継ぎし印
ヴァラスト公爵邸の書斎は、王都第七区の一角にひっそりと建っていた。
重厚な結界に護られ、処刑以降は封鎖されていたはずのその部屋で、突如として魔力の波動が感知された――それが、報告の全容だった。
ラナとクレイグは現地へ赴いた。
薄曇りの空の下、ヴァラスト家の屋敷は異様な静けさをたたえていた。
「封印符は……破られていない」
ラナが扉の前でつぶやいた。
結界の痕跡は確かに残っていたが、その周囲には淡く濁った魔力の揺れが漂っていた。まるで、何かが“内側から”封印を押し返そうとしたかのように。
書斎の扉が、軋む音と共に開く。
そこは、生前の主の気配を残したまま、時間が止まったような空間だった。
――そして、その中央。
宙に、ひとつの“目”が浮かんでいた。
目玉のようでありながら、それは器質を持たず、物理的でもなかった。
それは、視線そのもの。誰かが“見る”という行為だけが、空間の中に抽出され、形を与えられたかのような異様な存在だった。
ラナは無言のまま〈視認結界〉を展開し、解析に入る。
クレイグは手早く周囲の空気を採取し、痕跡魔素の検出を始めた。
「これは……視線の禁術だな」
クレイグがぼそりとつぶやく。
「対象を通さず、“見る”という概念だけを呪術的に保存した痕跡。こんな精度のものは、俺も見たことがない」
「魔眼……の残留かしら」
ラナが小さく応じた。
「遺言にあった“虚ろの魔眼”――もし、それが実在する魔術的存在だったとしたら……これは、その一部なのかも」
目は、二人を見つめてはいなかった。
その視線は空間の奥、書棚の裏側――壁面の、古い銘板に向けられていた。
ラナが近づき、銘板の周囲を慎重に調べる。やがて、金属板の裏に紙片が挟まれているのを見つけた。
それは、公爵の筆跡で記された一枚の封書だった。
封筒には、こう記されていた。
「弟子たちへ」
ラナは封を切った。
その手元から、書きなぐるような筆跡があらわになる。
「七人のうち、誰かが私を殺すだろう。
それが私の望みでもある。
だが、全てを継いではならない。
魔眼を抱く者に、虚ろが宿る。」
しばらく、ふたりとも何も言わなかった。
静寂の中、書斎の空気だけが重く冷たく感じられた。
やがてクレイグが口を開いた。
「七人、か。弟子たちの名前を確認する必要があるな」
ラナは頷いた。
「記録局に報告されているはず。ヴァラストの直弟子は七名――すべて異なる系統の魔術を学んだと聞いている」
「魔術系統の象徴は、魔眼に対応している可能性がある」
「誰かが継ぎ、誰かが奪い、そして……誰かが、まだ手にしていない」
七人の弟子たち。
彼らのうち、誰が“虚ろの魔眼”を抱く者なのか。
あるいは――すでに、何人かはその魔眼によって命を落としているのか。
謎は、ここから本格的に動き出す。