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刃の雫〜tear of shadow〜

作者: 玖琉 時斗

丸くなりかけた月が輝く夜。

不気味で不自然なほど静寂な時間が過ぎる。

秋も半ばでいつもは五月蝿い虫声も、一匹も聞こえない。

ただ風で擦れる葉音だけが耳に届き、流れていった。

何か悪しき自体が起こる前兆だとでも言うようで薄気味悪い。

灯籠の燈す明かりだけが室内を暖かくし、暗闇に沈みかける気持ちを慰めているように思えた。


「はぁ……」


褥の上で胡坐を掻きながら、小野影慶オノノカゲヨシは既に何度目かわからない溜め息を吐いた。

自分でも無意識に。

ふと何かを考える素振りを見せる度に、まるで癖のようについて出る。


「影慶様。如何なされました?」


闇の向こうに気配が現れる。

彼は長くこの影慶に仕える忍の鬼塚凛晃オニヅカリンコウ

忍びであるが故に姿を見せてはいないが、声から心配の色が伺えた。

それだけ長い付き合いで、仕事間近以外では親しく話す仲だからこそ解る。

影慶は、心配させまいと微笑んだ。


「何でもない。それよりお前もそろそろ休め。明日は出陣の日だ」


訝るような視線が向けられているのが、伝わってくる。

それでも笑みを絶やさずにいると、やがて諦めたのか小さな溜め息が聞こえた。

だが、まだ不本意そうな声音で返ってくる。


「……影慶様も早くお休みになられませ。貴方様はこの度の政に必要な方。重要な役割を担っておられるのですから」

「ああ……、わかっている」


それを聞き届けると、凛晃の気配がすぅっと遠のいて行った。

そのことを感じ取ると、影慶は再度溜め息をついた。


『この度の政に必要な…』

「……わかって…る」

『重要な役割を担っておられるのですから』

「わかっている。だが……!」


影慶は掠れる声を絞り出した。

明日は久方ぶりの戦だ。

しかし、影慶は全く気が進まなかった。

それは元来から戦を嫌っているからに他ならない。

否、好きな者など阿呆な貴族くらいのものだろう。

実際、今仕えている主は戦好きだ。

自分では闘わず、下級の武士達に血を流させ、殺させる。

いわば遊びの一つなのだ。

自分より下の者を道具としか思っていない。

影慶はそんな中、隠密機動の班に配属されており、班長の役目を負っている。

隠密と言っても凛晃のような忍というわけではない。

忍んで行動するという点では同じだが、主な仕事は闇討ち。

相手が下級なら、眠りについている時に活動する。

だが攻める方の戦では、相手の裏を掻き、本陣に敵の目が向いている隙に近づき、敵大将を死なない程度に傷付け捕らえる役割となる。

死なない程度にするのは、主が殺らねば見せしめにならないからだ。

影慶がこの班につくようになったのは、その行動の速さと、急所を一瞬で切り裂く正確さからだった。

気の進まない話ではあったが、主の命に逆らう事は許されない。

だからいつも自我を押し殺し、無心となって人を殺めてきた。

しかし、今回の出陣は普段に増して、気が重かった。

敵大将が問題なのではない。

ただ、向こうには決して交えたくない相手がいる可能性があるからだ。

その者の顔を思い浮かべ、影慶は三度息をついた。

仕方なしに褥に潜り込む。

ふと隣に置かれた刀に目をやると、繋がれた紐で手繰り寄せ、腕に掻き抱いた。

そして、瞼を重く閉ざした。

あいつに出くわさないように。

闘うことのないように。

そう祈りながら、意識を沈めた。





翌日。日が傾いてきた頃。

影慶の属する藩は、敵との中間地点に差し掛かった。

相手方も調査済みで、其処ではち合う。

主の指揮と共に殺し合いは始まった。

幾人もの人が斬り、そして斬られていく。

奮起も徐々に上がり始めた。

そんな時、受け方の敵大将は手薄となる。

影慶の率いる班は、戦いを横目に本拠地に向かって駆けていた。

手薄と言っても、全く敵がいないわけではない。

少数での戦いのうち、残るは影慶・凛晃ともう一人だけとなっていた。

がさりと草を掻き分け、踏み締める音が近づく。

影慶たちは背を向かい合わせて、辺りに警戒を向けた。

がさっと一際大きな音がして、6、7人が舞い来る。

その姿を見咎め、動こうとする二人を影慶は手で制した。

手を出すなという意思表示だ。

影慶は目を細め、下限で構えると、一気に踏み込んだ。

キンという音が響き、刀が地面に突き刺さった。

敵がばたばたと倒れていく。

まさに一瞬のことだった。

凍て付いた瞳で亡骸を見やると、刀についた血を振り払った。


「っ!影慶さっ…ま……」


ふいに痛切な声が響いた。

それは共の一人の声だ。

どさりと落ちる音がして、影慶と凛晃は振り返った。

血溜まりができ、彼の息はづ既に事切れているようだった。


「…かげよし?」


その彼の隣で、男が訝しげに同胞が呼んだ名を反復する。

小さいが張りの利いた、低く響く男の声。

その声には二人とも聞き覚えがあった。

一年と半年前以来、聞くことが叶わなくなった声。


「み、つ…ひで?」


すっかり暗くなり、月明かりで顔が覗く。

口元には薄い笑みが浮かんでいる。

彼は旧友であり、親友の安岐杜光秀アキモリノミツヒデであった。

名は光と影という相反したものであったが、出会った時からそりが合った。

だのに、急に西へ行くという文を残して姿を消したのだ。


「やっぱり影慶か。ということは、そっちは凛晃か?」


くすりと笑って光秀は言った。

影慶はもはや姿を隠す意味がなくなったので、闇色の長布を取った。

高くで一つに縛った黒髪が動作に合わせて揺れる。

その姿をはっきりと見止めた後、光秀は辺りを見渡した。


「相変わらず綺麗な斬り方だな。顔は少々老けたみたいだけど」


光秀はくすくすと可笑しそうに笑った。

対し影慶は、厳しい瞳で見やる。


「……何故、お前が此処にいる?どうして一年半前、俺達の前から姿を消した?」


その問いに、光秀はすぅっと目を細めて、口先だけに笑みを乗せる。


「さぁて…ね」


言葉を言い終えたと同時に、光秀の姿がふと消えた。

否、消えたように見えただけだ。

次の瞬間には、凛晃の眼前に迫っていた。


「覚えてるよなぁ、影慶?俺の足速は唯一お前に勝っていると!」


凛晃は突然の事態に判断が鈍り、動けずにいた。

光秀は下弦から刀を振り上げた。

鮮血が辺りに飛び散る。

凛晃が後方に倒れこんだ。

次いで、光秀が地面に膝をついた。

刀から手を離し、そのまま口元へ運ぶ。

途端、口から赤い霧を吐き出した。

彼の胸に、一本の刀が貫き通され、多くの血が溢れ出ている。


「な……なぜ?」

「…これも覚えてないか?お前の方が条件反射が速い…」


突き立った刀は、影慶のものだった。

凛晃は上体を起こし、自身の身体を確かめる。

だが、何処も斬られていなかった。

それは自分が斬られる前に、影慶が光秀を斬ったからに他ならない。

刀がずるりと抜かれると、光秀は傾いでその場に倒れた。


「何故…刀を引いた?応えろ…光秀!」

「……こうでもしねぇと、影慶は…俺を斬れないだろう?」


困ったような、悲しそうな曖昧な顔で、浅い呼吸を繰り返しながら、彼は笑った。

影慶は悲痛な面持ちで、地に力なく座り込んだ。


「どうして、こんなことを…」

「俺は…な。もう戦をしたくなかったんだ。…あそこを出れば、戦は今より少なくなると思った。でも…っ!」


口から新たに血が吹き出る。

影慶は、もう声が出なかった。


「でも…、其処でも変わらなかった。戦好きの貴族ばかりで…。俺って、馬鹿だよなぁ…」


静かに語られていくのを、二人は黙って聞いていた。

光秀は震える手を伸ばし、影慶の袂を掴んだ。


「影慶…。お前がこの時代を変えてくれ……」


その言葉に影慶は、目を見開いた。

光秀の手は次第に冷たくなっていく。


「俺の…最後の頼みだ……。…お前になら…できる。だから…頼んだ……ぞ」

「勝手なことを!っおい、光秀!?」


声が小さくなっていく友の名を影慶は必死に呼び掛ける。

だがそれすらも聞こえていないように、光秀はふわりと幸せそうに笑った。


「それから……ありが…とう。…すまなかっ…た……」


血が広がるのを止めた。

それきり光秀は動かなくなった。

暫らく影慶は俯いて、光秀を見続けていた。

不思議なことに涙は出てこなかった。

衝撃の方が強過ぎたのかもしれない。

影慶は自分と光秀の刀を手に取り、静かに立ち上がった。


「影慶…様?」


訝しんで凛晃は小さく呼びかける。

その声に反応して、影慶が顧みた。


「凛晃…。俺は今から全てを裏切る。……共に来るか、否か?」


刃が首元に突きつけられる。

影慶の顔からは表情というものが抜け落ち、人を斬る時のものとなっていた。


「勿論、決まっておりましょう…?」


凛晃は頭を下げる代わりに、目を伏せ、礼をとった。


「共に参ります。自分の命が、尽きるまで……」


その返答に刀が引かれる。

このようなことをされずとも、凛晃の応えは決まっていた。

自分を友と呼び、命を救ってくれた恩人に死ぬまで尽くそうと――。

元々捨て子だった凛晃を拾ってくれたのが影慶だった。

死を待っているだけだった己に、生きても良いのだと光をくれた人。

そんな影慶以外の者の下で生きるなど毛頭なかった。

影慶は一度視線を落とし、安らかに眠る光秀を見やった。


「お前の望みを叶えよう。…行くぞ」

「御意…」


月明かりだけが照らす、薄暗がりの中。

二人は胸に刻んだ目的を果す為、駆けていった。





その後、影慶達は当初の敵をその手で討った。

それは本来の任務に叛く行為。

そして、もう一人の旗頭の元にも二刀使いが現れた。

滅ぼされるのにそう時間はかからなかった。

その現場を見て生き残った者は、その光景を地獄絵図のようだと言った。

鬼人と化した男と、その従者。

二人は元主の軍勢を滅ぼした後も様々な戦地に突如現れては全滅させた。

そして数多の戦が止む頃、ふっと姿を消したという。

以来、毎年この事件があった日には、唸るような風と激しい雨が降る。

これは影慶と凛晃があの時に涙を流さなかった分、友の死と時代に悲しんで泣いているのだと長く語り継がれた。





たとえ嫌でも、その時はやってくる。


望んでいないのに。


願っていないのに。


それでも動き続ける。


運命の歯車は、誰にも止められないのだから――。

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