Scene One トンプソン警部は自責の念に駆られる
アボット・トンプソンは溜息を吐きながらサイレンが鳴り響く空港のロータリーを闊歩していた。ロサンゼルスという街は定年間近である自分をよほど愛しているらしい、警察学校を卒業して長い年月が流れたが一度も気の休まる時を与えてくれなかったからだ。
「警部、負傷者は数人で死者は出ていません。」
「午後の入国ラッシュ時の事件だったのだろ、運が良かったとしかいえないな。」
若い名前も知らない刑事の報告を受けながら肥満体型のビール腹を揺らしてトンプソンは反応の鈍い自動ドアに悪態をつきつつ空港の広い待合ロビーに足を踏み入れた。丹念に磨かれたクリーム色の床にはまだ生々しい血の跡が残っていて事件発生時のパニックがトンプソンの脳裏に浮かんだ。
「犯人が使用した銃はショットガンだったとの証言があります。」
「ショットガンか。アイツを彷彿とさせるな。」
「アイツとは誰のことでしょうか。」
トンプソンは若手刑事の問いかけを聞き流し、床に散乱している薬莢をハンカチ越しにつまみ上げた。
「ショットガンが使用されたと言ったな。」
「ええ、目撃者は多数いますが。」
「これはイサカM37の薬莢だ。やはりアイツだったな。」
「警部。アイツとは一体誰のことなのですか。」
トンプソンは首を振りながら白いものが混じり始めた口髭に指をやった。ロサンゼルスでこんなマニアックな銃を扱うのはごく少数の人間だ。
「狂犬カッシングだ。お前はまだ新人のようだがカッシングの名前だけは嫌というほどに頭に叩き込まれるからな。」
「カッシング・・・ですか。」
「ああ、この街で一番精神科医の世話になった方がいいファック野郎だよ。」
薬莢を持参してきたジップロックの中に放り込むとトンプソンの視線が不自然なものを捉えた。ロビーの脇にある飲食店の椅子に一人の東洋系の顔立ちをした男が座らされている。
顔つきはまだ子供っぽいことから未成年であることが分かる。トンプソンはジップロックをポケットに仕舞うと婦警と刑事に囲まれた少年に歩み寄った。
「やあ、とんだ災難だったな。」
「え・・・はい。すみません。」
予想外に流暢な英語を口にした少年を一瞥するとトンプソンは刑事と婦警に目配せをして立ち去らせた。ロビーの中央に置いてかれた若い刑事も状況を察して現場検証を行っている一団と合流していった。それを見送るとトンプソンは再び口を開いた。
「ロサンゼルスの出身ではないね。訛りはオーストラリアに近いな。」
「ええ、十三歳まではオーストラリアで育ちました。」
「そうか。ロサンゼルスには何の予定で来ていたのかな。」
「留学です、といっても親の都合が殆どなのですが。再従姉の家に居候することになっています。」
「大変だな。今日到着したのかい。」
一瞬少年の表情が曇った。事件発生時の様子を思い出したのだろう。トンプソンは彼が返答するまで待っていた。
「そうです。到着して再従姉の迎えを待っていたら・・・。」
「男が銃を乱射したのか。」
「はい、そうです。ショットガンでした・・・、映画でよく見るような。」
トンプソンはポケットに仕舞った銃弾を手で触れた、数時間前にこの銃弾は銃口から発出された。しかし有難いことに人の体には当たらなかった。
「不可解な報告を受けたのだが、君が現場にいたという少年かい。」
「ここにいるっていうことは、そういうことですよね。」
「そうだな。先程の婦警と刑事から何か説明を受けたかな。」
「はい。君は重要参考人だとか言われました。」
「その通り、なぜ君が重要参考人なのか分かるかい。」
「唯一現場で無事だったから、ですか。」
トンプソンは鋭い視線を少年の方へと向けた。
「正解だ。現場にいたその他は全員負傷し、証言できる状況にない。」
視線は少年の淡い茶色の混じった彼の黒い瞳を捉えた。
「教えてくれるかな、君が無傷でいられた訳を。」
少年はしばらく俯いていたが何かを決心したように顔を上げ、真っ直ぐトンプソンの目を見てきた。若者に特徴的な純粋で何の躊躇いもない眼差しだった。
「正直いって分かりません。運が良かったのでしょうか。」
トンプソンはそれを聞真顔で睨み返したが思考がある結論に到達すると微笑を浮かべた。
この少年は嘘をついていない。ただ何も知らないだけだ。この少年からはこれ以上の情報は得られないだろう。トンプソンは少年の方を叩くと軽快に笑ってみせた。
「コーヒーはミルク派かい、それとも砂糖派かな。」
「ミルクと砂糖、両方で飲みます。それが何か。」
「後で持ってこさせるよ。手間をかけさせたね、ミスター・・・」
「イムラです。エイタ・イムラといいます。」
「捜査協力に感謝するよ、イムラ君。ロサンゼルスで良い滞在を。」
トンプソンは現場検証の一団に向かって足を踏み出した、するとイムラがそれを唐突に呼び止めた。
「あの男は捕まりますよね。」
トンプソンは予期していた質問に内心で毒づくと被害者が最も不安がる説明を強いられた。
目元に皺が寄っているのが自分でも分かる、自分は今同僚がよくいう事務的で冷徹な表情になっているのだろう。
「君の見た男はエイブラハム・カッシング。ロサンゼルスで一番の危険人物だ、そして毎度のように事件を起こすが何故か当局に圧力がかかり逮捕された試しがない。」
「え・・・。」
「君も不良やストリートの連中とは関わるなよ、早死するか悪党になって警察のお世話になるかのどちらかだ。カッシングと二度と会いたくなかったら馬鹿な真似はしないことだ。」
唖然とする少年を残しトンプソンは封鎖されたロビーを反対側の事件現場まで横切るように歩き出した。トンプソンは少年の視線が背中に痛い程感じられた。