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第一章 〜 十三





「先輩!」

 声に引き上げられて目を開けた正巳に、最初に反応したのは時枝彬の声だった。

「文月、先輩が目ぇ覚ました!」

「立てるか?」

「待って。…先輩、大丈夫ですか? 今すぐ立てますか?」

「………、時枝……?」

「そうです、時枝です」

「……おまえ……久津木…?」

 両側から二つの顔が自分を見下ろしている事に気付いたが、何故、この二人の顔が見えるのか、それが正巳には分からない。

「先輩、しっかりして下さい! そうでなきゃ俺達みんな一緒にお陀仏です」

「……?」

 言われていることが分からないながらも身体を起こそうと試みるが、何故か身体に力が入らなかった。

 そのうち、呆れきった声が耳を打つ。

「…ったく、おまえ達二人が余計な首突っ込んでくるから、こんな面倒なことになったんだからな!」

「っ、それについてはちゃんと謝っただろうが!」

 カッとして言い返す久津木に、短い嘆息をおいて話し始めるのは文月佳一。

 正巳の視界に彼の姿はなかったけれど、どうやらすぐ傍にいるらしいことを察してほっとする。

「謝って済む問題だと思うか? おまえ達が素直に俺の言うことを聞いていれば、こんな絶体絶命の危機に立たされることはなかったんだ」

「自分のことを棚上げしておいて、そういうことを言うか? そもそもおまえが、自分が黒幕みたいな言い方するから悪いんだろ!」

「俺は、先輩の傍にいたら二人も危険だから離れろって忠告してやったんだ! 今となっては同じだから言うけどな、この連中は獲物を絶望に追い込むためなら何だってやらかすし、自分の正体を知られていると思ったら強硬手段に出ることも厭わない。仮にあの場で妖魔だ妖だなんて話をしようものならその場で全員食い殺されていたんだ!」

「だったらそう言えばよかっただろ!」

「言えなかったって言ってるだろう!」

「う〜ん。これはあれかな、捉え方の違い。実直な久津木は、どこか曲がった言い方をする文月の言い回しが理解出来なかったっていう」

「ンな悠長なこと言ってる場合か!」

「そう言う時枝だって随分と俺を疑っていたみたいだけど?」

「それは一種の同属嫌悪だよ。ほら、この通り文月も俺も万人が認める美少年だしね。手を引けと言われて引くわけにはいかなかったというか」

「自分で言うかい? まぁ否定はしないけれど」

「だろ?」

「てめぇら少しは状況を考えろ!」

 なにやら面白い会話をしているな、と思う。

 同時に、彼らがこの様子なら、この力の入らない身体が眠ってしまっても大丈夫そうだなと思った。

 手を動かそうとしても、何かを喋ろうとしても、思い通りにならない自分の身体は、ひどく疲れているように感じられた。

 深い眠りの中で休みたいと、全身が訴えている。

 今にも眠ってしまいそうな意識を、こうして保たせるのも困難な状態で、これ以上の覚醒は不可能に近い。

 こいつらの傍でならきっと大丈夫、そう自分勝手に納得し、正巳は意識を手放そうとした。――と、その直後。

「っ!」

「うわっ」

「……!」

 三人の緊迫した声と、息を呑んだのが気配で分かる。

 どうしたのだろうと、今一度意識を引っ張り出す正巳の耳に、佳一の舌打ち。

「クソッ…、こうなったら先輩をモノにするしかないか…」

「―――は?」

 聞き返すのは久津木。

 そして正巳も、何の話かと、その言に耳を傾ける。

「モノにする…って、その…」

 語尾を濁すのは時枝。

 そんな彼らに佳一は失笑する。

「言葉通り、そのままの意味。この場で先輩をヤっちゃおうかなってこと」

「なっ……!」

「文月!?」

 久津木と時枝の、当然といえば当然の反応は、もちろん正巳と同様だった。

(なんだよそれ……!)

 声にならない代わりに胸中で叫んだ、その前後。

 久津木と時枝が同時に周囲を見渡して目を瞠ったのだが、完全に意識を取り戻していない正巳はそれに気付かず、また、佳一が「よしっ」と固い表情をわずかに緩めたことにも気付かなかった。

「もう他に手がないんだ。だったら死ぬ前に悔いを残さないよう欲しいものは貰わなきゃ損だろ。そもそも先輩のために死に掛けてるんだからさ。そこれくらいは我慢してもらう」

「ぉ、おい、本気か…?」

「こんなことで冗談は言わないよ」

「けど俺達…」

「あぁ、別に見ていていいよ。その方が俺も燃えるし」

 対する二人の声が聞こえてこないのは彼らが呆れて物も言えないでいるからだろうか。

 だが正巳は、そんなことになってたまるかと必死だった。

 必死に身体に力を入れ、手足を動かそうと試みる。

 それが外部にどういう影響を及ぼしているのか全く自覚のない正巳だが、しかしその努力があらゆる意味で報われていることが他の三人の目には明らかだった。

 だから時枝は笑った。

 なるほどそういうことかと、まだ中途半端にしか覚醒していない正巳の身体を下に横たえる。

「…だったら、俺も一緒に楽しませてもらおうかな」

「え?」

「言ったろ、俺だって先輩を気に入っているんだ。どうせこれで最後なら悔いを残したくない」

「へぇ?」

 楽しげに呟いて、佳一は久津木を見る。

「なら、久津木はどうする?」と、ウィンク一つ。

 時枝が事情を納得して佳一の言葉に乗ってきたように、久津木にも彼らの意図は理解出来た。

 理解は出来るのだが、性格上、そういった物言いが全くといっていいほど出てこない実直少年は狼狽して怪しい言葉を発するのみ。

「うっ…ぁ…う……」といった久津木の反応を、正巳はどう捉えただろう。

(冗談じゃねぇっ!)

 その強い怒りの感情が外部に影響する。

 正巳の意識が確実にこちら側に戻ってきていることを確信して、佳一は最後の一声。

「なら…、まぁ俺の趣味ではないけれど四人で楽しむことにしようか。後になって先輩が目を覚ましても後の祭りってことで」

「…っ…じょぅ……!」

「俺が最初に脱がしていいのか?」

「てめ…っ…」

「文月。先輩が目を覚ましかけてるよ」

「それはまずいなぁ。じゃあとりあえず最初は…」

「じょぉ…だん……じゃ、ねぇ…っ」

「!」

 佳一の言を遮るように放たれた正巳の言葉。

 彼自身の声。

「冗談じゃねぇ…っ…! テメェ等揃いも揃って人の事をなんだと思ってんだ……!」

 必死に起き上がって。

 声を震わせて。

「久津木…っ…俺は、俺はおまえだけはマトモな奴だと信じて……!」

「先輩、先輩」

「…っ…うっせ…ぇ…」

「先輩、後ろ」

「はぁ…っ…!」

 触るな、と言い掛けて力任せに振り上げた腕は、だがその途中で静止する。

 後ろと言われて見上げた空間は闇一色。

 深い暗闇の中、時枝と久津木の間に守られるように横たえられていた自分。

 そして前方に、まるで自分達を守るように手を広げて立つ佳一の姿があった。

「か…佳一…?」

「ええ。おはようございます」

 にこっと微笑って声を掛けてくる彼は、しかしその態度ほど余裕があるようには見えなかった。

 認めたくはないが、思わず見惚れてしまったほどの綺麗な顔に今は無数の傷が生じて血を流していたし、制服は上下共に破損が酷い。それは久津木や時枝も同様で、しかも彼らは一度全身ずぶ濡れになった後で自然乾燥したような状態だ。

「な、おまえら、…なに、その格好…」

「まぁ説明すると色々あったんですが、最大の原因はあの連中ですよ」

「あの連中…?」

 佳一が言い、顎で示す先には闇が広がるばかり。

 だがよく目を凝らして見てみると、深い、深い闇の奥に何か蠢く影がある。

「えっ…!」

 次第に視力もこの暗闇に慣れ始め、うっすらとだが確かに見え始めたそれは、つい先ほどまで自分が対峙していた、あの声の主達だった。

 顔の半分以上を占めている眼球を不気味に光らせ、正巳を絶望に追い落とそうと、おまえは孤独、おまえは邪魔者、という囁きを幾度となく繰り返したあの獣が、何十、何百の群れを成して自分達を取り囲んでいたのだ。

「――! …って…なんで…おまえらは本物だよな…?」

「先輩?」

「おまえらは本物だろ…っ? あいつらが作った偽者なんかじゃないよな…!」

 あの両親のように、自分を死に誘う虚像ではないかと焦る正巳に、久津木と時枝は当惑したようだったが、それを落ち着けるように佳一が言う。

「大丈夫、俺達は本物です」

 静かで甘い、印象的なその声は、闇の中に不思議なほど心地よく通っていく。

「もう連中に先輩を騙すことは出来ません。貴方は奴らの幻術に勝ったんだから」

「勝った…?」

「ええ。ちゃんと思い出せたでしょう、自分のことを」

「――」

「連中に何を言われても、一番大切なことを先輩は失くさなかった。だからここに戻ってこられた」

 あの夢の中。

 誰も正巳を必要としない。

 いるだけ無意味で、いれば周りの迷惑にしかならない邪魔者だと繰り返し囁かれ、ずっと焦がれていた両親に手を差し伸べられた。

 だが、本当なら縋りつきたかったその手を正巳は振り払った。

 あの日、佳一にキスされた部分に触れると同時に蘇えった伯母の言葉や、ここにいる彼らの言葉を思い出し、それが語る内容が真実ではないことに気付いたから乗り越えるべきものを自覚した。

 それを、佳一は「正巳が勝った」と言うのだ。

「ね?」と笑いかけてくる佳一に、正巳は何故か頬を赤くしながら「う、うん…」と頷き返す。

 そんな正巳に優しく微笑んで、佳一は「よしっ」と気を取り直すように呟くと、ブレザーを脱いで正巳に手渡す。

「そして、先輩が連中に勝って、ここに帰ってきてくれたなら、ここからがやっと俺の出番だ」

「ぇ…?」

 ワイシャツの袖をまくりながら告げる佳一は、頬に伝う血を拭い、前髪をかき上げる。

「詳しいことは後で説明します。でも奴らが人間の精神的なものを餌にして生きている妖で、先輩が連中の精神攻撃に勝って目覚めないことには、……俺にはどうしようもなかったってことは覚えておいて下さい」

「覚えて…って…」

「…これから俺は連中を残らず始末します」

 ほんの一瞬の間をおいて彼は言い切った。

「ただ、その間にもしかしたら先輩に辛い思いをさせてしまうかもしれません」

「っ、ちょっと待てよ! 先輩が目を覚ませば連中とのリンクは解けて、先輩に被害はなく済むんじゃなかったのか?」

 慌てたように口を挟む久津木に、時枝は同意するように頷き、正巳は戸惑う。

 彼らの言うことが、いま目覚めたばかりの正巳はどうにも理解できなかった。

 それを察し、佳一は一息置いてから告げる。

「…説明したからといってすぐに理解してもらえるとは思いませんが、あの異形の獣は妖魔と呼ばれる、いわゆる化け物です。妖の魔物と書いて妖魔。――連中は人間の精神的な部分を好んで食する生物で、中でも満ち足りている人間の幸せな感情は連中にとって極上の餌なんです」

「幸せな感情が…?」

 聞き返す正巳に、佳一は小さく頷いた。

「それも純粋であれはある程、です。そういう意味で先輩のような人間は狙われやすい」

「俺みたいなのが…?」

 怪訝な顔つきになる彼に佳一が肩をすくめると、他の二人が「あぁ、なるほど…」と言いたげに正巳を見る。

「っ、なんだよ!」

 自分だけが解っていないことに声を荒げる正巳だが、佳一はそれを適当にかわし、話を続けた。

 妖魔が好む幸せな感情。

 人によって幸福の意味は大きく異なるだろうが、たとえば、金銭を望む者を獲物とした妖は、その者に大いなる成功をもたらす。

 何も知らない人間は、大金を手に入れる度に狂喜乱舞し、幸福を噛み締め、その満ち足りた心を妖魔は喰らい続けるのだ。

 憑かれた者は死ぬまで成功を続けるが、その生はあまりに短く、その上、死より以前に大概の者は狂い始める。

 心を食われていけば、それは当然の結末。

 それが妖魔と呼ばれる連中のやり方だ。

「なら…もし俺がさっきの夢の中で父さん達の手を取っていたら…」

「その時点で妖魔に憑かれて廃人への道まっしぐら。俺達三人もこの場で死亡確定でしたよ」

 正巳は今更ながらにぞっとして身震いするが、佳一の口調は変わらない。

 変わらないのは、…彼なりの気遣い。

「そして連中は、狙った獲物に幸福感を抱かせるためには手段を選ばない。…先輩のように、その純粋さを狙われた人間は妖の幻術によって望みを持つように仕向けられてしまうんです。……先輩に願いを持たせるためなら、連中はその方法を選びません」

「ぇ……?」

「家族を犠牲にすることだって簡単にやってのけるんです」

「――」

 変わらない口調で、…けれどどこか鎮痛な面持ちで語られた内容を、正巳はすぐには受け入れられなかった。

 だがそう言われれば納得が行く。

 運転手のいない車が時速百キロもの速度で両親の乗っていた車に衝突した。

 爆発、炎上し。

 多くの人々を巻き込んだ上で両親を焼き殺した、あの業火……。

「先輩は憑かれる前に自力で連中の幻術から抜け出した。だが俺が攻撃を開始すれば、連中は助かりたい一心で再び貴方を狙うかもしれない。死に物狂いで精神を攻撃してくる可能性が多分にあるんです。それこそ…ご両親の残酷な場面さえ脳裏に送り込まれるかもしれない。それを奴らは持っています」

「……っ…」

「それでも…」

 言いながら、佳一は、正巳の両側にいる久津木と時枝を見る。

 ようやく事態を把握した二人は、そういうことかと、決意したようだった。

 だから頷く。

 正巳の肩に置く手に力を込めて。

 佳一に向かって、強く頷いた。

「…先輩。それでも、大丈夫ですよね」

「…!」

 佳一の断定的な物言いに、だが正巳は気分を害するでもなく、不思議な気持ちで彼を見上げた。

 そして両側で自分を支えている二人と順に向き合う。

「…俺…、俺は…独りじゃないよな……?」

 独りきりだった闇の中。

 自分を救い出したのは、自分を呼んでくれていた彼らの声。

 伯父夫婦の優しさ。

 両親との思い出。

 佳一の名前。

 独りじゃない。

 独りなわけがない。

 こうして、闇の中、一緒に立っていてくれる人がいる。

「……俺は、独りじゃない」

「ええ、当然です」

「ここに俺達がいます」

 力強い返答。

 その眼差し。

 こんなにも自分を心配してくれていた友達がいる。

 愛してくれる伯父夫婦が。

 愛してくれた両親が、今もちゃんと心に生きている。

「俺は独りじゃない」

 両親が死んだのは悲しかったし、辛かった。

 どうせ独りなら自分も死んでしまいたいと思ったけど、…今は生きようと思う。

 こいつらと生きていきたい。――生きたいんだ。

「俺は負けない」

 何があっても。

 誰に、何を言われても。





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