愛真鯉
いまもむかしも男女の仲というのはこじれると大変なものでして、別れる・別れない。よりを戻す・戻さないなんてことにずーっと悩まされるものでございます。
鎌倉の東慶寺というところは大昔から悩める女性の駆け込める場所でございまして、ここに入って離縁の意思を示すと調停をしてくれるという、現代で言う裁判所のような役目を持っておりました。ゴンゴン(扇子でガベルのように床を叩く)静粛に。いや笑うのは大丈夫です。ここ落語なんで。
エーときには旦那の乱暴狼藉に我慢ならず駆け込んでくるというのっぴきならない事情のものもあったそうで、こうした女性をパっと保護できるように「境内を一歩でもまたいだら寺で預かる!」「いやいや履いている草履や挿してる簪がチョット敷地に入っただけでも預かります!」なんて具合で、しまいには追いかけられてるなかで草履を脱ぎ脱ぎエイヤ~ッと投げ込んだら「ハイ敷地に草履入りました~もう預かります追いかけっこヤメ!」なんて、なかなかの裁きぶりだったそうで。
サテここにひとりの男がございます。夜になれば酒をかっ喰らい女房をこき使うことをなんとも感じない面の皮の厚い男でして、あまりの狼藉ぶりにとうとう女房が逃げてしまった。
その逃げた先というのが鎌倉は東慶寺だったというところから、物語がはじまりまして
「女房の野郎、釘打って鉋で削ってひと仕事終えてきた俺のメシの用意もせず出ていきゃあがって……いったいどこほっつき歩いてんだ。おいっ、うちの女房知らねえか」
「お前の女房? たしか東慶寺の方に走っていったよ」
「なに東慶寺? あのアマ……寺に行ったって? まさか離縁して尼になるつもりか、あのアマ!」
「アマアマうるさいねお前さん。甘々なんて言っていいのは、新婚さんだけだよ」
「いちいちうるさいんだよ」
「お前さんとこなんてもう、情も涙も乾いた辛辛の仲だろうに」
「やかましい! ともかく連れ戻しにいかにゃ(走る)おい寺!(ドンドンと扇子で床叩く)開けろ! うちのカカアが駆け込んでるだろ!」
「おやあなたは、ちかごろ噂の」
「おう噂の、なんだ」
「いちもにもなく(一、二と指で数える)散々(三を指で数える)酒を飲んで暴れる、始(四を指で数える)末に負えないゴ(五を指で数える)クツブシの……ろくでなし(相手を指さす)」
「どこでだれがそんな噂してやがる! とにかくうちのだ、うちの出しな! 離縁なんざ俺は認めねえ!」
「そうは言われましてもね。あなたの奥方は我々に離縁状を出し、ご相談の上、もうアマになってしまいましたので」
「なんだと! もう頭も剃っちまったのか」
「いえ髪はまだございますよ」
「じゃあどこに居る、早く出せ。話をつけてぇんだ」
「ここにはおりません。アマですから」
「いやここは寺だろう。ここに居なくてどうする」
「ですからアマの居るべき場所にいます」
「それはここだろうっつってんだ!」
「いいえアマの居場所は寺ではございません!」
「どこだよ!」
「海です!」
「そのっ……『海女』かよ!」
というわけで男、鎌倉の海までえっちらおっちら走ってまいります。
次第に潮の香が強くなってまいりまして、ざざーんざざーん、波の音が大きくなります。
辿り着いた先でわたわたと海を眺めておりますと、堂に入った姿勢でもぐる女がひとり。
「すうっ……どぶん……すーいすーい……ひょい、ひょい(貝をあつめる)すーっ……ぷはあぁ!」
「もうえらく手馴れてやがる。ずいぶん達者にこなしてやがるな……おい、おいてめえ! 俺だ、俺がきたぞ!」
「きゃっ! あ、あんた……なんだってこんなところに」
「だってもへちまもあるもんか。おめえ、アマになったってのは、本当なのか」
「いいや……アマじゃないよ」
「お、おお。なんだまだアマになっちゃいなかったか。よかった」
「ううん。もうプロだって」
「そのアマじゃねえ! なんだぁてめえは旦那のメシも用意せずになんもかんも放り出してきやがって、釘打って鉋で削って仕事に苦労して帰ってきた旦那をねぎらう気持ちもねえと見える!」
「ふん。えらそうにしちゃってさ」
「なんだと!」
「あたしはもう海の女になったの。それにねぇ、もう新しい相手だって見つかってるんだよ!」
「なんて展開の早さだ! お、おめえ、新しい男ってのはいったいどいつなんだ!」
「知りたいかい。じゃあ呼んであげるよ……来てちょうだい! ハマチ太郎さん!」
女が海に呼びかけますと、波を割ってざーんピチピチ。立派なハマチがこちらに泳いできて一礼します。マアどこから腰かはわかりませんがとにかく、一礼しました。
「ハマチ太郎と申します。以後お見知りおきを」
「お、おめえ~! 俺をほっぽって、こんな魚野郎と結婚するってぇのか!」
「ハマチ太郎さんは海のように広い心の持ち主でね。すっかりあたしは骨抜きなんだよ!」
「すみませんが骨抜きという言葉を使うのやめてもらえますか。調理されてる気分になるので」
「あらごめんなさい」
「おめえ! こんな魚野郎のいったいどこがいいってんだ!」
「あんたに抱えてる不満をハマチ太郎さんは解消してくれるのよ!」
「俺のどこが不満だったってんだ! 見てくれか、それとも夜の方か!」
「だってあんた……給料も上がらなくて」
「おう」
「うだつもあがらないし」
「くぅ」
「いつまで経ってもずうっと、一番下っ端の『ヒラ』のまんまじゃないのよ! その点ハマチ太郎さんはちがうわ。この方はね、じきに……ブリになるのよ!!」
「…………あっ『出世する』ってこと?! て、てめえ! 俺がいつまでもヒラだからって、ハマチの出世頭にのりかえようってのか!」
「すみませんその『ハマチのカシラ』というのもやめてくれますか。タイのお頭みたいで調理されてる気分になるので」
「あ、すまねえ」
「とにかくあたしはね、このトトについていくって決めたの!」
「このひとについていくみたいに言いやがる」
「ねえハマチ太郎さん、あたし夫婦の営みもよくわからないのぅ。手取り足取り教えてねぇん」
「カマトトぶりやがる。手取り足取りもなにも手も足もねえだろそいつ」
あきれてしまって、その日はあきらめて家に戻るのでした。
しかし翌日になって、やっぱり考えてみるとむかむかいたします。魚に女房とられたってんじゃメンツが立たない。
やっぱり取り返しに行こうと思ってまた浜に行くのですが、
「やいカカア! やっぱりあんなハマチ野郎との付き合いなんざ俺は許さな……あれ、ハマチ野郎はどうした」
「別れたわ」
「急すぎる! 一体全体どうしてだ」
「ひどい男だったのよ。夜のこと教えてぇんってあたしが詰め寄ったら『陸にあがってよく見ると、おみ足が太すぎてちょっと厳しい』ですって!」
「たしかにおめぇの脚は太いが、それがなんだって離婚の原因になるんだ」
「あたしみたいな大根脚と歩いていると、今日の夕餉の食材がならんで歩いてると思われるんですって!(手拭いを噛む)」
「……あっ『ブリ大根』ってこと?! なんてふてぇ野郎だ」
「なんですって!」
「おめぇのことじゃねえよ! ふてぶてしい野郎だって意味だよ! ともあれ別れたってんなら、俺のとこに戻って来いよ。いまはヒラだが心を入れ替えて仕事する、きっといまに出世してやるから」
「ふん、どうだか。そういうのは態度じゃなく結果がともなってからお言いなさいな。それにねえ……あたし、もう次の相手を見つけてるのよ!」
「なんだって!」
「あたしこれでもモテるのよ。池にえさバラまいたときの鯉が群がるみたいにもう入れ食いよ!」
「ありゃ飢えてるから来るのであってそのたとえだと女ならなんでもいいみたいにならねえか」
「だまらっしゃい! とにかくこちらの方とお付き合いしてるから……きてちょうだい!セイゴさん!」
「ど、どうも。僕、セイゴ次郎です」
「また小せぇ魚だなあ。おめぇよりだいぶ若そうだが、いくつだよこいつ」
「セイゴ1年よ」
「付き合っていい年齢なのかそれは。というかセイゴってなんの出世魚だ」
「セイゴさんはねぇ。フッコさんになって……最終的にはスズキになるの。あたしスズキさんとこの嫁になるのよ!」
「苗字が変わる話なのか魚に嫁入りするのかピンとこねえ」
この日も説得しきれず、男は家に帰りました。
元嫁の所業に腹は立つし腹は減るしで夕飯になると仕返しにスズキを焼いて喰ってやった次第ですが、それでもやっぱり腑に落ちません。翌日も浜にいきまして。
「やいカカア! やっぱりそんな若い燕にとられるのは……魚に燕っていうとなんか変な感じするな……とにかく、いけ好かねえ! そんなセイゴのとは別れて家に戻りやがれ!」
「あらあんた。セイゴ次郎さんとは別れたわ」
「どうして!」
「あの子、スズキへのこだわりが強すぎたのよ。あたしが『一度くらいレクサスに乗ってみたいわ』って言ったら途端に目を吊り上げて『ワゴンRじゃだめなんですか……やっぱりみんな、世界のトヨタなんだ!』って騒ぎだして」
「こじらせてるなぁ」
「やっと落ち着いたと思って、将来の子どもの習い事の話をしたのよ。あたしがピアノを習わせたいわって言ったら『音楽教室……ヤマハか……』って言いだして。そのあとに文才のある子に育てたいから本棚が家にほしいわって言ったら『いまホンダって言った?』って怒って、しまいにはちょっと神奈川にいこうとしたら『川崎か?』って」
「……バイクの話! わかりづらい!」
「だから新しいトトを連れてきたの。ごらんなさい!」
「また小さいな……こいつはどういう出世魚なんでい」
「いまはまだオボコいこの子、そのうちにきれイナ姿になって、あんたみたいな大ボラ吹きじゃなく、偉大な魚になるのよ」
「つまりなんだ」
「トドのつまり、えらくなるの」
慣用句のトドのつまりってのはこのオボコ・イナ・ボラ・トドの順で、出世魚の最終形態だからこそ『最終的に』とか『結局は』って意味になってるわけですね。
まあともかくもこんな次第なので、男もどうしようもなくなって帰りまして。でもカカアを魚に取られたまんまじゃいられないと心を入れ替え、初心に立ち戻り、仕事だった大工に精を出します。
ときには心折れてめげそうになる日もありましたが、魚に嫁をとられた魚に嫁をとられたと考えることで乗り切ります。
こうして何度も嫁のことを思い出すうち、男は仕事と同じく初心にかえって「そういやカカアはああいうとこが可愛かったな」「あれでいいところがあったんだな」とかつての気持ちを……最初に抱いた恋心を、取り戻しました。
するともとから腕がないわけではなかった男、まじめに打ち込めば成果も出るもんで。あれよあれよと出世して、大工の頭になりました。
これだけえらくなればカカアも納得するだろうと、男は意気揚々と向かいまして
「やいカカア! おめぇがヒラだヒラだと言うからまじめにやって、棟梁にまでなりあがったぞ! めげそうになったらおめぇのことを思い出してだな、その……最初の恋心を思い出して、一途にやり遂げてやったんだ! 戻って来い!」
「まあ、そうなの? それであんた、どれくらいえらくなったのかしら」
「そりゃもう、引っ張りだこになるくらいだ!」
「……たこなの。そう」
「なんだよ」
「たこって……出世、しないじゃない?」
「そういう意味じゃねえやい。みんなから仕事を頼まれるくらいの、一流になったってことだ」
「まあ、一流! 一『流』ね! いいじゃないの、一『流』!」
「なにがだよ」
「だってハマチよりセイゴより、大化けの出世よ。
一途な鯉(恋)が、一『龍』になったんだもの……」
タイトルの読み
「いとまごい」




