虚ろ詞
王都ザル=フィエルの西端にそびえる魔術監獄。
その地下最深部で、禁術師ギルドの立ち合いのもと、ひとつの処刑が執行された。
被処刑者の名は、エルノ・ヴァラスト。
名門ヴァラスト家の現当主にして、かつて王立魔術院の最高評議員を務めた老魔導伯爵。
罪状の記録は存在しない。ただ――本人の遺言によって死を望んだ、という。
処刑は静かに行われた。
外部とのすべての接続を断たれた封印空間の中央で、白髪の男は椅子に腰かけていた。
目は閉じられ、顔には安らぎすら浮かんでいる。
「遺言状、確認いたします」
立ち会いの記録官が読み上げる。
「『すべてを知る者は、虚ろの魔眼を持つ』――以上」
それが全文だった。
財産分配も、遺族への言葉もない。
まるで言葉自体が呪であるかのような、謎めいた一行。
やがて、処刑呪文《無声の刃》が発動される。
術式が完成すると同時に、公爵の首は断たれた――音もなく、血もなく、遺体は霧のように消えていった。
遺体が残らなかったことについて、公式な説明は出ていない。
ただ処刑記録の末尾に、こう付記されていた。
「執行完了、異常なし」
◆
三日後。
禁術師ギルド第四記録室。
机を埋め尽くす報告文と巻物の山を前に、若き禁術師ラナ・ヴェルネは腕を組んだ。
ヴァラスト処刑の記録を何度読み返しても、釈然としない。
「やっぱり変よ……この処刑」
向かいの席では、錬金術師のクレイグ・ファーンが試薬瓶を拭いている。
相変わらず目は合わせないが、彼女の独り言には反応を返した。
「遺言の内容か」
「“虚ろの魔眼”なんて、聞いたこともない言葉よ」
「ないな。禁術典にも、魔導史にも出てこない」
ラナはひとつ息を吐いた。
「でも、《裏典・深層章》には“魔眼の継承”に関する断片があった。個人に宿る視線を、禁呪で受け継がせる……って。あなた、読んでるでしょ」
クレイグは黙っていた。
それは肯定でも否定でもなかった。
そのとき。
扉が、緊急時の符で二度、鋭く叩かれた。
「入れ」
ラナが返すと、使者の少年が駆け込んできた。
興奮と恐怖を抑えきれない様子で、報告を始める。
「第七区、ヴァラスト公爵邸です。書斎の奥から強い魔力反応が――結界石が反応して、警戒符が起動しました」
ラナが目を細めた。
「書斎は処刑後、封印されたはずよ」
「はい。ギルド印の封が破られた形跡はありません。でも……中から、です。誰もいないはずの部屋で、魔術的活動が発生しています」
その場に、一瞬の沈黙が流れた。
クレイグがぼそりと呟いた。
「残留魔力か。あるいは……」
ラナは小さく首を振る。
「見に行きましょう。偶然にしては、出来すぎてる」
処刑された老伯爵の遺言。
残された謎の言葉。
そして、彼の不在を証明するはずの屋敷で――なぜか、魔術が目を覚ました。
誰かが意図していたのか。
それとも、すべてはまだ終わっていなかったのか。