第55話 海百合千草②
少年はその男の蹴りが入るたびに痛みで顔を歪めていき、
苦しそうな声を上げている。
優季はそんなおぞましい光景に思わず硬直してしまう。
(なんてひどいことを・・・。それもこんな公衆の面前で・・・。)
少年の体にまた新しい傷が浮かんでいく。
加減を知らない男の蹴り
しかし、そんな男を止めようとするものはどこにもいない。
先ほどからこの異様な光景に目を伏せて公園から立ち去っていく者や
見物人のようにただただ見ている者の姿が目に映っていく。
(助けてやれよ)
優季自身も動けずにいたが、それでも誰か助けてやるべき状況だろう。
だけど誰も少年を助けようと動こうとはしない
その間にも少年は痛みに苛まれているというのにも関わらず、
人は自分と関係がないとこうも無関心になれるものなのか。
優季はこの世界の現実を叩きつけられたような感じがして、心の底から震えた。
それと共に、彼の中にあった正義感がこのままでは良くないと警鐘を鳴らす。
そして・・・。
優季は硬直していた足に力を込めると、そのまま地面を蹴った。
少年をこの無情な世界から助け出すために。
千草はもうすっかりこの状況になれてしまっていた。
本来慣れてはいけないようなことなのに、
継続的に行われていたことだから、
この痛みもこのどうしようもない怒りにも慣れてしまい、
次第にその心はすり減っていた
誰もボクのことを助けてなどくれない。
遠巻きに見るか立ち去って行くかの2択なのだろう。
最初は「誰か助けて」という言葉を発することもあった。
けれども、誰も助けてはくれない。
どころか、この父親ではない男の怒りがさらに助長され、
蹴りや殴りがきつくなるだけ。
意味などなかった。
だから助けを求めることを止めて、
痛みを堪えることに力を入れることにした。
今もどうせ助けなんて来ないのだろう。
あのお兄さんもボクの事なんて気にも留めずに逃げたに違いない。
ボクは目を閉じる。
目を閉じたって、何も変わらない。だけど周りを見なくていい。
男の怒り狂った表情も傍観者たちの視線も見なくて済む。
ボクは生まれてきてよかったのかな・・・。
千草が目を閉じた瞬間、男の蹴りが突然止まった。
いつもより早く怒りが収まって止まってくれたのかなと思った。
けれども、それは違った。
“止まった”のではなく、“止めさせた”のだ。
「チッ!痛ってぇなぁ!!何すんだ!!!てめえ!!!!」
男は突然、自分より若い男に殴り飛ばされ、地面に転んでいた。
立ち上がろうとする男の前に若い男が立ち塞がると、小切手を落とした。
「それは今殴った慰謝料とこの子をあなたから貰い受けるためのお金だ。」
男は咄嗟の事だったが、その小切手を凝視する。
そこに書かれていた数字は1億円というおおよそ普通の人では
手に入ることのない大金だった。
男は目を白黒させたかと思うと、すぐさま立ち上がり、
こちらに脇目も振らずに公園の外へと飛び出していった。
おそらく、小切手を換金しに行ったのだろう。
優季はそんな男が視界から消えるのを確認すると、
傷付いた少年を抱え、公園から消えた。




