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帰路

 和希が人ではなく虫ばかり見ようとするのは、趣味や現実逃避だけではなく、幼い少年がとれる自衛の手段なのだと燈真は気付く。

 今のまま常世にいれば、和希はいずれ梟の化け物……タタリモッケになってしまう。

 だが元の世界に戻ることが目の前の少年にとって最善なのか、燈真にはわからなくなってきた。

 すると黙って話に耳を傾けていたリンが、切れ長の双眸を鋭く吊り上げた。

 輝石のような碧眼が西日に照らされ、燐光のような光が浮かび上がる。

「まともな人間になれないだと? お前の父親は占い師か預言者か? 息子がそうなると、神の声でも聞いたのか?」

「えっ? ち、違うと思うけど」

 気圧されつつ答えた少年に、狐耳の少女は更に畳みかけた。

「だったら何故、お前の未来がわかる。人間は先のことなど分からない。せいぜい自分の経験や知識から予測することしか出来ないだろう。なのに、さも未来を知っているかのように振る舞い、不幸になるぞと他者を脅すような奴こそ、私はまともな人間だとは思えないがな。そういうやからはただの阿呆か、タチの悪い詐欺師だと昔から相場が決まっている」

 燈真も和希も、少し離れた所で四人分の茶菓子を用意していた命婦までもが、呆気にとられた顔でリンを見た。

「いいか、よく聞け。お前には三つの選択肢がある。現世に戻るか、あの世に行くか、常世……この世界に留まるかだ」

 予想外の言葉だったのか、命婦は少し焦ったように身を乗り出した。

「お待ちなさい、リン。こんな幼い子供に何を」

「命婦は黙っていてくれ。年齢は関係ない。こいつの道は他でもない、こいつ自身が選ばなければならない。違うか?」

 きっぱりと反論され、命婦がぐっと返答に窮する。

「あの世に行ったら、ぼく、死んじゃうの?」

「そうだ、死ぬ。でもこの常世という世界に残った人間だって、いつまでも人間のままではいられない。そう遠くないうちに〝マレビト〟になる。それは今までお前が生きてきた世界を、全て捨てるということだ」

「全部、捨てる?」

「マレビトになると、お前は日に日に人間として生きていた記憶を失ってゆく。そうして生きることも死ぬことも出来ず、お前たち人間が〝化け物〟と呼ぶ姿形で、永遠に近い時間をさまよう」

「……死なないの?」

「死ねないんだ。マレビトは人間でも動物でもない。生き物とは違う、お前達の世界で〝化け物〟と呼ばれるものだ。たとえ現世に戻っても、マレビトの姿をしているお前を、誰もお前だと気付かない」

 先ほどの自分の姿を思い出したのか、和希は青ざめ、自分の体に腕を回した。

「ぼく、化け物になるの? いやだ、そんなのこわい」

小さな体が小刻みに震える。ひび割れ、無数の羽が生えた腕を隠すように、和希はベッドの上でうずくまった。

「こわいよぉ……お母さん……」

 命婦は痛ましそうに表情を翳らせ、少年の小さな背中をさする。

「泣くな、大丈夫だ。失せ物さえ見つかれば、元の世界に戻れると言っただろう」

 和希は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、リンを見た。

「でも、全然見つからないんでしょ?」

「……大丈夫だ、すぐ見つかる。人手が増えたからな」

 励ますように言って、リンは燈真の方を向く。

 さりげなく水を向けられ、燈真は言葉に詰まった。

 この流れでさすがに帰りたいなどとは言えない。

 和希がどこかに置き忘れてきたというリュックを、燈真はリンと二手に分かれ、捜索することにした。

 和希が異界駅に着いてからの行動を一通り洗い出し、少年がいた場所を虱潰しに探して回る。だが昼過ぎになっても一向に見つからず、音を上げそうになったその時、燈真はホームでとあるマレビトに声をかけられた。

「君。探し物って、もしかしてこれかい?」

 それは行きの電車で遭遇した、顔のない車掌だった。

 にわかに身構えた燈真だったが、差し出された物に目を丸くする。

 某有名スポーツブランドのロゴが入った、緑色の小ぶりなリュックサック。ジッパーには白いカブトムシのキーホルダーがついている。

 燈真は受け取り、あわてて礼を言った。

「あ、ありがとうございます! でも、一体どこに」

「整備係からさっき連絡があったんだ。車輌点検の時に、座席の下で見つけたって」

 どおりで駅を探しても見つからないわけだと、どっと疲れが押し寄せてくる。

「命婦白専女さまから事情は聞きました。お勤め、ご苦労様です」

 ねぎらうように言うと、のっぺらぼうの駅員は右手を挙げ、燈真に向かって敬礼する。

 お疲れ様です、と力なく返した燈真はふと、目の前の車掌もかつては人間だったのだろうかと、何気なく思った。

「私の顔に何かついてます?」

「いや、何もっ……じゃなくて、その、ありがとうございました!」

 頭を下げ、あわててその場を去る。

 医務室に戻り、和希にリュックを見せて中身を確認する。

 少年は泣きそうな顔でリュックの中を探り、茶色い巾着袋を取り出した。中には写真立てほどの大きさの、飴色の木箱が入っている。

 木箱の蓋をそっとずらすと、中にはガラス張りの、蝶の標本が入っていた。

「良かったあ」

 ガラスの奥に展翅された蝶は、漆黒の羽に鮮やかな青い差し色が入った、美しい蝶だった。金属のような光沢を帯びた羽が、医務室の照明をしなやかに反射する。

 リンは標本を覗き込み、感心したように小さく息をついた。

「見事だな。黒揚羽くろあげはか?」

「うん、ミヤマカラスアゲハ。……おじいちゃんと一緒に作ったんだ」

 和希の目からぼろぼろと涙が流れ落ちた。

 リンは懐から白いハンカチを取り出すと、お世辞にも優しいとは言えない手つきで、少年の頬や目元をごしごしと拭う。

 和希は安堵のあまり放心したのか、しばらくリンのなすがまま乱雑に顔を拭かれていた。


「このたびは誠にありがとうございました。ところで人の子よ、先ほどの話は考えてもらえましたか?」

 帰りの電車を待つ燈真に、命婦はにこにこと笑みを浮かべて覗き込む.

「いや、ボランティアしてる余裕はちょっと無いんで……」

「あら。稲荷修行という我々狐にとっての大事を、無償で頼もうなどという図々しいことは、露ほども思っておりません。迷い人を保護し、現世に無事送り返すことができたら、一人につき成功報酬を十万円お支払いします」

「じ、十万⁉」

「もちろん失せ物が見つからなかった時も、基本給として一日一万円の日当は保証しましょう。差し当たって、今回の分をお納めくださいませ」

 命婦は懐から錦織の懐紙入れを出す。そこから一万円札を十枚数えて抜くと、燈真の手に握らせた。

 十万円。それは先月の燈真の月収を軽く越える金額だった。

 降って湧いた大金に、燈真は動揺しつつも、コンビニのレジで染み付いた癖で紙幣を数える。

 確かに一万円札、それもやけに綺麗なピン札が十枚あった。

 失せ物探しを手伝うだけで、上手くいけば月に十万円以上が稼げるかもしれない。

 それは来月バイト先を失う青年にとって、無視をするにはあまりに美味しすぎる条件だった。

「この金、時間が経ったら木の葉になる……とか」

「まあ用心深いこと。もちろん偽札ではなく本物の日本円ですよ。心配でしたら次からは口座振込か、電子マネーでのお支払いにも対応します。もちろんお仕事にかかった諸経費も、全てこちらが持ちましょう」

「狐がそんな大金出せるんですか?」

「……狐?」

 半信半疑の燈真に、命婦の目元がぴくりと震える。

 まずい、と異変を察した燈真が身構えると同時に、銀髪の白狐神は凄みを滲ませた顔で笑った。

「私を誰だとお思いですか、人の子よ。狐は狐でも、正一位稲荷大明神に使える眷属。そして稲荷とは五穀豊穣、商売繁盛を司る神なのですよ。たかが獣とあなどってもらっては困ります」

 言葉の丁寧さとは裏腹に、金色の瞳には剣呑な色が浮かび上がる。

 燈真が何と言い返そうかまごついていたその時、警笛の音が響き渡り、ホームに列車が到着する。

 時刻は四時四十四分を指していた。

 二人は命婦に促されて電車に乗り、二匹の狐たちに見送られ、異界駅を後にする。

 和希が窓から二人の狐に手を振ると、命婦はにこやかに、リンは無表情でぎこちなく手を振り返す。

 命婦が言った通り、列車はトンネルを抜けてしばらく走ると、燈真のバイト先の最寄り駅に停車した。

 電波が戻ったスマホを見て、和希は憂鬱そうに顔をしかめる。

 通知欄には母親からのメッセージや着信が、何十件も溜まっていた。

「うわ。怒ってるかな、お母さんたち」

「当たり前だろ。ほら、帰るぞ。今度は忘れんなよ」

 和希はリュックの肩紐をぎゅっと握る。燈真もなんとなく、鞄の中のスマホと財布を確認した。

 扉が開くと、二人は連れたって列車を降りた。

 夕立が降ったらしく、湿った土のにおいが漂った。燈真は水溜まりを避けて、濡れたホームに降り立つ。

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