して歩き出した。
脱出の目処が付き、意図せず足が軽くなる。しかしその分、周囲への注意が疎かになっていた。なってしまった。
「――ッ!?」
瞬間、悪寒が襲う。今まで幾度も感じたその感覚に、考えるよりも早く、本能でその場を飛びのく。
一瞬前までティオがいたその場所に淡く光る透明な球体が飛来し、烈風を生みながら地面を抉り取った。
反射的に球体が飛んできた方向を見やる。その先に見えたものに、ティオは顔色を変え、自分の知識にあるその魔物の名をかすれた声で呟いた。
「――ストーム……タイガー」
大きな赤い瞳が岩の陰に光る。絶大な存在感を放つその魔物の名はストームタイガー。風を繰る白銀の虎であり、そのランクは、トロールすらも凌駕する6。
並の人間では絶対に敵わない、最強の虎だ。




