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第一章 〜 十


 あの夢は、何を自分に伝えているのだろう。

 自分が見る事に何の意味がある?

 繰り返し、繰り返し。

 子供の頃に見ていた夢を、今また見始めたのは何故。

 それは、いつから。

 文月に関わるようになってから再び見始め、そして昨夜、彼があの世界にいたのはどうしてだ。

(おまえ、なんか知っているのか…?)

 知っているなら。

 あの夢の世界を、知っているなら。

(教えてくれ文月……!)

 そうでなければ、悪い予感ばかりが胸中を占めていく。

 そんなはずがないと思う一方で、もしもあの両親の幻影が文月の仕業だったらと思うと、それを完全に否定する材料を、正巳は持ち合わせていなかったのだ。

 それほど、三日前からの奇妙な一致は正巳の胸中の不安を募らせていた。

(そんなわけないよな…)

 あんなに柔らかな眼をしていた。

 正巳が無事と分かると、心から安堵するような顔をしていた。

 昨夜、あの部屋で。

 泣いていいと、言ってくれた。

 独りが淋しいのは当たり前で、親の死を悲しむのも当然で。

 正巳が一人で苦しむのは辛いからと、優しくしてくれた彼のすべてが嘘だとは思いたくない。

 だから、そう言ってくれたその声で、自分の不安など打ち消してもらいたい。



 ――先輩…、だから泣いてくださいって言ったじゃないですか。まさか俺の気持ちまで疑うほど苦しんでいたなんて…



 そんな、ふざけた台詞をいつもの口調で、態度で言ってほしい。

 あの、年下とは思えない綺麗な顔で、こんなバカバカしい不安は一蹴してほしいんだ。

「…っ」

 校区を一つ越えて、その間ずっと走り続けてきた正巳の息はさすがに上がっていた。

 虹ヶ丘高校の正門を目前にして、ようやく着いたのだと気付くと、途端に身体の力が抜けそうになる。

 だが止まってなどいられない。

 ここで動かなければ、自分はずっとこんな不安を持ち続けなければならないのだ。

 今なら、校内は昼休みに入っているはず。

 うまくいけば待たずに彼に接触出来る。

 正巳は深呼吸し、どうにか呼吸を落ち着けて正門を抜けた。

 校内は予想通り、昼休みの解放感溢れるざわめきに包まれていた。

 その中、一年生の教室が並ぶ一階の廊下を、人の合間を縫うようにして文月佳一の姿を探した。

 クラスは知らないが、あれだけ目立つ外見ならすぐに見つかるだろうと思った。

 だが彼の姿は見当たらない。

 どの教室を覗き込み、学生食堂内に眼を凝らしてみても、佳一の姿はどこにもなかった。

 息を切らして誰かを探している正巳の姿こそ周囲の生徒達には異質であり、そのほとんどが一年生だったが、怪訝な顔つきで彼を振り返った。

 しかし正巳には、そんなことを気にしている余裕もなく、どれだけ探しても見つからない佳一に苛立ちさえ感じ始めていた。

 こうなれば最後の手段とばかりに一年の教室前の廊下で適当な生徒を捕まえ、どこに行ったか知らないかと尋ねようとした。

 が、その時、偶然にも視界に入ったのは、階段から落ちた日に時枝彬と一緒にいた女子生徒。

 なんとなく顔を合わせずらくて廊下の端に寄り、窓の外を見るようにしながら彼女が通り過ぎるのを待った。

 そうして目を向けていた窓の向こう、裏庭に向かう人影を見つける。

 見えたのは背中だけだったが、その遠目にも分かる逞しい体つきを、正巳は久津木将信のものだと確信した。

 自分はここにいるのに、今日も彼が裏庭にいるのは、そこで何かがあるからではないのか。

 そう思い付き、正巳も裏庭へ向かう。

 生徒玄関から出て、校舎を東方向に半周すると目的の場所に着く。

 四月も半ばとはいえ、北国においてのこの時期は雪解けも途中。

 冬の名残を思わせる冷たい風と、まだ寂しい緑の色づきは生徒達に「昼食を外で」とは思わせない。

(昼も食わないで、人気のない裏庭で…、おまえ達は一緒にいるのか…?)

 不安が正巳に考えさせる、その理由を。

 裏庭に近付くにつれ、次第に鮮明に聞こえてくる複数の声。

 それが予想通り、久津木将信、時枝彬、そして文月佳一のものであると察し、息を吐く。

 これで、こんな根拠のない不安からは逃れられる、そう思った。

 だが。

「どういう意味だ」

 久津木の固い声音に怯えるように、正巳は足を止めた。

「…文月。もう少し詳しく説明してもらわないと納得がいかない。おまえには何か意図があるようだけど…、それは俺だって同じだ」

 時枝の険を含んだ言葉、それは文月佳一に向けられている…?

「悪いけど、時枝の意図は俺には関係ないんだ。二人にいられると迷惑だとしか言いようがない」

 返される佳一の声音は、相変わらず楽しげな響きを含んでいたが、今のそれには正巳が聞いたことのない冷ややかさもあった。

「たとえば、ここで詳しく説明したとしても二人には理解出来ない。理解出来ない相手に説明している暇が俺にはない。――これで納得して俺の言うことを聞いてもらいたい」

「無理を言わないでくれ」

 言い返す時枝の口調にも厳しさが増す。

「説明も無しに邪魔だから退けろと言われて素直に引き下がれると思うか? 俺には俺の事情がある、絶対に退けない事情だ。それを上回る説明をもらえないなら、俺の方こそおまえに「邪魔だ」と言わざるを得ないし、返答如何によっては久津木も同じだ」

 時枝が一息に言い放った発言に、佳一は喉を鳴らすようにして笑う。

「…何がおかしい」

「いや…、それを言うなら、時枝は久津木を味方にした方がいいんじゃないかと思っただけだよ」

「え?」

「――」

「時枝も久津木も同じものを視ているんだ。だから二人とも市原正巳を気に掛けた」

「…同じ…って、じゃあおまえも、何か視たのか…?」

 佳一に言われて、顔を見合わせる二人は、次いで佳一を見返す。

「そうだろう?」と、それを楽しそうに告げる佳一の表情を校舎の影から見つめて、正巳は戦慄が走るのを自覚せずにいられない。

(俺のことを話してる……?)

 視たって、何を?

 時枝と久津木は、一体自分の何を見たと言うのだろう。

「…俺が…、いや、俺達が何を視たのか、おまえは知っているのか……?」

「知っているよ」

 疑惑に満ちた眼差しで問いかける久津木に、佳一の言はどこまでも余裕を含む。

「俺は、二人が何を視たのか知っているし、それが現実に起こるんだってことも知っている」

「!」

「だから、それを知っているおまえ達二人に邪魔されたくないんだ」

「邪魔って……!」

 言うなり、久津木が佳一の胸倉を掴む。

 険しい顔つきで相手を見据え、怒りを押し殺した声で低く言い放つ。

「おまえ…っ…、自分が何を言っているのか判ってるのか…っ? 俺が何を視たか知っていて…それが現実に起こることだとおまえは言って…それで、その邪魔をするなと言うのか……っ?」

「あぁ」

「それが現実に起こるのを黙って待っていろって……っ?」

「そうだ」

「っ…」

「久津木!」

 今にも佳一を殴り倒しそうな久津木の様子に、時枝が慌てて間に入る。

「久津木、暴力は駄目だ。君が殴ったら相手は怪我するくらいじゃ済まないだろ!」

 見るからに逞しい体つきの彼が空手の有段者であることは、あの日の保健室で聞いて知っている。

 佳一も背丈はあるし、決して弱弱しいわけではないのに、久津木と並ぶとその体格はあまりに頼りなく見えてしまう。

 久津木に殴られれば、そのまま死んでしまいそうな懸念を時枝は抱いたのだろう。

 離れた位置にいる正巳でさえ、そう思うと心配で足を踏み出しそうになった。

「……文月」

 久津木を抑えた時枝が、彼の腕を捕らえたままで佳一に向かう。

「…、君は本当に俺、…達が何を視たのか知っているのか…?」

「しつこいな」

 肩をすくめるようにして返される言葉。

「二人が視たのは血だらけの市原正巳、そうだろう?」

「っ…」

「…いや、血だらけで死んでいる、かな」

「おまえ…」

 驚愕する二人の様子が、互いに同じものを視ていたのだという証。

 そして『血だらけで死んでいる』自分を視たと言われた正巳には、…もはや言葉も思いつかない。

(俺が…死ぬ……?)

 そう告げた佳一と、それを視たという時枝、久津木の背中を見て、正巳の背筋を伝う冷たい汗。

「先輩に引きずられて階段を落ちた時枝と、落下地点で先輩を受け止めた久津木。…二人とも、彼と接触した瞬間にその映像を見たんだろ?」

「っ…」

「だからあの時、周りが騒がしくなっても二人は呆然として周りの声に応えられなかった。立ち上がることも出来なかった。俺が保健室に行った方がいいと声を掛けるまで身動き一つ出来なかったのはそのせいだろうなと、すぐに察しが付いたよ」

 あの日、完全に気を失った正巳を抱えて、時枝と久津木は声一つ出せなかった。

 周りに集まってきた生徒達が「大丈夫か」「怪我は!」と気遣う声を掛けてくれても、反応することが出来なかった。

 ただ、直感のように。

 脳裏に浮かんだ映像を、どう捉えていいのか考えるのが精一杯で、あの時、佳一が正巳の身体を抱え上げ、保健室に行こうと声を掛けてくれなければ、二人はいつまでそうしていたか判らない。

 それほどに強烈な映像だったのだ、血に塗れ倒れた市原正巳の姿は。

 今思い出しても、その強烈さに身体が震える。

 絶対にあんな姿を現実のものにしてはいけない。考え過ぎならそれでいいけれど、もし万が一の危険があるなら、それを知っている自分に回避させることが出来ないだろうかと思った。

 だから時枝は、正巳を抱えて保健室に向かう佳一の後ろについていきながら決意したのだ。

 久津木も、まだ迷いはあったものの、昨日の午前中、自分が受け止めた先輩の両親が先月亡くなったばかりだと言う噂を同級生から聞いて意を決した。

 昼休み、一人で裏庭に向かう彼の姿を見て、まさか自殺を考えているんじゃ…、と不安になって声を掛けた。

 話をして、彼の辛そうな姿を見て、死なせてはいけない――、そう強く思った。

「俺が…俺達がそれを視たと知っていて…。俺と久津木は、それを現実にしないために先輩を見ていた…」

 少しでも傍にいられるように、足首の怪我を理由に学校の行き帰りを同行出来るよう図った。

 それは時枝なりの策。

「俺と久津木は先輩を助けられるなら助けたいと思った、だから気に掛けていた」

「あぁ、判っているよ」

「なのにおまえは、それを知っていて俺達は邪魔だから近付くなって言うのか! それが現実になるのを黙って見ていろって!」

「そうだ」

「―――!」

 目を見開き、自分を凝視する二人を、佳一は変わらない笑みで受け止める。

「おまえ達二人が先輩の傍にいたら、血だらけになるのは彼一人じゃ済まなくなる。久津木と時枝も巻き込まれて死ぬよ、確実に」

「おまえ……っ…」

「死にたくなかったら、金輪際、二度と彼には近付かないこと。俺の邪魔はしないでもらいたい」

 佳一の言葉が、理解不能の言語のように聞こえた。

 俺の邪魔、ってなに?

 正巳を気に掛け、気遣ってくれていた二人を邪魔だと言い放ち、金輪際近付くなと釘をさす。

 死にたくなければ言うことを聞けと脅す。

 ならば、そう言い放つおまえは何なんだ。

「…おまえも、あの映像を見たのか…っ?」

 自分と同じものを見て、それでも現実にそうなるのを待てと言うのか。

「先輩があんなになってしまうのを知っていて! それでも何もせずにいろって!? おまえは先輩を見殺しにしろって言ってンのと同じなんだぞ!」

 久津木の怒りに満ちた言葉を平然と受け止めながら、佳一はわずかに眉を寄せる。

「…本当にしつこいな」と、いま初めて煩わしそうに呟いた佳一は短く嘆息する。

「何度も同じことを言わせるな。久津木も時枝も、先輩の傍にいれば、彼がそうなる前におまえ達二人が死ぬ事になる。死にたくなければ俺の邪魔をするなと言っているんだ。……俺は、そう気の長い方じゃないんだけどね…?」

「……っ」

「――!」

 そうして佳一が見せた眼差しの冷酷さ。

「…っ……」

 口元は笑んでいるのに、瞳に光は微塵もない。

 ただ真っ直ぐに見据える彼の眼光は、瞳に映る時枝と久津木、彼ら二人だけでなく正巳の動きさえ奪うようだった。






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