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第一章 〜 十六





 搭乗アナウンスが流れて、正巳はその場で立ち止まった。

 大勢の、自分と同じ飛行機に乗って渡米する客達が横を通り過ぎていく。

「…じゃ、俺行くわ」

 告げる正巳の傍には、三人の一年生。

 あれから四日。

 当初の予定通り、昨日の午前中に大型荷物の廃棄を業者に任せて今日の出発に合わせた正巳は、しかし空港近くのホテルではなく、佳一の家に一泊した。

 そうして今日、家を出ようと扉を開けたそこには時枝と久津木の姿が在った。

 今日は平日、彼らは普通に授業があるだろうに、空港まで正巳を送ると言って譲らなかった

のである。

 あの日の翌日、それまでの疲労が一気に出て体調を崩した正巳は、一度も学校に行くことなく今日を迎え、別れのときは刻一刻と近づいていた。

「ありがとな、ここまで送ってくれて」

「いいえ。大事な先輩のためですから」

「っ、そういう妙な言い回し止めろ!」

 わずかに頬を赤くして言い放つ正巳に、佳一と時枝が笑い、久津木も苦笑いする。

「ったく…」

 くすくすと笑う彼らに腹立たしいものは感じながらも、もういい加減慣れなければならないのかもしれない。

 何せ自分は…。

「……昨夜も、見たな」

 突拍子もなく呟かれた内容に、しかし佳一は嬉しそうに頷く。

「ええ。楽しそうでしたね、みんな」

 正巳があの夜と同じく和室に泊まった昨夜、彼らは再び夢を見た。

 それは泣いている“彼女”の姿ではなく、湖の畔に集う彼女達でもなく、広い世界に広がる緑の大海原。

 そこを駆けずり回る小動物、何か不思議な術を使って丘の上を飛翔する子供達。

 誰の表情も明るく。

 それを、やはり笑顔で見上げる“彼女”の傍には佳一がいた。

 正巳もいた。

 誰の顔も幸せそうだった。

「…やっぱ、二人だと違うんだよな」

「ええ」

「俺、役に立てるかな」

「もう実証済みじゃないですか」

 おかしそうに佳一は言う。

「それに、俺も一人であの部屋にいるよりずっと楽しかった。先輩が居てくれるだけで世界が違って見えますよ」

「…よく言う…」

「あ、もしかして信じてませんか?」

「おまえは言うことがいちいちクセェんだっつーの!」

「ひどいなぁ、俺は正直なだけなのに」

「ケッ」

 二人の遣り取りに時枝と久津木はそれぞれに笑い、久津木が正巳に差し出した袋は餞別代り。

「飲料水とか、気圧の変化で耳が痛くなったりしないようにと思って用意した飴やガムです。よかったら持って行って下さい」

「わ…、サンキュ! 気ぃ遣ってもらっちゃって…、けどすげぇ量だな」

「一応、帰りの分も、と思って」

「――」

「待っていますから。向こうのご家族と話し合って、こっちに帰ってきてくれるの」

「俺ももちろん待ってますよ」

 言って、時枝は自分が持ってきた菓子を久津木が差し出した袋に忍ばせた。

「どうせだったら一年くらい向こうで休んできて下さい。せっかく休学扱いで渡米するんだし、来年帰ってきたら俺達と同級生です」

「あぁ、それは名案だ」

「だろ?」

 佳一が時枝の意見に賛同し、是非ともそれで行きましょうと正巳に言う。

 正巳は、佳一にここに残って欲しいと告げられて、渡米しないわけにはいかないと、彼の申し出を断った。

 米国には自分を案じてくれている伯父夫婦が住んでいて、顔も見ずにいきなり日本に残るとはとても言えなかったし、両親の散骨もある。

 何より、正巳と一緒に暮らすようになるからといって部屋を整え、居間の椅子を増やし、食器を揃え…と、元気付ける意味も含めて日本に残っていた伯母が語ってくれた内容を思い出すと、このまま日本に残るのはあまりに申し訳なかった。

 それでも、伯父夫婦と話し合って、近い内に日本に帰ってこようとは思う、と正巳は続けた。

 高校には転出届を破棄してもらい、代わりに休学届けを提出し、保護者の欄には電話でとりあえず事情説明した後、郵送とFAXで伯父に捺印してもらうことが出来た。

 電話の声しか聞くことは出来なくとも、その声からして正巳の調子が戻りつつあることを彼らは悟り、それが日本の友人達のおかげだということも敏感に察してくれたようだった。

「じゃあ…、ま。一年くらい語学留学するつもりで行ってくる」

「あ、待ってください」

 久津木と時枝からの餞別を持ち、ゲートに向かおうとした正巳を呼び止め、佳一は小声で呟く。

 それは日本語のようで、そうでもないように聞こえる不思議な言語。

 と、しばらくして佳一の腕に現れたのは、あの日にも見た水の鳥。

「ふ、文月、こんな場所でそんな…!」

「平気、俺達にしか見えないようにしてある」

 彼の言うとおり、突然現れ、翼を羽ばたかせているにも拘らず、すぐ脇を通ってゲートに向かう人さえそれに気付く様子はない。

「俺達にしか見えないから、機内に連れて行っても問題ありません。先輩が連れて行ってください」

「俺が…?」

「ボディガードの代わりに。いつまた狙われるか分かりませんからね」

「ぁあ…」

「いくら悪運が強くたって、階段から落ちたり刃物で切ったりすれば傷が出来ます。そういう妖の悪戯から、こいつが俺の代わりに先輩を守ります」

 言いながら正巳の肩にそれを移す。

「猫になれと言えば猫になるし、犬になれといえば犬になる。姿形も色調も先輩が望むように変化させられますから。寂しくなったら“佳一になれ”という命令も可ですよ」

「おまえに?」

「そう。それで添い寝させて下さい」

「っ、あのな!」

 また真っ赤になって声を張り上げる正巳に、佳一は楽しそうに笑った。

「まぁそれは冗談ですが、こいつは俺の力の分身みたいなものですし、能力はかなりのものです。信用してください」

「…名前は…?」

 肩に乗せられた鳥の透き通った瞳を見ながら問うと、佳一は静かに首を振る。

「先輩が好きにつけてください」

「俺が…?」

「ええ。これからのそいつの主人は先輩ですから、犬を飼ったつもりで大事に育ててやって下さい」

「…ん、サンキュ。名前は飛行機の中で考えるよ。…よろしくな?」

 その瞳を覗き込むようにして告げると、小さな頭を正巳の頬に擦り付けてくる。

 水のように冷たいのかと思ったが、意外とふさふさで柔らかな感触に、我知らず笑みが毀れる。

 搭乗アナウンスが再び流れて、搭乗予定でまだ機内に入っていない者は急ぐようにという旨の放送に、正巳は改めて三人を見る。

「じゃ、本当に行くな」

「ええ」

 頷きながら、示し合わせたように背後を振り返る三人。

「? なに?」

「いえ…」

「いえ、って、なんか気になることがあるのか?」

「う〜ん…」

「佳一?」

 どうにも煮え切らない態度の佳一を不審な目で見上げたそのとき、時枝が「あ」と声を上げた。

 久津木が少し離れて、時枝もそれに習い。

 佳一も少し端に寄って正巳の視界を広げさせる。

「―――」

 同時に目に飛び込んできたのは、虹ヶ丘高校の制服を着た十数人の団体。

「市原!」と一番前で駆け寄ってくるのは、教室の前後席、遠藤だった。

「っはぁ…間に合った!」

「ギリギリじゃん!」

「悪い、遅れた」と、同級の男子生徒が向かった相手は何故か佳一。

「せっかく昨日、声掛けてくれたのに、ごめんな」

「いいえ、本当なら学校がある時間ですし」

「そうなのよ、市原の見送り行くって言ってンのに担任が文句つけてきて…とりあえず私達だけで強引に教室抜け出してきちゃった」

 早口でまくし立てるのは隣のクラスの森高千津。

 学校で集合してから空港に、という計画を立てたところ、教師に見つかって口論になったと言う。

「あんたもね! 去年一年、委員会で散々世話になった私に挨拶させるくらいするもんなんじゃないの、普通!」

「ぇ、…」

「市原のいない委員会なんて盛り上がりに欠けるんですからね! 帰ってくるならさっさと帰ってきなさい、でもって委員会にも復帰しなさいよ!」

「え、え?」

「市原、水臭いんだって」

 遠藤が言い、正巳の手を取ると、そこに掌サイズのアドレス帳を乗せた。

 中には同級生達の連絡先と、短くも心のこもったメッセージが添えられている。

「俺達、確かにバカだよ。おまえにどんな声掛けてやればいいのか分かんなくて、気まずい思いさせて、おまえが学校に来たくなくなるのは仕方ないと思った…、熱出して学校来れるような体調じゃなかったのも、あの一年生に聞いたけど、…せめて一言くらい挨拶しに来いよ」

「―――」

「何の力にもなれなかったけど…、俺らは俺らなりにさ、…その、おまえのこと心配してたんだぜ…?」

「…ったく、悔しいよなぁ、ホント。おまえ俺らのこと友達だと思ってくれてる?」

「…、っ…」

「! ちょ、ちょっと市原〜」

 唐突に。

 正巳の大きな目から零れ落ちた大粒の雫に同級生達がざわめく。

「おいおい泣くなって! 帰ってくんだろ、近い内に!」

「だっ…、俺……」

「正巳、おまえさぁ…」

 呆れたような声を出しながら、それでも同級生達から消えない笑み。

 これが現実なら、少しくらい自惚れてもいいだろうか。

 やっぱりクラスの友人達は、優しいからこそ距離を取ってしまっていたのだ、と。

 それくらい、自分は友人達に好かれていたのだと。

「俺…っ」

 嬉しくて、信じられなくて、信じたくて。

 急に別れの寂しさに胸を締め付けられて。

「あぁっ、もう!」

 呆れたような。

 照れ隠しのような同級生達の嘆息。 

「ほんと、帰ってくるなら早く帰ってこいよな! おまえをからかうのが俺達の楽しみの一つだったんだからさ」

「っ…ンだよ、それ…っ」

「だっておまえ反応素直だしさ」

「すぐ赤くなるし」

「怪我ばっかりしてるから、からかうネタ尽きないし」

「おい」

 それは禁句だと、別の同級生がその少年の頭を殴る。

 だがあの日のように気まずい空気が流れることはない。

 起こるのは失笑。

 普通に、以前のように。

 言葉を絶やさない空間を、彼らは持続させようとしてくれていた。

「先輩が、からかい甲斐のある人だっていうのは、やっぱり周知の事実か」

「だろ。どこからどう見ても構いたくなるタイプだし」

 時枝と佳一が口々に言って、正巳に睨まれながらも笑っている。

「……っ…おまえらが呼んだのか…っ?」

「だって先輩、結構気にしていたみたいだから。先輩が気にする人達なら、きっとこんな感じかなって文月が言ったんですよ」

「大正解でしょう?」

 満足そうに言う佳一は、本当に優しい顔をして笑う。

「帰ってきて下さい、この場所に」

「必ずね」

「俺達全員、待っていますから」

 佳一、時枝、久津木の言に、正巳の同級生達も次々と頷き、声を掛けてくる。


 ―――俺は、独りじゃない……


 再度の搭乗アナウンスに、正巳はいよいよ彼らと別れてゲートをくぐる。

 振り返ると、硝子壁を通して自分を見送ってくれる友人達の姿が在った。

 笑顔で。

 励ますような。

 慈しんでくれるような、温かな笑顔ばかり。

「…俺は独りじゃない…」

 呟きながら脳裏に浮かぶのは夢の中、止めどない涙を流す“彼女”の姿。

 いつの日か、あの世界への扉を叩いて告げられる日が来るだろうか。

 たった一人の里界の大地。

 けれど君も独りではないのだと。

「…行くか、カイチ」

 肩の上の鳥に声を掛けて、正巳は歩き出した。

 自分を孤独から解放してくれたその名を一緒に連れて。

 止まらない。

 もう、負けない。

 いつかまた、あの温かな場所に帰るため、正巳は最初の一歩を踏み出した。










第一章完結です。

ここまでお付き合いくださってありがとうございます。

次回は短編を一つお披露目した後、第二章に入ります。先はまだまだ長いですが今後もお付き合い頂ければ幸いです。

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