#4-3 甘いと辛い
「優也くん」
「狛坂さん、どうされたんですか?」
5月某日──SCR本部内特殊戦闘部、共有スペース
いつもは見かけない珍しい顔に驚き書類を書く手が止まる。ここは特殊戦闘部の居住区域、俺と龍斗さんと海美の3人が住んでいるエリアの中にある3人が共有できるスペースだ。個室にある机よりも大きい机や小腹が空いた時につまめるお菓子なんかもある。ここの共有スペースに入る前の廊下の奥へ歩いていけば3人の個室が設けられている。
いくらSCRといえど、普通は特異生物である俺たちを敬遠しがちで必要以上に関わることはないから、ほとんどの人はこのエリアには入らない。目の前にいる彼にとってもそれは同じだと思っていたが。
「いや、優也くんどこにいるかなって思って、やっぱりここにいたんだね」
「俺に何か?」
「ちょっと話したくてさ。海美ちゃんのこと」
はい、と手渡されたあったかいココア缶をもらいつつ海美のこと?と頭の中で疑問符を浮かべる。何かあったかな。俺はSCR特殊戦闘部のリーダーだし、何か連絡があるなら俺にくるのは合点がいく。というか、何かあるなら無線で伝えてもらえれば司令部の方に行ったのに。なんでわざわざこんなところに?
頭の中の疑問符を一旦横に置いて、2人でカウンター席に並んで座りココアで謎の乾杯をする。口に甘みと暖かさがゆっくり広がって、時間もあって少し眠気を感じた。ダメだダメだ。えーと、なんだっけ?
「海美がどうかしましたか?」
「斗或高校の任務の話なんだけど」
「何か問題でも?やっぱり突然また転校ってのは無理ありましたよね?」
「いやいや!それはもう全然大丈夫。そういうことじゃなくて、海美ちゃんの失言というか、なんというか……」
「……あぁ」
『コトラ事件の犯人じゃん!』
名字を伝えたら海美が信じられないというような顔で俺に言い放った言葉。10年経てど未だに瘡蓋にならない心の傷。滴る血が煩わしいと思えるほどに慣れたとしても、気付けば無意識のうちに左手首を右手でぐっと押さえつけていた。もういいんだ。もういいから
「それが何か?」
「本人、悪気があって言ったわけじゃないみたいから許してあげて……っていうのも、なんか違うか」
「別に気にしちゃいないですよ、本当に。そんなの今までに何度聞いたことか。慣れているのでお気になさらず」
「……ごめんね、上手いフォローができなくて」
しょぼんと音が聞こえて来そうなほどにしょげている。そんな気にしなくていいのに。
言葉は心からの本心だ。言われたその時こそ確かに負の感情が前に出てしまったが、今は本当に何も思っちゃいない。多分。
そういえば罰が悪そうに俺をご飯に誘ってくれていたが、俺は生憎食堂でご飯は食べられない。もしかして、俺が怒って食堂に来てくれない!と騒ぎ、それを聞いた狛坂さんが困ってここに来たのかもしれないな。それなら確かに無線で呼ぶような用事でもない。
騒がせて申し訳ないと考えていると、さらに申し訳なさそうな様子で狛坂さんが呟く
「聞いた名前が、まさか自分もいた事件の主犯で驚いただけだと思うから、悪気は無いんだよ。一般人に孤虎教授の無実は報道されていないし」
「……自分のいた?」
「う、うん」
キョトンした表情の狛坂さん。何の話だ。海美は鮫島家のお嬢様だろう。研究所とは関わりないはずだ。
狛坂さんは当たり前のことを確認するような口調で、少し不思議そうに聞いてくる。
「コトラ事件の時に海美ちゃんがお姉さんに遺伝子プールへ突き落とされた話、聞いたことない?有名な話だよ」
「遺伝子プールに?」
待て、海美はあの日あの時研究所にいたのか?
基本的には外部の人間が入れるような場所じゃない。でも待てよ?あの事件の日、実は研究所内でとあるパーティのようなものが開かれていて、そこに確か鮫島財閥の人間が来ていたような気がする。
それでその時海美も来ていたのかもしれない。
遺伝子プールとは、遺伝学においてメンデル集団における個体全群のもつ遺伝子の全てを指す。この名前を遊び心半分で流用したのが研究所内にある遺伝子プールで、珍しい遺伝子を持つ魚類や両生類の繁殖に利用していたプールだ。もちろん立ち入り禁止。無防備で入れば身の安全の保証はない。そこで事件のとき特異生物に襲われれば魚類の変異が入る可能性は大いにある。
「なんでも、研究所から逃げる時にお姉さんにプールに突き落とされて動けない囮にされたとか。お姉さんは先に逃げたけど結局特異生物に捕まって行方不明だそうで」
「プールの中で主に魚類や両生類の変異が体に入ったんですね」
「それに、海美ちゃんが突然変異に耐えられたから良かったものの、ごく高い確率で死んでいたわけだし。もし本当にわざと突き落とされたならお姉さんに殺されそうになったって言えるからね」
「……姉のことを恨んでいるんですか」
するといいや、と狛坂さんは首を振る。
「お姉さんとは仲がとても良かったらしい。けど、突き落とされたことでお姉さんに不信感を覚えていて……ただ、あの日の答え合わせを、真実を知りたいだけなんじゃないかって。これは僕の予想だけどね」
『私は戦って全部を知りたいの!今まで知らなかったことも、これからの未来も!』
あの日の決意は自分の知らなかった世界の話かと思っていたが、案外それだけじゃないらしい。姉を信じる気持ちと疑う気持ち、相反する感情をぶつけながら海美は海美なりにやっている。ただの世間知らずな子供じゃない。
どちらかといえば子供なのは俺の方か。父さんのことを少し突っつかれたくらいで不機嫌になって、今もまだ不器用に接してしまうなんて。態度を改めないといけないな。
それにしても
「意外、ですね」
「え?何が?」
「狛坂さん、SCRの司令部に来てからもう3年ぐらい経ちますよね。オペレーターになって、司令長官補佐になって良く話すようになってからは2年くらい、今までこういうことに口出すようなタイプじゃないと勝手に思ってたもんで」
「はは、なんか嬉しいな。優也くん、戦いのことばっかり考えてるもんだとばかり思ってた」
「失礼ですよ」
「そっちもでしょ。お互い様」
はははと笑う狛坂さんに釣られて苦笑する。いつものらりくらりと面倒ごとを避けていく彼が、まさか喧嘩の仲立ちを進んでするとは思えなかった。
「まぁ海美には言っときますよ、気にすんなって」
「お願いします。いやーなんか、2人を見てると昔を思い出しちゃうんだよね」
「昔?」
すると狛坂さんは笑顔だがどこか寂しそうな表情。手でフラフラ揺らしていたココアの缶を机にコン、と置いたまま、見えるはずもない缶の中をじっと見つめている。
「いやね、僕は妹と姉がいるんだけどよく2人が喧嘩するの。そんで、僕がいつも挟まれる」
「仲良いですね」
「いやほんとにマジで勘弁してほしいこっちからしたらどっちについても怒られるんだからもうマジでしんどかったなんで無関係の僕を引っ張り出してはどっちの味方になるのか宣言させられるの意味わからないしなんだったんだよあれ」
「仲良いですね」
週3くらいで喧嘩するからね奴ら、3だよ!?7分の3!と指を3つ立てて強調する狛坂さん。嫌々言いながら案外満更でも無いんだろう。上がった口角がその証明だ。きっと仲の良い家族だったんだろう。
そう思ったがいなや、狛坂さんの眉尻が下がり伏せ目となる。
「でも、あの事件で妹が巻き込まれて亡くなって。そんで、姉がなんだかぼーっとするようになったんだ」
「…………」
「喧嘩なんかしてないで、もっと他に何かしてやれればって。たまーにぼやいて。それが優也くんと海美ちゃんの喧嘩見てるとどうしても思い浮かんじゃって。俺がいてもたってもいられなくなっちゃった」
勝手にごめんね。悲しい気持ちになんて浸りたくないけど、楽しい記憶をつい思い出しちゃってはしんどくなるんだよ。バカだよね。視線は見えないはずのココアの缶の中から天井に移る。
「あーあ。早く忘れちゃいたいな。全部」
半笑い狛坂さんの声は、涙を堪えた声だった。
立ち上がって飲み干したココア缶を近くのゴミ箱に捨てる。代わりにお菓子入れから一つ、その辛さで有名な煎餅を取り出して狛坂さんにぐいと押し付けた。突然の俺の行動に狛坂さんは目を丸くする。
「甘いもののあとは辛いもの」
「え」
「甘いと辛い、片方だけずっとってのはきついですけど、交互に食べればずっと飽きずにおいしく食べられますよ」
「えっと……?」
いつもは気だるげな目が大きく開かれる。
ちゃんと、伝わってくれ。
「楽しかったことに対して、幸せな気持ちも辛い気持ちも、どっちもあっていいじゃないですか。無理に忘れることないです」
「………」
「幸せに惚けることも、辛さに涙を溢すことも、過度じゃなければ良薬でしょ?」
少し笑ってみせる。すると、そっか、そうだよね。これでいいんだ。そう狛坂さんは困ったように笑った。
「それに、あの時こうしていればなんて考えたところで過去は変えられない。なら、変えるなら未来でしょう」
「優也くんに言われると重みがあるなぁ、ありがとうね」
「お礼されるようなことはしてないですけど、素直に受け取っておきますよ、とりあえず」
「かっくいい〜さすが!よっ!リーダー!」
なんだそれと笑いながら時計を確認するととう21時近く。そろそろ行かないと狛坂さんが立ち上がる。
「ココアごちそうさまでした」
「いやいや、こんなのでごめんよ。あとそうだ」
思い出したように狛坂さんが振り返る。
「海美ちゃんと仲良くやれそう?」
「別に問題ないですよ。ただ、」
「ただ?」
少し心残りなこと。狛坂さんは首を傾げている。
「子供を戦わせるのは良心が痛みます。できれば俺と龍斗さんだけで何とかしたいですけど、アイツ突っ込んできそうだし……」
「ふふっ、さすがだね」
「本人の戦いたい意思を尊重するならいいですけど、もし本人が逃げたがったら必ず逃してください。俺たちはともかく、海美は鮫島財閥が守ってくれるはず」
「そうだね、もちろんだよ」
『大人は子供を守るもの』
そう言って体現してきた龍斗さんの背中を見てきたんだ。今度は俺が。
「それまでは必ず、俺が守りますから」




