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II 1350年という意味

前略。

中世に転生しました。

でもラノベのあれとは違う。ガチのやつだ。

血と糞尿と悪臭と細菌が支配する、比喩ではない“クソ時代”だ。

(まあ、良いところもゼロではないが、衛生的な水がない時点で俺は無理だ。)

それでも無双してやる。

なぜって?俺は落ちこぼれ医学生で歴オタで、ラテン語話者だから。


……そう思っていた時期が、俺にもありました。


I

俺は、救えなかった。何が無双だと嗤ってやりたくなる。

俺が到着する前に、死んだ。多分失血死。

まあ、彼は俺の前世ではとっくに死んでいた人間だ。

そこまで感傷はないが、「無双」の難しさを思い知った。

【ブラント様、最近どうしちゃったのかしら】

【清貧を至高とする方だったのに・・・急にワインをご所望しだすし、最近黒パンにも顔をしかめていました。】

【我々にはフランス語でお話してくださったのに、急にラテン語でしかお話されなくなりましたし】

使用人たちの噂が耳に刺さる。

聞こえてるぞ、俺は思う。別に、中世ドイツ語は話せないだけで大体の意味は分かる。だってラテン語からの借用語の量が凄まじいから。発音が苦手なだけだ。きっと俺の舌は前世も今世もラテン系なんだ。

ワインの件は許してほしい。中世の真水なんて死んでも嫌だ。いや、飲んだら死んでしまう。

黒パンの件は、甘受しよう。アントニウスの影が覗くようになれば白パンを望めばいい。

フランス語の件は・・・善処しよう。

俺が前世で覚えたラテン語は完全に中世のものだが、フランス語は受験目当てだったので現代のものだ。

今、俺が「フランス語」を話せばそれは彼らにとっての「フランス語」じゃない。

まあ、中世フランズ語もまったくわからないわけじゃない。が、すごく下手だ。

だから、話すわけにいかなかったのだ。しかし、彼らの不信感が募る前に覚えてしまおう。

・・・俺にとっては他の日本人が「古文」を学ぶのと似たようなことだから、そう難しくないだろう。

やるしかない。

「や、なんぞはなしつるか。ゆかしゅうていたり。」

満面の笑みで自分がわかる最大限の語彙、発音で彼らに「彼らのフランス語」で話しかける。

どうだ、おれの話せるぞアピール

【なんだ?ふつうに話してるじゃないか】

【気のせいだったのかもしれません】

【よかった。悪魔憑きかなにかかと恐ろしかったんです】

小声で慌てふためく彼らのドイツ語を聞いて満足した。効果テキメンのようだ。

まあ、彼らは俺がわからないとおもっているようだが、俺は馬丁の才もあるんでね。

わかっていないふりをしておくほうが得策ってだけで。

にしても悪魔憑きとは・・・危ないところだったな。火あぶりは嫌だ。

II

翌日。俺は部屋に鍵をかけて引きこもっていた。

理由?

ペストだ。黒死病。ヨーロッパ人口の三分の一を殺した、いや、これから殺すことになるアレである。

今、宮廷でも患者が出て俺が駆り出されんとしているのだ。

ちなみに「ペスト」はドイツ語読みで、英語だと「プラーグ、プレイグ」、我が愛しのラテン語ならpestisである。中世においてこれより怖いものはない。

高熱、膿、高い致死率、膿まみれの死。これを恐れず何を恐れる?

なんで気づかなかったんだ?

人手不足なあまり一介の宮廷医師が皇妃やら公爵やら侍医クラスが診るべき対象を診てて、

一介の理髪外科医がすべき瀉血を宮廷医師クラスが担ってるって時点で察しろよ!?俺!?

あんまりにも身分未満と身分超えの職務が多すぎないか、と。

1350年といえばペスト大流行真っ只中の最悪の時代じゃないか。

なんで聖年以外のことを思いつかなかったんだ。

自分の愚かさが信じられない。

無双とか言う前にとっとと幽玄深山に引きこもるべきだった!



で、チキンな俺はというと――

「昨日の夕飯にあたった」ということにして、堂々と職務放棄中。

パンデミックはこれからも続く。

なのでその言い訳で踏みとどまり続けられるわけでもないし、問題が先送りになるだけなのだが。

仮病で患者から逃げるなんて医者としてはクズオブクズだということはわかっている。

だが、イェルシニア・ペスティスとご対面するくらいなら、クズで結構。

そんなやつ中世じゃザラだし。

勇敢なやつもいるけどそいつは無知なだけだ。あるいは終生免疫付きの猛者か。

俺は現代人だ。知識があるぶん、余計に怖い。

「……絶対に出ない。今日は絶対に出ない。」

布団を頭までかぶりながら、俺は震えていた。

が、KYが約一名

【出てこいポンコツ!クソッタレの弱虫!ドア開けろよクソ間抜け!!お前がいかなきゃ誰が行く!?】

はい、例の瀉血くん。キレすぎて母語が出てる。まあ、いくらお高くとまってても普通に話せるらしい。

「...?」

ドイツ語がわからないふりをしてしのぐ。

「【...お高く止まった坊っちゃんめ】...『とっとと来い!』」

ああ、ラテン語使ってきやがった。逃げ道が閉塞しました。

『本当に夕飯に当たったんだ。許してくれ!お前に移しかねない!』

『なんだと?』

あ、理解してくれた?

『コレラか?だとしたら水銀を・・・』

うわああああ!やめてくれ!行きます!行きますって!

前言撤回。水銀の方が怖い。

III

ああ、なんでこんなことに。

一応、ないよりはマシだろうと当時の標準的な装備で向かう。(香草は省略)

棒、厚手のローブ、手袋、口を覆う布。ビンゲンの野郎にはその準備時間すら嫌がられたけど。

ここが古い時代でいいところといえば「鳥頭」が発明されていないところだろうか。ダサい極まりない。

『本当にコレラじゃないんだな?』

瀉血くんが念を押してくる。ちな、ここでの「コレラ」とは現代より意味が広く「消化器系の急性症状」全般を指す。

『違う違う。この通り元気。』

確かに腹は痛めたけど仕事はいける程度、と誤魔化すしかない。(完璧に仮病は火あぶり)

『この通りだ!。』

そう言って十字を切る。上、下、左、右っと。これ、中世でお願いだとか信じてくれアピールだとかに使える。

『...そうか』

よし瀉血くんも納得してくれた。

で、向こうからかけてくる使用人が一名。

早くしろって?

【もう来なくていい!】

は?

【公は死なれた。】

俺は肩を下ろす。周囲には落胆に見えるように。実際は安堵である。

…人の死に安堵してしまう日が来るとは。

神罰が下ったといわれてもしゃあないかもしれない。

『おい、お前!』

どうした瀉血くん?

『お前、ドイツ語分かるな?』

あ、さっきの反応でバレた!?

心臓が跳ねた。

やっぱりバレた!?

『……いや、その、なんのことだ?』

苦し紛れにラテン語で返す。

頼む、誤魔化されてくれ。

瀉血くんは眉をひそめ、俺の顔をじっと見る。

『さっきの使用人の言葉に反応しただろう。

 “死なれた”と聞いた瞬間、顔が動いた。』

やばい。観察眼だけは一流かよ。単語から、憶測したというわけにもいかない。全然似てないんだから。

『顔から想像つくだろ。』

苦し紛れすぎる。瀉血くん、これで納得してくれ。

『...そうか。』

セーフ。

使用人が去ってから、瀉血くんが小声で言った。

『...本当は診察が怖かったんだろ』

バレてた?まずい!失職?投獄?引き回し?

『こんな人手不足の時に...と言いたいところだが...別にいいさ...誰だって怖いことはある。』

あれ?結構いいやつじゃん。冷静に考えればこいつが頭おかしいのは頭おかしい時代に生まれたせいだ。

現代に生まれたら、きっと、いや確定で俺よりは確実にいい医者になったに違いない。

『...でも、お前昔罹ったことあるって言ってなかったっけか?俺もそうだけど』

は?

『私が?ペストに?』

『覚えてないのか?だからこそ俺とお前が呼ばれたんだろうが。生き残ったのが俺らしかいないせいで、本来なら担わなくてもいい雑務をやらされてるんだろうがっっつ!!』

はっ...ハハ!!

なんだよ。

マジか。免疫持ちか。だから瀉血くんは無装備で、俺が装備してくるといったときも怪訝そうにしてたのか。

今日一日はなんだったんだ。

...中世にだって、緩いながら免疫に関する知識があった。バカにしてごめん、中世。

彼らだって全くの無知だったわけではないのだ。そらへんの人選ぐらい、ちゃんとする(例外多くあり)

まあ結果として俺は酷使され、ヒルも扱う羽目になったんだろうけどさ。

『おい、ビンゲン、公の死体はどこにある?』

ビンゲンが驚いたように目を丸くする。

診療拒否のチキンが急に覚醒したんだから当然だろう。

『俺が処理する...君は下がっていいぞ』

使用人を一瞥すると俺は駆け出した。

ああ、俺は何も恐れることがないじゃないか。(水銀と麦角と水と処刑とヒルを除く)

うん、俺は無双できる。

...まあ、真の意味での終生免疫じゃないんだけれど。

切れる前に寿命を迎えてしまうのが中世クオリティ(半泣き)

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