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縁談待ち令嬢の受難~好きな人と結婚していいと言われても、嬉しくないのですが!

「喜べ。イヴリン。好きな人と結婚していい」


 呼び出された執務室に入ると、満面の笑みでお父さまが言った。お父さまの隣に座っていたお母さまも、にこにこ笑顔だ。てっきり縁談の話をされると思っていたわたしは呆気にとられた。


「え?」


 それ以上の言葉が出てこないわたしに、両親は楽しげに話す。


「貴族の娘が好きな人と結婚できるなんて奇跡なのよ」

「ただし、貴族出身者だけだぞ」

「あら、貴族だけなの? 大商家なら平民でもいいのではないのかしら?」


 両親が自由に相手が選べることがどれほど幸せなのか話をしてくるが、わたしには嬉しくない話。慌てて両親の会話に割って入った。


「話が突然すぎるわ。どういうことなの?」

「あら、自由恋愛、嬉しくないの?」


 お母さまが不思議そうに首をかしげる。


「自由恋愛?」

「あなたは三女ですもの。世間の流れに乗ってもいいと思って」

「ちょっと待ってください。この間まで、お父さまがわたしの縁談を用意してくれると言っていたでしょう!?」


 そう叫んだわたしに、お父さまは申し訳ない顔をする。


「前はそう思っていたのだが……イヴリンは政略結婚よりも、心を通わせた相手との結婚が幸せになれると思うのだ」

「急にそう言われても。理由を教えてください」


 詰め寄ってみたが、お父さまは視線を逸らした。


「まあ、なんだ。頑張ってみてくれ」


 歯切れの悪いことをごにょごにょ言って、話を切り上げられた。部屋の隅に控えていた家令に合図をして、退出を促してくる。じっとりとした目を向ければ、両親から目を逸らされた。家令はわたしを部屋からそっと連れ出す。


「ねえ、どういうこと?」

「私にはわかりかねます」


 家令に聞いても、彼は卒のない返事をしただけだった。いつまでもここにいても仕方がないと、悶々とした気持ちを抱えたまま廊下を歩く。


 確かに世間は、「真実の愛!」と叫びながら婚約破棄をする若者が増えている。わたしも何度か夜会で、茶会で、それこそ道の往来でも目撃している。


 日常茶飯事と言われるほど、身分問わずに増えている「真実の愛現象」。

 わたしには関係ないと思っていたのに。自由恋愛、自由結婚を親に薦められるなんて。


 何で両親がころりと手のひらを変えたのか。原因を色々と考えながら廊下を進む。できれば考えなおしてもらって、釣り合いのとれた相手を探してほしい。


「イヴリン」


 突然、腕を掴まれて、顔を上げた。目の前にはいつの間にかダニエルお兄さまがいる。七歳年の離れたお兄さまは、兄というよりも年の近い保護者のような感じ。


 お兄さまたちと年齢が離れているのは、わたしがたまたまできてしまった子供だからだ。両親の関心は非常に薄い。その薄い関心による不都合を埋めてくれたのが、お兄さまだった。


「思いつめた顔をしてどうした? 先ほど、父上に呼ばれていたことに関係するのか?」


 何を言われたのかと、お兄さまに気遣う視線を向けられた。もしかしたらお父さまが突然態度を変えた理由を知っているかもしれないと、聞いてみることにした。


「お父さまが変なんです」

「変なのはいつもだと思うが」

「そういう変じゃなくて。政略結婚はしなくていいから好きな人と結婚しろ、と突然」


 わたしの言っていることが突飛なかったのか、お兄さまも口をぽかんと開けている。


「は?」

「自由恋愛をお勧めされてしまいました」

「……もしかして好きな人、いるのか?」

「いません。お父さまからの縁談待ちをしていました。どういう理由だと思います?」

「理由……あてにしていた縁談の相手が自由恋愛に走ったとか?」


 そう言われて、なるほどと頷いた。十分にあり得る。わたしの結婚相手になる人は、爵位継承する継嗣ではなく、次男とか三男とかになるはずだ。爵位を伴わない方が恋愛の自由度が高い。


「お兄さま、すごいわ! その推理、あっている気がします」

「父上のことだから、そう複雑なことではないよ。それで、結婚相手のあてはあるのか?」


 至極現実的な質問をされた。

 そして、現実を見つめてしまった。


「……自由恋愛、つまりわたしが自分で相手を見つけなくてはいけない?」

「そうなるな」

「きゃー、ムリムリムリ! 変態かもしれないと思うと蕁麻疹がっ!」


 想像したら、背中が痒くなり始めた。手首を見れば、案の定、ぶつぶつができ始めている。痒いと思ったら最後、どんどん赤みが増してきた。我慢ができない、と掻き毟ろうとしたわたしの手を侍女ががっしりと握る。


「お嬢さま、大丈夫です。ここには変態はおりません。ほら、目の前には大好きなダニエル様です、しかもお屋敷の中です。変態はいないのです」

「そうよね、この家には変態はいないわ。大丈夫よ、大丈夫」


 侍女の言葉に合わせて、大きく息を吸う。しばらくそうしているうちに、痒みが引いていった。ふーふーと肩で息をしていると、お兄さまの呟きが聞こえた。


「……お前には自力で相手を見つけるのは無理そうだな」


 そう、わたしのこの体質では自由恋愛なんて無理。

 絶望しかないわ。



◇◇◇



 わたしは伯爵家の三女で、跡取りの兄が一人、それぞれいいところに嫁いでいった姉が二人。姉たちは侯爵家と伯爵家に嫁いでいったので、わたしも大人しく待っていればそういう縁談が舞い込んでくるのだと思っていた。


 だから、夜会や茶会では友人たちとの交流を大切にしてた。つまり、声をかけてくる令息の誘いは断り、友人たちと情報交換に勤しんでいた。結婚したら嫁ぎ先の役に立つため、貴族夫人や令嬢達と広く浅く付き合いをしていた。


 なのに、今さら婚活だなんて、無理すぎる。


 最大の問題は、男性恐怖症。

 女性は問題ない。どちらかと言えば、自分から近寄ってしまう。だって楽しいじゃない。貴族だから、女性ならではの嫌味合戦になることもしばしば。


 勝つことも負けることもまあ、半分半分。それもまた醍醐味。何気ない会話の中に、毒を混ぜ込み、棘を捏ね合わせる。聞いているだけでもぞくぞくするほど楽しいのよ。


 でも男性は無理。そもそも怖い。お父さまやお兄さまのように身内なら問題ないけれども、それほどに馴染むまでが大変。姉たちの夫も何年もしてからやっと普通に挨拶ができるようなったところだ。


 昔から男性が怖かったわけじゃない。度重なる変態との遭遇が悪い。

 見かけが弱々しく見えるようで、変な男に目を付けられる。

 高位貴族に縁があるイケメンの自分に声を掛けられて嬉しいだろう、一晩相手をしてやるとか何とか。これはまだいい方だ。

 フーフーと息を荒くしながら体の熱を取るのを手伝ってほしいなんて言い出す人が社交界に交ざっている。しかもこの気持ち悪い種族、高位貴族の年配者に多い。本気で逃げないと色々と不味い。もちろん誘拐されそうになったことも何度もある。幼いころから変態に好かれやすいのよ、わたし。


 別にわたしが絶世の美女であるわけでも、実家の羽振りがいいわけでもない。そういう変な人を惹きつける何かを持っていて、とても弱そうだから手を出しても大丈夫だろうと思ってしまうらしい。理解できないけど。


 そう分析したのは、騎士のローガン・コフィン様。わたしの救いの神だ。変態貴族に無理やり部屋に連れ込まれそうになった時、何度か助けてもらった。

 とても真面目で、裏表のない気持ちの良い男性だ。世の中の変態は彼を見習ったらいいと思う。


 幸いなことに、貴族の結婚は政略結婚が主流だ。わたしは貴族の娘だから、普通は親が結婚相手を決める。

 相手との相性がよく上手くいけば儲けもの、上手くいかなくてもそれなりの待遇ならばお飾りでもいいとまで思っていた。初夜に「お前を愛することはない」と言い放つクズだってドンとこいだ。その距離感、大歓迎。変態でなければそれでいい。


 それなのに、まさか。

 自分で結婚相手を見つけてこいだなんて!


 今になって、方針変更したお父さまが憎い……!

 増殖する「真実の愛現象」が憎い!!


「お嬢さま、いつまでめそめそしているつもりですか? 早く結婚相手を見つけないと行き遅れます」

「今さら婚活するぐらいなら、行き遅れてもいいわ。領地の片隅で畑を作って暮らしていくわ」


 投げやりにそう言えば、侍女はため息をついた。


「それは、努力した後の最終手段です。さあ、出かける支度を」

「え!? どこに出かけるのよ」


 知らない予定に、ぎょっとする。侍女はさりげなくわたしの方へと体を寄せた。逃がさないつもりなのか、いつも以上に圧が強い。


「奥様が、お嬢さまのご友人に訪問すると手紙を出していました」

「わたしの友人?」

「ええ。クンツェ伯爵令嬢様に」


 クンツェ伯爵令嬢マーリンは確かにわたしの幼なじみで、一番の友人だ。家族ぐるみで交流があり、絶対にお母さまは余計なことも書いている。


「絶対に行かない!」

「行かなくても、訪問してくると思いますよ」

「そんなことは」


 ないとは言い切れなかった。しかもマーリンはわたしの婚約のことをひどく気にしていた。彼女がこの話を知ったらきっと心配する。


「心配事を相談してみたらどうでしょう? クンツェ伯爵令嬢様ならお嬢さまに親身になってくださると思いますよ」

「……そうね」


 侍女の冷静な分析を聞きながら、渋々訪問する支度を始めた。



◇◇◇



 いつもお邪魔する隣の領地のクンツェ伯爵家。幸いなことに、王都にある屋敷もそこそこ近い位置にある。

 クンツェ伯爵家の次女であるマーリンとは同じ年で、幼い頃から気が合って、何かと一緒に行動することが多い。彼女はすでに婚約しており、半年後には結婚だ。マーリンに、わたしに突然降って湧いた悲劇を説明した。


「なるほどねぇ。まさか、この年で自由恋愛だなんて」

「酷いと思うでしょう?」

「突き放された感じはするわね」


 うんうんとマーリンは頷く。理解を示した彼女を見て、思わず体から力が抜ける。


「わかってくれて、嬉しい」

「何年も付き合いがあるのだから当然よ。だからエドワードに何人か、声をかけてもらっているから」

「え?」

「今日、都合があえば連れてくると思うわ」


 にこにこと笑顔のマーリンはそう断言した。エドワードはマーリンの婚約者だ、彼が友人を連れてくるという話に、焦る。


「ちょっと待って。今日?」

「そう。おばさまから相談があったから、試しに会ってみたらどうかと思って」


 マーリンの言葉に歓迎できない状況が迫っていると意識した。その途端、息が苦しく、全身がぞわりとする。


「……わたし、帰る」

「イヴリン」

「だって急に無理だもの」


 わたしだって、こんな体質、どうにかしたいと願っている。でもどんなに頑張っても、男性が怖いのだ。訳の分からないことを言いながら、手を伸ばし、わたしを捕らえようとする。幼い頃に刷り込まれた恐怖がこみ上げてきた。心拍数が上がり、じっとりと嫌な汗がにじみ出る。


「イヴリン?」


 マーリンがわたしの様子に気がついたようで、心配そうな顔をする。なんとか笑みを浮かべて、立ち上がった。


「ごめんなさい。もう無理。息が苦しくて」

「強引に進めて申し訳ないわ。部屋を用意するから落ち着くまで――」


 マーリンはしゅんとした顔で肩を落としている。彼女にしてみたら、良かれと思って動いてくれたのだ。その親切は理解できる。わたしが試練を乗り越えられないだけなのだ。


「ううん。帰るわ。落ち着いたらまた連絡するわね」


 ごきげんようと挨拶をしたところで、入り口が騒がしくなった。何だろうと顔をそちらに向ければ、親友の婚約者であるエドワード・ヘクト様がちょうど入ってきたところだった。彼はわたしを見つけると、すぐに笑顔で声をかけてくる。


「やあ、イヴリン嬢」

「ごきげんよう、エドワード様」


 鉢合わせするなんて、ついていない。気分がすぐれないと告げてここを離れなくては。心の中でそう算段していると、エドワード様もわたしの顔色の悪さに気がついたようだ。顔を曇らせる。


「顔色が悪いね。少し休んでいった方が」

「マーリンにも勧められたのだけど、家の方が落ち着くから」


 ふと、エドワード様の後ろに立つ人が目に入った。背が高く、がっちりとした体躯。髪は短めで、強面では無けれども精悍な顔立ち。見間違えるわけがない。思わず彼の名前が口から零れ落ちた。


「……コフィン様?」


 彼も同じで、わたしの顔を見て驚いた顔をしている。


「イヴリン嬢、どうしてここに?」

「わたしは、マーリンと友人で。え、もしかしてエドワード様のお知り合いって」

「ああ、エドワードは学園時代の同窓なんだ」


 コフィン様と目を合わせたまま、それ以上なんといっていいのか言葉が見つからない。そんなわたしたちの様子を見て、エドワードが首をひねった。


「二人は知り合いなのか?」

「えっと、コフィン様は……」

「もしかして、イヴリンの救世主?」


 いつも助けてくれる騎士だと説明する前に、マーリンが驚いて声を上げる。彼女には何度か窮地を救ってくれた騎士の話をしているので、すぐに思い当たったようだ。恥ずかしいと思いながらも、頷いた。


「ええ、そうなの」

「すごい偶然ね。どうする?」


 帰るつもりだった理由を思い出した。見知らぬ人ならそのまま挨拶して帰るところだが、コフィン様である。こうしてお茶会をするのは初めてだが、先ほどまでの苦しさはなくなっていた。


「具合が悪くないのなら、お茶にしましょう」


 マーリンはわたしが逃げないうちに、と侍従と侍女たちにテーブルの準備をさせる。わたしとコフィン様のテーブルと、それから少し離れたところにマーリンとエドワード様の席が作られた。


 同じテーブルではないけれども、ちゃんと同じ空間にいる状況にほっとする。あまり距離が近くなってしまうともしかしたら蕁麻疹が出るかもしれないので、この絶妙な差配は流石だ。

 ちらちらと彼を気にしていると、彼は優しい笑みを見せた。


「エスコートをしても?」

「よ、よろしくお願いします」


 声が震えてしまった。差し出された手にちょっとだけ触れるような形で自分の手を預ける。男性の体温が気持ち悪くない。その事実にほっとする。


 コフィン様は手を強く握りしめることなく、スマートにわたしを席に案内した。腰を下ろすと、彼は向かいの席に座る。侍女がお茶を用意した後、コフィン様が躊躇いがちに聞いてきた。


「何か事情があるように思えたが……」

「事情というのか、実は」


 わたしはつい先日、自分で結婚相手を見つけてきていいと方向転換してきたお父さまの話をした。コフィン様はとても真面目に耳を傾けてくれる。彼はわたしの事情を全部とは言わないがある程度知っているので、説明も楽だ。


「なるほど、イヴリン嬢の事情は分かった。俺としては交流するのは構わないんだが……下手に男と出かけて、その後の縁談に影響しないか心配だ」

「コフィン様こそ、わたしと出かけてもいいんでしょうか? その、婚約者とか恋人とか」

「問題ない。女性の影が全く見えないから、エドワードに誘われたのだと思う」


 どういうことだろう?

 コフィン様は貴族特有の甘い顔立ちではないが、それでも精悍でとても素敵だ。意志の強そうな目をしていて、正義感が強そう。つまり、とても安心できる。

 そんな思いが顔に出ていたのか、コフィン様は苦笑いだ。


「俺は面白みがない人間だそうだ。真面目過ぎてつまらないと断られている」

「まあ、そうですの? わたしはとても素敵だと思いますけど」

「そ、そうか?」

「ええ。いつも助けていただいて、優しく慰めてくださったので」


 家族以外の、貴重な大丈夫な人である。彼が付き合ってくれるのなら、とても心強い。


「では、まずは二人でお茶でも飲もうか」


 お出かけではなく、まずはわたしの家でのお茶会を提案された。わたしのできることから、と気を配ってくれる。彼の気遣いに、心がほっこりとした。



◇◇◇



 約束通り、コフィン様――改めローガン様と少しずつ交流した。もちろん間違いがあってはいけないし、噂になってもいけない。そのため、二人きりになることはなく、侍女と侍従が付き添っている。


 初めは二人だけのお茶会、次は町でのカフェで待ち合わせ。ほんの少しずつの交流を何度も繰り返し、ようやくローガン様と一緒にいる自分を自然に受け入れられるようになった頃。


「今度の休みに、少し遠出をしないか?」

「遠出、ですか?」

「ああ。王都の郊外にとても美味しい店がある」

「そうなんですね」


 王都の郊外と聞いて少しだけ悩んだ。以前わたしを誘拐しようとしていたとある老貴族は王都の郊外にわたし用の別邸を用意していたことがあった。何をしようとしていたのか、想像して血が引いたことがある。

 だけど今回は、そういうことじゃない。ローガン様と郊外にある店に行くのだ。

 彼を信用しているし、万が一、あの時の変態がいたとしてもきっと大丈夫。

 怯える心を宥め、頷いた。


「良かった。それから、君にドレスを贈りたい」

「ドレスですか?」

「できれば、その時に着てもらいたい」


 ローガン様は照れているのか、今日は少しだけ視線を逸らした。どんな顔をしているのかわからなかったけど、耳の先っぽが赤くなっているのを見つけてしまった。


 あまり女性に贈り物をしたことがないと言っていたから、随分と勇気を出して伝えてくれたのだろう。彼のその気持ちがくすぐったくて、自然と笑顔になった。


「喜んで」

「ほ、本当か!」

「ええ」

「よかった」


 二人ともいい年して、成人前の男女のようなやり取りをしている。幼過ぎて恥ずかしい思いと、それからくすぐったい気持ちでいっぱいになる。


「わたしもローガン様に何か贈りたいです」


 だから自然とこんな言葉が出てきてしまう。ローガン様はびっくりした後に、とても嬉しそうに笑った。神々しい笑みに、わたしの胸は潰れてしまいそうだ。


「では、刺繍の入ったハンカチが欲しい」

「ハンカチ?」


 もっと高価なものを、と思っていたから、リクエストされた品に驚いた。ローガン様は目を伏せて、理由を教えてくれる。


「その、おまじないのようなもので」


 騎士の間では恋人から刺しゅう入りの小物を貰うと無事に戻ってこられると信じられている。いつかの茶会で楽しく聞いていた話が思い出され、わたしの顔も熱くなる。きっと真っ赤になってしまっているに違いない。


「ローガン様がそういうのなら」

「うん」


 ローガン様がぱっと嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑みがとても眩しくて、見ているだけでも嬉しい気持ちがこみ上げてくる。

 神に献上するほどの最高の出来栄えになるよう、全身全霊を込めて刺繍することに決めた。



◇◇◇



 ローガン様との近場や少し遠い場所に二人で出かけた。

 無理をしないよう気を遣ってくれているためか、彼と一緒にいるのはとても心地がよい。二人で過ごす時間は少しずつ増えていき、最近では手をつないで歩くこともある。


 そんなことを思い出しながら、先日、出かけた先で買ってもらった腕輪をそっとなでた。貴族である彼にとって高価なものではなかったが、それでも思い出にと二人お揃いを買ったのだ。


「イヴリン、そろそろ現実に戻ってきなさい」

「あ、マーリン」


 ふわふわした気持ちが、マーリンの呆れた声でわれに返った。何度か瞬きをして、マーリンと一緒に最近人気のカフェに来ていた、と思い出す。


 申し訳なく思っていれば、マーリンがにこりと笑う。


「その調子だとコフィン様と上手くいっているのね」

「一緒にいてとても楽しいわ」

「よかったわ。男性に慣れてきたのね。これで次の男性を紹介できるわね」

「え?」


 驚きの発言に、表情が強張った。冗談でも言っているのだろうと、マーリンの顔を見ていたが、逆に不審そうに見つめ返される。


「何を驚いているの? コフィン様は恋人でも婚約者候補でもないでしょう? あなたの体質を治すために付き合ってくれているだけだったじゃない」

「……ああ、そうだったわね」


 急激に気持ちがしぼんでくる。どうして忘れていたのだろう。会うのが待ち遠しくて、会ってしまえば楽しくて。だから二人の関係はずっと続くものだと思っていた。そんなわけ、ないのに。


「もしかして、コフィン様を好きになったの?」

「うん」


 小さな小さな声で頷いた。二人で楽しく過ごした時間はわたしの体質改善のために付き合っただけ。そう考えると、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。


「もう、泣かないの。意地悪を言って悪かったわ」

「泣いてなんて」

「こんなにも頬を濡らしているのに、強がらないのよ」

「だって」


 泣いていないと言い張ったが、やっぱり涙は止まらない。マーリンに差し出されたハンカチで頬を乱暴に拭う。


 ローガン様が恋人でも何でもないことを突き付けられて、こんなにも苦しい。


「自分の気持ちを自覚したなら、行動あるのみでしょう?」

「……行動ってどうしたらいいの?」

「まずは自分の気持ちを伝えなさい」

「うっ」


 自分の気持ちを伝える。

 シンプルだけど、それが一番難しい。

 決断ができないまま、予約時間が終わり二人でカフェを後にする。とぼとぼと歩けば、マーリンが足を止めた。


「どうしたの?」

「あれを見て」


 マーリンに促された先に視線を向ければ、そこにはローガン様が。傍らには女性がいる。彼らの雰囲気から、知り合いか何かなのだろう。親しげな雰囲気がここからでも見て取れる。


 恋人でも、婚約者でもない、ということはこういうことだ。

 なんて辛いんだろう。胸が苦しくて、息ができなくなる。変態に追い詰められた時とはまた違う苦しさだった。

 恥ずかしいとか、勇気が出ないとか、そういうことを言っている場合ではない。


 覚悟を決めると、マーリンを引きずって再びカフェへと戻った。



◇◇◇



 マーリン曰く。

 ドレスは女の戦闘服なのだそう。


 私が引きずったはずのマーリンは、いつの間にかわたしを引きずって行きつけの仕立て屋にやってきた。


「コフィン様もまんざらじゃないと思うのよ。でも、彼の告白を待つ前にガツンとイヴリンの気持ちを伝えた方が彼の心に刺さるはず」

「だからと言って、こんな大人っぽいドレスは」


 仕立て屋に出してもらったのは、体の線に沿って流れるように落ちるドレス。デイドレスなのに、どことなく色気がある。いつもふんわりとしたドレスしか着ないわたしには未知の領域だ。


「お嬢さまにはもう少し大人しめの方がいいのでは?」


 突っ走るマーリンを制止したのは、わたしの侍女だ。


「そう? 似合うと思うけど」

「こういうのはコフィン様から贈られないと」

「ああ、そうね。そういう余白は大切ね」


 侍女がしたり顔でドレスを取り出した。

 スカートのボリュームが抑えてあり、首までしっかりある。ただ腰回りがすっきりしているせいで、体のラインが目立つ。マーリンの選んだドレスよりも抵抗はないが、それでもやはり躊躇われる。


「まずはお嬢様が頑張れそうなドレスを。徐々に、コフィン様のお好みにシフトしていくのが理想だと」

「なるほど。そうしましょう」

「え? ええ?」


 訳が分からないまま、マーリンと侍女がどんどんと決めて行ってしまう。そして、ついには着替えさせられた。


 鏡の中の私はいつもよりも大人っぽい姿をしていた。情けないことに先ほど泣いてせいで、目元は赤くなってしまっている。


「あとは、花束を用意しないとね」

「花?」

「そうよ、今からプロポーズしに行くのでしょう?」

「えっ!?」


 いつの間にそんな話に!?

 驚いて固まっていれば、マーリンは呆れたようにため息をついた。


「コフィン様、他の女にとられるわよ?」

「それは……いや」


 はっとして、覚悟を決めた。わたしだってやる時はやるのだ。ローガン様の側にずっといたい。

 そう気持ちを固めると、大きく息を吸った。気合を入れて、仕立て屋を後にした。途中にあった花屋でありったけの花を貰うと、ローガン様がいた場所に突撃する。

 そこには仕事中なのか、同じ騎士の隊服を着た男性と二人で立っていた。先ほどの女性はもういない。

 彼はわたしを見つけると、目を丸くする。


「イヴリン嬢?」

「ローガン様、大好きです! わたしと結婚してください!」


 人生で初と断言できるほどの大声を出した。ただあまりにも緊張していた。

 男性の目を意識したドレス、大量の花の香り、それから走って大声を出して。

 トドメは返事を待つ、この妙に長く感じる時間。


 驚いている彼の顔しか見えなかったけれど、時間が経つごとに視界が暗くなり、視野が狭くなっていく。足もぐらぐらしてきて。喉が締め付けられるようで息が上手くできない。頭を割る勢いでガンガンと聞こえてくる自分の胸の音。


「イヴリン! 息をしろ!」


 ローガン様の焦る声と、やじ馬たちのはやし立てる声だけがやけに遠くで聞こえていた。

 ただ抱きしめてくれる腕がとても優しくて、それが嬉しくて安心して意識を失った。



◇◇◇



 ローガン様に道のど真ん中で大告白をしたわたしたちは可能な限り短期間で婚約し、結婚した。わたしの告白した場所にはたまたま司教がいたようで、感動したようだ。その取り計らいと、両親の素早い動きで貴族界では最短記録を更新した。


「とても奇麗だよ」


 嫁に行けないかもしれないと考えていたとお父さまは泣く。その隣で、お母さまも目を潤ませている。そして、しみじみとしているのはお兄さま。


「まさかお前が自由恋愛で結婚できるとはな。最近では往来でのプロポーズが流行っているらしい」

「……え?」

「知らなかったのか?」


 まさかの情報に、愕然とする。お母さまも目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。


「いいじゃない。イヴリンの幸せにあやかりたいのよ」

「そうだそうだ。流行りを作るのも貴族の務め」

「なんか違う……」


 複雑な気分でいると、扉がノックされた。すぐに侍女が扉を開ける。


「イヴリン、迎えに来た」

「ローガン様」


 花婿の服装をしたローガン様が入ってきた。彼に飛びつこうとしたが、その前にお父さまがローガン様との距離を詰めた。


「どうかイヴリンをよろしく頼むよ」


 お父さまは涙声だ。ローガン様はきりりとした顔で頷く。


「お任せください。幸せにします」


 これからも変態は近寄ってくるだろうし、他にも沢山問題が起こるだろう。

 でも彼とならば。

 きっとそれも越えられる。


 確かな幸せの予感に、差し出された手に自分のを乗せた。

 しっかりと握られて、思わず彼を見上げた。とても優しい眼差しに、笑顔を返した。


Fin.

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