結果として羨
羊助の見える世界は今変わった。
少女が彼の中に入り、視点というか、次元が二つに増えた感じだ。
一つはいつもと同じ現実、そしてもう一つは見えなかった、霊や魂、オーラ、感情といったモノが見える世界。
捉える事が出来ると世界が一変したように思える。足下には這い蹲る霊。周りを飛び交う魂。
周囲や環境に漂う、感情やオーラの渦。
様々な色や雰囲気に適応が難しい。
頭が痛くなる。吐き気がする。
健康に思えたり、頭が冴え渡ったりと忙しい。
歩く度に変わる濃度や景色。
面白くはあるが、気分の良いモノではない。
それほどに地球が混沌としているという事だ。
最初は、平衡感覚がおかしく足下も覚束なかったが、動き慣れ、気にし無ければ案外大丈夫だ。
これも器があるおかげか。
少女は意識の問題でもあると言ったから、結局どこに目を向けるかという話なのだろう。
「いける?」
少女が心の中で羊助に語りかけた。
施設は既に半壊しており、外にはすぐ出られた。
そして、最初に目にしたのは、あの悪の塊だった。それに対し、少女は聞いたのだ。
あれを浄化できるかどうかと。
「大丈夫」
羊助は答える。
なんだ今更と。
「優と変わってあげよ」
「平さんの事ですか?」
「うん」
下に目線を落とすと、そこには服がボロボロの彼女が居た。
傷は無いが、その顔はとてつもなく疲弊しきっている。
雰囲気でもオーラでも分かる。
か細くなってしまったオーラに、今にも砕かれそうな魂。
精神でカバーしていると言った感じだ。
随分無茶をしたのだろう。
その通り、もう浄化の力は残っていなかった。
彼女は最後を振り絞る気で居た。
そこに羊助が現れた。
さも救世主のように。
バトンタッチだ。
彼女を背に羊助は前に出た。
刹那、幾重もの雷が彼女を襲った。
凄まじい量と勢いだ。
あの雷を何度も絶えてきた彼女は凄いと、羊助は頷く。
羊助はその速度、雷の一本一本すら目で捉えた。
「羊助君」
「なに?」
「私の言いたいことは分かる?」
「・・・浄化してって?」
「良い共有感覚だね」
少女と羊助は同じ体にあり、魂と魂は隣同士にある。
だから言わなくても心から伝わるのだ。
それこそ以心伝心。
少女の過去から意思まで全てお見通しな様に、逆もし然りだ。
彼女がオーラを纏えるのと同様で、少女、もとい、羊助もオーラを纏う。
全身を脱力させ、手から肩にかけて、肩から下半身にかけ、放出し、纏う感覚。
ただし、その規模とエネルギーは彼女の比では無い。
それは少女も驚く程のエネルギー量だった。
少女が力を貸さずとも、羊助、彼一人の力で施設全体を纏うほどのエネルギーを放つ。
それは、雷を寄せ付けず、悪意の塊が放った瞬間に浄化する程の力。
人間一人にそんなとは、書いたモノだが、別格はどこかに潜んでいる様だな。
「凄い。いや、君なら当然だね。だって、あの負荷に耐えられる精神力を持ってるんだもんね」
少女は考え直す。
ただ、悪意の塊は消えていない。
羊助のオーラに曝されてすら、形を保っている。
浄化の力を悪意のエネルギーで押し返しているのだろう。
つまり浄化の力より、悪意の塊そのものの悪意の方が強力と言うことだ。
しかしまた、同じ雷を撃たれたとて、羊助にダメージは入らない。
じり貧か、現状維持か。
いや、圧倒的だ。
少女の力に浄化という者が有る様に、羊助自身にも別の力が備わっている。
オーラを見て、少女の力を触って、自分にそれがあることを知った。
浄化という、素に戻す力があるのならば、素から作り出す力だってある筈なのだ。
それには、素である必要があり、自分に力を貸してくれる素である必要がある。
自分の力はここにある。
対話、そして、想像力。
「力を貸してくれ。素の子達よ」
羊助は何かをそう名付け、優しくそう言った。
そして、掌を悪意の塊に向ける。
力を貸してくれているを実感する。
純粋な気持ちと、素の子の悪意の塊を素に戻したという意思が呼応し強大な力となる。
悪意ではなく、素を思う善意で。
悲しき姿を想像する。
雨だ。
地球の熱を冷ます悲しき雨天。
素の子が雲を形容する。
雲は掌で指し示す悪の塊の頭上に。
「ありがとう、素の子」
雲は施設を包み込む程にまで大きくなった。
そして、雲から雨へと素の子は表現を変える。
浄化の力を兼ね備え、悪意の塊を頭上から浄化する。
それだけでは無い。
雨粒となった素の子が悪意の塊を喰らい、更に雨へと変化する。
喰らい増殖し、また喰らい。
電も同様に。
悪意の塊がみるみる内に小さくなっていく。
多勢に無勢。
今度は逆の立場だ。
人などという数少ない存在よりも素である子。
加えて、自らの意思で望んで染まってくれている。
いやいややるより遙かに強い。
それにはたちまち、悪意の塊も対抗せず逃げていく。
最終的に何万分の一の大きさになった。
しかし、また大きくなるだろうそれを放っておくことは出来ない。
「ありがとう、素の子」
素の子を浄化し、また元の姿に戻す。
そして素の子は羊助の常時放つオーラにくっついた。
懐かれた、いや友達になれたのだ。
その存在が、彼と戦うことを決めてくれたのだ。
だから羊助はもう一度。
「ありがとう」
そう言った。
「追うよ」
「はい」
悪に染まった素の子を元に戻すため、間違った意思を浄化する為、羊助は追う。
悪意を搾り取られ、紙切れサイズなってしまった。
悪意の塊にそれを考える頭は無い。
今はただ、苛立ちと不安に支配されている。
逃げている理由が分からない。
分かるためには器が居るのだ。
処理し、整理し、自身を理解できる人間の体が。
そして見つけたのは、哀れにも倒れている幾人もの人間と、悪意の塊の波長に合うあのサイコパスの男だった。
顔は無いが、顔があればニタァと不気味に笑っていることだろう。
その頃、当然ながら「この世界」は闇に呑まれ、人々は混濁としていた。
生活を担っていたエネルギーの供給が全て止まり、電気類は勿論、一部建物の崩壊が始まっていた。
逃げ惑う人々と、困惑する人々と、何かを悟った人々と。
考え方は違えど、結果ほぼ全ての人間が「被害者」だと、勘違いをしただろう。
悪用したエネルギーを絶対的な当たり前にし、制御が出来ると過信した。
そこに感謝はあっただろうか。
少女に慈悲はあっただろうか。
ただこれは終わりでは無い。
始まりだ。
ゼロ地点のスタートと言うだけ。
地球は崩壊したか?地に足を着けない状況か?
世界は何も変わっていない。
人々が勝手に作り上げたルールと価値観が崩壊しただけ。
『当たり前だった、当たり前で無い』ものが壊れただけだ。
皺寄せがここに来て爆発していただけ。
寧ろ、何も無いこの状況こそ、地球として、生きる上で当たり前だ。
人々は誰かに生かされて生きている事を忘れてはいけない。
いつの日か、地震、隕石、津波などの災害に見舞われ、必ず死を連想する事になるだろう。
その時人間は何か出来るか?否、生き残った後の対策意外に考える隙はない。
だからこそ、今、ここにある地球が牙を向かない事が奇跡だと言っている。
生かされていると言っている。
どれだけ人々に破壊されても今だ我慢強くある地球を我々は一体いつまで悲しませ続けるのだ。
だとしても。
そうはいっても。
人々はまだ自分たちが被害者だと宣うのだろう。それ以上に。
ここにいる新川と同じように、尊敬の目で見ていた羊助達を憎悪対象の加害者として、自らを省みず、敵を作り出すのだろう。
一部始終を見ていたのは、ここの施設に滞在している新川だからこそだった。
全人類を豊かにする為の装置を、尊敬していた二人が破壊し、人類の生活の歩みを止めた。
無知だから仕方ない所もある。
エネルギーが少女なんて事は知らない。苦しい思いをしている事など見えていないから分からない。
それでも考える事は出来なかったのか。
悪を吸い取ると言う異常な現状を。
「くそっ!あいつら・・・」
いや、無理だ。
それでこそ絶対的価値観だ。
羊助達が、悪意の塊を追っていくと、そこは少女が捉えられていた扉の前だった。
随分と小さくなった姿に違和感を覚える。
ここに来るまで、幾人もの憎悪を確認し、負を吸収出来た筈だ。
何故大きさが変わらない。
とはいえ今は浄化だ。
羊助は今一度、掌を悪意の塊に向け翳す。
刹那、その脇から凄まじい速度で人影が攻撃を仕掛けた。
「えっ?」
「大丈夫よ」
それに反応したのは優だった。
優はオーラを片腕纏い、人型の攻撃を防いだ。
しかし、疲労困憊の優にはそれが精一杯だった。防いだ衝撃に苦しい顔をする。
だから羊助は彼女の背中を手支え、力を注ぐ。
彼女は少女に力を一度貰っている。
だから彼女へとパワーをすんなり送り込めた。
「ここは優に託すよ」
少女はそう言った。
それには羊助も賛同。
と言うか、そうする事しか出来なかった。
羊助は肉弾の戦闘などした事がない。
「任せます。平さん」
「ええ。そのために私は居るわ。力を頂戴します」
彼女の精神は、彼、もとい、少女に背中を押され回復する。
エネルギーを授かり、より一層強くなる力。
彼女は借りたモノ、背負ったモノの大きさを知っている。
だから、必ずこの人型、否、あの男は止める。
今の男に自我があるとは思えない。
息巻いていた男は、現在、ゾンビのように呻きながら、背中を曲げ、気怠そうだ。
上にいる悪意の塊の黒色に染まり、操られている様だ。
しかし、速度も、威力も先程までとは段違い。
しかしまた、彼女とてそれは同じ事。
いや、それ以上だ。
彼女は少女の力の他に、彼の力も授かっている、それは彼女の手に現れる。
手に馴染む。
やはり二本の刀が。
創造の力だった。
「それごと、浄化してあげるわ」
刀から全身に緑色のオーラを纏い、防いだ真逆の腕で振り払う。
彼女が驚いた。
人型が何十メートル先まで吹っ飛んでいったのだ。
そして、吹っ飛んだ先で、人型はもう人型を保てず、左半身が消滅していた。
「あ・・・ああ・・・」
声を発することも難しそうだ。
正直、体に入ろうとして失敗したみたいな感じだ。しかし未だ人の形を保とうと、それは動いている。
片足でタッと床を蹴り、一瞬にして距離を詰める。そして、見えた。
怒りの粒達。
全身から現れる怒りの一閃。
今にもはじけそうな雷撃が、全身から現れる瞬間だった。
雷撃と、男。
どちらを先に浄化しようか。
否。
どちらも同時に浄化すれば良い。
今の彼女には容易いことだ。
しかし、忘れてはいけないのが、あの体が男の物だと言うこと。
それ即ち、鎌鼬。
雷に纏い、雷よりも早く彼女の元へ到達した鎌鼬は、飛び道具の様だ。
彼女の反応が一瞬遅れた。
そして、追い打ちをかける様に雷撃の全てが彼女を襲う。
ニタァと笑う男だったもの。
勝ちの確信、傲慢の勝利。気に食わない全てを攻撃し勝ちきった余韻。
なんと愚かな時を過ごすのか。
言っただろう。
目に見えないものは、自分の事以外、想像で保管してはいけないと。
ドォオンッ!!
遠くまで唸る爆音の後、その場に煙が立ち込める。
男は彼女を捉えられず、彼女は煙の隙間から男を捉えた。
優はその隙間から刃を通し、胸元に突き刺した。
「な・・・ぜ・・・」
鎌鼬やら雷やらなんやら知らないが、彼女が自身の傷を浄化出来る事を忘れていたのか。
いや、男は知らなかったか。
鎌鼬を受け、傷を浄化し、雷を浄化する。
そして最後に男を剣先が届くギリギリの距離で倒す。
そうして、全ての浄化は完了した。
彼女の役目はここで一端終わり。
無謀は祟る。
傷を消そうと体自身も心もとうに限界。
強大となった力の出力制御をする余裕も無く、最大出力を出し切り、本当の本当に疲労困憊だ。
意識は途絶えた。
その間、羊助達はまだ悪意の塊を追っていた。
彼女があの人型以上に強力で、張り合える事を知った途端に逃げたのだ。
否、逃げているだけでは無い。
また何かを探して彷徨っている。
入り口門前まで来た悪意の塊。
そこには、何百もの人間が居た。
不安と憎悪、そして、ざまぁみろとでも言い足そうな扇状や、嘲笑。
村の人間。
村の人間も同じだった。
同じ様に悪態を吐き、攻撃している。
それは、悪意の塊を笑顔にさせる。
負で出来た存在は負に同調し、負を引き寄せる。
居るだけで誰かを不愉快にするそれは、歩く弊害だ。
しかもそれは伝播し、負から負を生み出す為、達が悪い。
それらを吸収し、拡大する悪意の塊。
しかし、それでも追ってくる彼らに敵わないと知っている。
だから、負を生かすことにした。
体を求める悪意の塊。
これがどういう意味を持つか。
そう、羊助の体を狙えば良い。
体の中から蝕めば良いのだ。
膨大に膨れ上がった負の感情。
それを囮と盾に。
悪意の塊は急に立ち止まり、雷撃を彼に向けた。
「!?」
羊助は咄嗟に悪意の塊に手を翳し、先程と同じ状況を作る。
肉体を上手く扱えない事は知っている。
だから、簡単。
彼がその雷を吸収する事に夢中になる内に、彼の中に入り込むのだ。
「羊助君!」
少女がそう発した時、羊助は目で雷を追っており、悪意の塊は視界に入って居なかった。
悪意の塊の思惑通り。
雷を盾とカモフラージュにし、死角から羊助の身体に迫る。
そして、体の中へとゆっくりじっくり侵入する。
暗く、憎く、それが嬉しく、笑う。
!!
しかし、驚いたのは羊助では無い。
悪意の塊は悟った。
考えが至らなかった。
考えれば当然だ。
悪意の塊は自ら浄化槽に入った。
その器は、一番膨大だった状態の負を耐えた。
更に負を変換させる程の強大なエネルギーの持ち主だ。
見誤っている。
悪意の塊は腐りきっていた。
彼の全てを包み込む穏やかな光に気付けなかった。
「ありがとう」
彼は、心の内に感謝を言った。
悪意の塊はやっと気付いた。
自らの負が、消えていく・・・。
負という自我が消滅し、悪意の塊という認識が消えていく。
悲しい、寂しい・・・。
生まれた途端に消えゆく、自我。
負として生まれた事が間違いだったと、悪意の塊は思った。
幸せだったならと羨んだ。
暖かい全てに包み込まれ、一粒一粒の素の子が喜んでいる。
「君が全ての負をぶちまけてくれたおかげで君が楽になった。それで俺は穏やかになった君を見れる。ありがとう。形を作ってくれて、ありがとう本当に」
「君は私と一緒だよ。これからはずっと、プラスに照らす事を約束するよ」
反抗していた自分が消えた。
それは、どれだけ小さい自分だろう。
何億の中の自分だろう。
それは全ての素の子の感覚だ。
「私」とは、塊では無く、素の子それぞれ。
全ての中にある一。
染まっているだけ。
生きているだけ。
(だったら私は、幸せに染まっていたい)
崩壊した施設には、人間がごった返し、未だ慌てふためき騒がしい状態だ。
「終わったね」
「あっけないですね」
そんな中、彼らは一息をつける状態にあった。
一仕事を終えたのだ。
一度、家に戻り、彼女を床で寝かす。
「そんなもんなんだよ。羊助君。君の意思的な問題だけだからね」
「これからどうするんです?」
とはいえ、ここに居るのは少しばかり危険だろう。自分達。
主に彼女が大々的に敵と認知されてしまったから。
羊助達に人を傷つける考えはない。
だから、ここから去る必要があるのだ。
「これから、善き魂を救いに行くよ。まずはあの町に居る全ての善き魂を救い上げる」
「あの世界で密かに行動する訳ですね」
「うん。それと」
「まだ、あるんですか?」
「他の土地にいる私の仲間を救う事」
「仲間?」
「同じく捉えられた子達だよ。同じ指命で天から降り立ち、同じく捕まってしまったんだ」
「なるほど。当面の目的はそれですね」
「弱音は吐かないんだね」
「当然ですよ。苦しむ素の子を全て解放させ、幸せな未来を掴む。考えただけで嬉しいんですから、実際は当然、尚嬉しい事でしょう。俺はその為にどれだけでも頑張れます。生きている以上の事が出来るというのは、中々、いや、頗る贅沢ですしね」
「ほんと、君がいると空気が明るいよ」
「同様にね」
そうと決まれば出発だ。
気付かれず行くには山を乗り越え、歩いて行くしか無い。
彼女も起きて、万全だ。
同意ももらった。
村を出る寸前の事だ。
「この世界はもう終わっているんだよ。だから、私は終わった世界で彷徨う魂を救いに来た。・・・全部じゃ無いけどね」
少女は続けて言った。
いわば、ここは中の世界。
外の世界は、もう自然も育たない大地。
偽りの世界なんだよ、あの平穏は。
それが心地良いなら良いんだろう。
でも、もう手遅れ。
内側に引きこもる今が幸せだとしても、死んだ時に、幸せなのかは・・・。
人間はそれだけの事をしてきた。
地球が壊れるだけの事をしてきた。
結果、地球が当然壊れて、現実逃避をする為に人間はいつ崩壊するかも分からない理想郷を作った。
ここに生き残っているっていう事は、もう、ね。そういうことなんだよ。
全て傷つけ過ぎた。
山頂で羊助も現実を見た。
「この世界」と言っていた世界は、本当に視界に収まる程にちっぽけで、囲った山から外は砂だけの骸の土地だった。
今世界が崩壊した?
いや、とうの昔から終わっていたのだ。
羊助が住んでいたあの田舎も結局は内側だった。
未だ人々は残っている。
新川も同様に。
誰に彼に言葉をかけてもらっても、何も耳に入ってこない。
それこそ、憎悪に支配されているような。
二人を許さない。
それだけのエネルギーだった。
付け入る隙と可能性があった。
笑った。
彼はまだ気付かない。
しかし。
異常に憎悪は増している。