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序章

 御影温泉(みかげおんせん)――そこは石川県金沢市の山奥にある小さな温泉街だ。有名な温泉地とは異なり、旅館や日帰り入浴施設も少なく、一見すると廃れた印象を受けるかもしれない。

 しかし、ここに居を構えている者達にとって、自らが営む施設や街の経営状態など些末な事だ。

 なぜならば、彼らの本職は別にあるからだ。

 古来より人々に徒なす『怪恨(かいこん)』と呼称される異形の化け物と戦ってきた一族――霞沢(かすみざわ)家の本拠地がこの御影温泉街である。

 滅恨術(めっこんじゅつ)という異能の力を自在に扱い、怪恨を討つ役割を仰せつかった者達を『滅恨士(めっこんし)』と呼ぶ。怪恨の発生率が高い北陸を中心に、日本各地に分家が存在し、現代まで日本を守り続けている。

 先述の通り、ここ御影温泉街は霞沢家の本拠地。つまり総本家はこの地に根を下ろしている。

 霞沢本家の次期当主である霞沢葉月(はづき)は、自らの母親でもあり、現当主でもある霞沢十六夜(いざよい)の前で両膝をついていた。

 普段は本家の人間であっても立ち入りを許されない場所。縦に広がる温泉街の奥の奥、山の中の湖畔を超えた先にある日本建築――その最奥。

 厳重な結界で外界から隔絶されたそこは、通常時は保管庫として扱われており、歴史的資料、滅恨術の運用法を記したマニュアル、武具、かつての当主達の遺骨や遺灰、あるいは亡骸が収容されている。

 建物に電気は通っておらず、窓一つない五畳ほどの室内は四隅に設置された蝋燭の明かりのみで照らされていた。

「――当主。この場に私を呼んだという事は何か大事が起きた事と存じます。次期当主として、霞沢家に降りかかる災厄や苦境は全て切り払ってみせます」

 葉月は年不相応な、ましてや実の母親に向けるにしては余りにも仰々しい言葉遣いで投げかけた。

 青みがかったセミロングの黒髪が風も吹いていない室内で軽やかに揺れ、蝋燭の燈火が艶やかな髪を空間から切り取るように浮かび上がらせる。

 学校終わりにそのまま駆けつけたのか、服装は学生らしいブレザーの制服だった。傍らには防寒用の白いダッフルコートとマフラーが綺麗に折り畳まれて置いてある。

 少女の肌は絹雪のように白くきめ細かく、端正な顔立ちとアイスブルーの瞳も相まって人形のような美しさを醸し出している。青のグラデーションカラーのウェリントンメガネのレンズ越しに十六夜を射抜き、次の言葉を待っている。

「葉月」と着物姿の女性は厳格な雰囲気を纏ったまま口を開いた。「あなたは今年で一六になりました。何が言いたいかは分かりますね?」

 こちらも実の娘に向けるとは思えない口調だったが、それを向けられた葉月は特に意に介した様子もなく、一つ頷いた。

「はい。私はあと二年で当主を受け継ぎ、北陸を……ひいては日本全国の滅恨士達を率いる立場となります」

「そう。あなたが当主になるまで二年を切りました」

「……?」

 ――お母さん、どうしたんだろう?

 ――急に放課後に呼び出されたから何かと思えば……。

 葉月は内心で首を傾げる。自分が一八になると同時に霞沢家の当主を継ぐ事は、とっくの昔に決まっていた話だ。葉月の父親は、母が葉月を出産すると同時に失踪し、それ以降見つかっていない。

 要するに葉月に血を分けた『きょうだい』はいない。したがって次期当主の座を争うライバルは存在しない。

 今更それを確認するためだけに葉月をこんなところまで呼びつけた――とは思えなかった。

 なるだけ考えている事を表情に出さないように努めていたが、さすがは母親といったところか。十六夜はあっけなく葉月の胸中を看過した。

「ええ、あなたの考えている通りです。決定している事を蒸し返すためにこの場を用意した訳ではありません」

「……それでは、なぜ……?」

「あなたの意思を一つ、確認するためです」

「意思……?」

 十六夜は首肯する。「あなたは一八で当主になる。……そうなればもうここから出る事はできない。家を守るため、人々を守るため、この地を守るため――あなたには無限の責任が課せられる事となる」

「それは重々承知しております。私はその上で、この責務を引き継ぐ覚悟を」

「疑ってはいませんよ、あなたの心は」十六夜は言葉を被せるようにして言うと、一拍置いてから、「……しかし」と続けた。「このまま時が経つのを待つだけ……というのは、余りにもあなたに対して不誠実なのではないかと」

「……申し訳ございません、当主。私が至らぬばかりに話が見えてこないのです」

「端的に言いましょう。あなた――外の世界を見たくはありませんか?」

「外……? 石川の……北陸の外という事ですか」

「ええ。こちらには用意があります。葉月……あなたが役目としがらみによって雁字搦めにされる前に、広い世界を見せる用意が」

 そこまで説明されて、葉月はようやく母親の意図が見えてきた。

 そして同時に胸の奥からふつふつと湧き上がる情動を自覚する。顔の内側が熱い。脈が速まるのを感じる。

「そっ、それなら……!」ついていた両膝を持ち上げ、年相応な表情を浮かべた葉月が十六夜へと詰め寄る。「私は……! 大阪へ行きたいです……! あの人がいる、あの場所へ……!」

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