第8話 ニート、窮地に襲われる
「る、るみちゃん・・・。」
そして、名前を呼ばれただけなのに、茜は体をプルプルさせながら俯いている。
俺の脳裏に焦りが生まれた。
(やってしまった。ま、まさかこんなところに落とし穴があるとは思わなかった。
どう挽回するべきか。う~ん)
焦りの次に来るのは当然打開策を思案することだが、
今日の朝までニートだった俺にこの窮地をうまく抜ける言葉が
そうそう上手く思い浮かぶはずもなく、訪れる沈黙。
それでも、何か言わなければ、そう思った次の瞬間だった
茜が俺の体に想いきり抱きついて来たのは。
それも輝くような笑みを浮かべながら。
「やっと!!やっとるみちゃんが私のことを“茜”って呼んでくれたぁ~!!
すっごく嬉し~!!」
茜は心底嬉しそうにそんなことを言ってくる。
どうやらこの茜という少女は俺が今入れ替わっている瑠美という
少女に呼び捨てにされたかったようだ。
こんな体験をしたのは初めてだったこともあり、反応に困った。
しかし、ひとまずは安心した。
(それにしても呼び方ひとつでここまで反応が変わるのか。
これからは気を付けかないいとな。少しのことでぼろが出てしまったら、
この子の将来に響きかねない)
そんなこんなで少しヒヤッとしながらも、無事に昼食の時間は終わった。
そして、後は教室に戻って、午後の授業を受けて帰るだけ。
そんな淡い幻想をお昼休みが終了する10分前まで思っていた。
(あ~。この状況は本当にやばいぞ!
軽く犯罪者の域に入っているんじゃないのか)
遡ること9分前。
昼食を終えた俺と3人は教室へと戻っていった。
ここまでは俺にとっては想定内の状況だったし、次の授業は何かなと考えていた。
しかし、突如として想定外なことは起こるものであった。
「あ、そういえば次は体育じゃない??」
唯が発したその言葉が俺を含めた3人の間に流れた瞬間、一斉に硬直した。
思い返してみれば、不自然だった。
俺たち4人が教室に戻ってきたとき、なぜか俺たち以外の人はいなかったのだから
そのことにいち早く気づいた。いや思い出した唯のその一言。
「うわ~!!完全に忘れちゃってたぁ!!」
「やばいじゃん!!遅刻なんてしたら鬼川先生に怒られちゃうじゃない」
「そうね!急いで着替えましょう。ね?瑠美」
口々に焦りの言葉を浮かべる2人、
それに対応した唯の着替えましょうという言葉。
女子高生としては何らおかしくもなんともないこの状況。
しかし、俺はそんな3人とは別の焦りに頭を悩ませる窮地に陥っていた。
(え、着替えって・・・。あの着替えだよな。今着ている服を脱いで、
違う服に着替える。あの着替えだよな。うん。それは分かっている。
でも、それって男の俺が女の子の体操服を着るってことで。
それはまあ、百歩譲ってもいいとしてもだ。いや全然よくないけど。
今着ている服を脱ぐって言うことは当然、その下にある下着が
目に入ってしまうということだよな?うん。絶対にダメだ!!)
俺は思考を今までなったことがないくらいにフル回転させ、答えを導きだした。
着替えてはいけない。それが俺の中での正解だった。
こんなうら若き女子高生の肌や下着を見てもいい権利は俺にはないのだ。
それがたとえ、自分が女の子の体と入れ替わっていたとしても、ダメなことだ。
と思いながら、自分の着替えを放棄しようとした。
しかし、俺が一向に動き出さないのを見兼ねたのか、声をかけてきた唯は
俺が座っていた座席から何かを取ってくると、俺に手渡してきた。
どこからどう見ても、それは体操服だった。
そして、それと共に唯から「どうしたの?早く着替えないと怒られるわよ?」
と投げかけられてしまった。
俺のさっきまで考えていた論理が音を立てて崩れ去っていった
(そうだ!!もし俺がここで着替えずに体育に行きでもしたら、
絶対に怒られてしまう。そんなことになれば、
この子の先生からの信頼に傷がついてしまうかもしれない。それもダメだ)
着替えれば、俺には女子高生の体を無断で見たことによる
道徳的な死もとい社会的な死が待っている。
しかし、着替えなければ、この速見さんが築き上げてきたものが
失われてしまうかもしれない。
どちらかを選ばなければいけない二つの選択肢に俺は悩んだ。
しかし、今俺が最優先すべきことはどちらなのかと考えた時、
答えはすぐに決まった。
(よし。着替えを始めよう・・・。)