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逃避の果てに

 燈真は膝の上で拳をきつく握った。口の中に苦いものが広がる。

 幼い頃から、燈真には他の人間には視えないものが見えた。

 人間とも動物とも違う姿形と気配をもつそれらを、燈真はわけが分からないまま怯え、それゆえに周囲の人間から奇異の目で見られることが多かった。

 特に子供の頃は、恐怖を隠すことも平静を取り繕うことも出来ず、周囲から嘘つき呼ばわりされ、爪弾きにされることは日常茶飯事だった。

 だが今回の件で腑に落ちた。

 妖怪か幽霊か、はたまた神なのか、燈真には全く正体がわからなかった異形のものたち。

 それらはこの世界に迷い込み、マレビトと化した元人間たちだったのだ。

「そもそも迷い人は死者ではありません。文字通り、この世とあの世の狭間に迷い込んでしまった人間。よほどの事情がない限り、現世に戻るべき者たちなのです。そこで私はリンの稲荷修行として、迷い人を保護し、彼らが失った物を探し出す任を与えました。しかし……」

 命婦はそこで話を区切り、チラリとリンを見た。リンは小さくため息をつく。

「私は異端の狐だからな。他の狐たちはこの青い目玉を気味悪がって、目も合わせようとしない」

 特に表情を変えず、淡々と口を挟んだ。

「異端? そんな、目が青いだけだろ?」

「狐の瞳とはだいたい命婦のような金色か、もう少し濃い琥珀色をしている。私たちのように金色の毛並みを持ちながら、このように底光りする青目を持つ狐など、他にはおらんそうだ」

 素っ気なく言って、リンは腕を組む。命婦が話の続きを再開した。

「ですからお前様は他の狐に変わって、この子の協力者になってやってほしいのです」

「いや人間の俺じゃなくて、普通にあんたが協力してやった方が……」

「そうしたいところですが、私は霊狐たちの総まとめ役。いわば稲荷神使を目指す狐たちの試験官なのです。リンを……一匹の霊狐だけを特別扱いするのは公平性に欠けてしまうというもの」

 命婦の言い分は、厳しいが筋が通っていた。狐の世界もなかなか複雑らしい。

「尾崎燈真。お前さまは、ご自分のルーツをご存知ですか?」

「ルーツ?」

「今より千年以上も昔、平安の都に小野(たかむら)という、高名な官吏がおりました。現世の宮仕えだけにとどまらず、なんと六道の辻……六道珍皇寺の井戸から夜な夜なあの世に渡り、閻魔大王の右腕としても辣腕を振るった、当代きっての冥官です」

 燈真はその先の命婦の言葉の予想がついた。

「お前さまは小野篁の子孫。彼と同じく人間の身のまま、迷い人にもマレビトにもならず、現世とあの世を自在に行き来する者なのです」

 彼女の言葉は嘘ではないと、燈真は思う。

 何故なら母方の祖父母は幼い頃から、この世ならざる者に怯える燈真にしょっちゅう言い聞かせてきた。

 母方の家系は小野篁の末裔だ。だからこそ燈真には、この世ならざるものがみえるのかもしれないと――――

 燈真が押し黙ったその時、ベッドで寝ていた和希が小さく呻いた。

「うう……ううん……」

 うなされるように顔を歪め、眠ったまま腕を掻きむしる。

 背中の翼は消えたが、皮膚の下から生えた赤い羽は、未だ鱗のように少年の腕を覆っている。

「まだマレビトに変化しきれていないが、時間の問題だな」

 リンは少年の右手をそっと掴んで止める。

すると、和希がふっと目を覚ました。視線だけでぐるりと室内を見回す。

「……ここ、どこ?」

「医務室だ。落ち着くまで少し寝てろ」

 リンが腕を放すと、和希は少しホッとしたように息を吐く。

 しかし掻きむしった皮膚の下から生えた無数の羽に気付き、あどけない顔をさっと強張らせた。

「ぼくもあの、四個目があるカラスみたいになっちゃうの……?」

「そうだ。失せ物が見つからなければ、迷い人は遠からずマレビトになる。だがお前は四つ目烏ではなく〝タタリモッケ〟になるだろう」

「タタリ……なに、それ?」

「世の不条理に翻弄され、強い怒りや悲しみに身を焼かれた子供の魂は、血のように赤い大梟の姿に化ける」

「フクロウ」

 リンの言葉を反芻するように、和希はひとりごちる。

「現世に戻りたくないと言ったな。何か理由があるのか」

「それは……」

 少年は少し迷ってから、ぽつぽつと事情を話し始めた。

 事の始まりは今年の四月に、国語の授業で書いた作文だったらしい。自分の宝物というテーマが設けられた作文で、和希は深く考えず、祖父と作った昆虫標本について書き、授業参観で発表した。

しかし、その内容が一部のクラスメイトを刺激してしまう。

 標本は生きた昆虫を殺して作る。そんな理由から、クラスメイトは和希を「虫殺し」や「動物虐待」だと囃し立てた。和希も祖父も標本を作るときは状態の良い死体か、生体から作る時でも瀕死の状態まで弱った虫しか使わない。元気なものは次の世代に命をつなげるため、標本にはしないと決めている。

 しかしそう反論しても、クラスメイトはムキになる和希を面白がり、追及を止めなかったという。

 和希に対する非難がいじめに形を変えるまで、さほど時間はかからなかった。

教室内での無視は序の口で、教師の目を盗んでクラスメイトたちは和希の靴や鞄に虫の死骸やゴミを隠し入れた。SNSでは和希への誹謗中傷が書き込まれ、担任が注意しても、エスカレートした子供達は陰でいじめを続けてしまう。

 両親に相談するもまともに取り合ってもらえず、父は和希を「それくらいのことも自分で解決できないのか」叱咤する有様だった。母親は心配そうな顔をするものの、最終的には父親に同調するという。

 加えて五年生に学年が上がってから、同級生達の雰囲気が変わったと和希は感じていた。学習の習熟度別にクラスが分けられ、中学受験を視野に入れた指導が始まると、子供らしさが影を潜め、同級生達はどこかピリピリと気を張り詰め、クラスメイトのテストの成績や内申点を競い合うようになってゆく。

 和希が通っている学校は、燈真でも名前を知っている名門の私立小学校だった。

 毎年多くの難関中学に合格者を出すが、その指導法はかなりのスパルタで、生徒達は朝から夕方遅くまで勉強漬けだと聞いたことがある。

 和希は特別進学クラスに入れたが、五年生になってから成績は下がる一方だった。

 もともと集中力や好き嫌いのムラが強く、好きな教科は勉強せずとも優秀な成績をとるが、興味の無い科目は平均点を下回るタイプだ。成績至上主義の教室で、和希のテストの点数の低さはいじめに拍車をかけていった。

「……クラスで飼ってたメダカが死んじゃった時も、ぼくが殺したんだって決めつけられたんだよ。本当に、僕はやってないのに。みんなもそれを知ってて、でもぼくのせいにして楽しんでる。ぼくは頭が悪いから、いじめてもいいと思われてるもん」

「ふん。今も昔も人は変わらんな。子供のくせに蠱毒の真似事か、愚かしい」

「コドク?」

「知らんのか。毒虫を何匹か壺の中に閉じ込めて……」

「ばっ、子供相手に何教えてんだ」

 燈真に話を遮られ、リンはムッと口を尖らせる。

 青年は命婦が自分をリンの補佐役に雇いたがる理由が、少しだけ分かったような気がした。

「毒虫を閉じ込めて、どうするの?」

「そ、それは……ほら、あれだよ。肉食の虫とか魚って、一つの水槽に何匹も入れとくと共食いするだろ」

「人間もそれと同じってこと?」

「残念だけど、そういうことになるな」

 この喩えも教育上いかがなものかと思いつつも、燈真がやむなく肯定する。和希は膝の上で小さな拳をぎゅっと握った。

「生き物の本能なんだ。……だからいじめって、絶対なくならないんだね」

 力ない声で呟き、目を伏せた少年に、燈真は何も言えなかった。

 和希は頭が悪いと自分で自分を卑下するが、決して頭の回転は遅くないと、燈真は思う。人と話していてもうわの空になることも多く、さほど興味がないことに集中力を欠くことが目立つが、興味があることへの理解や洞察は深い。

 むしろ今の会話からも、年齢の割に早熟な知性を持っているように感じた。

 試験で優秀な成績を修め、エリートコースを歩むことだけが、賢さの証明ではないと燈真は思う。

 けれど和希の知性は親や教師といった、周囲の大人が望む形をしていない。

 周囲の大人が和希に望む理想も、本人に合っていないのだ。

「学校はいやだったけど、でも、仕方ないから行ったんだ。休むと内申点が下がっちゃうから……」

 過酷な毎日の心の支えにしていたのは、ひとえに自分が好きなものだった。

 夏休みになれば、田舎の祖父母の家に泊まりに行ける。祖父や気の合う従兄弟たちと一緒に、虫取りや標本作りができる。

 それだけを楽しみに、和希は両親に強いられた通り、学校を休まず通い続けた。

 しかし夏休みに入った少年を待ち受けていたのは、待ち望んでいた祖父母の家ではなく、父親が息子に何の断りもなく申し込んだ学習塾の夏期講習だった。

 和希は昨日、塾から帰宅する途中、とある電車の訪れを自宅の最寄り駅で待った。そして目の前に停まった「時刻表にはない電車」に乗り込み、今に至る。

「なんかもう、全部、どうでもよくなっちゃった。四時四十四分、四十四秒に着た電車に乗れば〝異界駅〟に行けるってネットで読んで、だったら行ってみようかなと思って。本当は岐阜の、おじいちゃんちに行きたかった。いつでも泊まりに来ていいよって言ってくれたから。でも、それは〝逃げ〟なんだって」

「逃げって……なんだよ、それ」

 燈真は思わず口を挟む。

 窓から差し込む西日に、和希はまぶしそうに目をすがめた。

「お父さんが言ってた。自分が好きなこと、楽しむことばかり考えて、塾とか学校とか、勉強とか受験みたいな、辛くて大変なことから逃げてばかりいると、誰からも相手にされなくなるんだって。まともな人間になれず落ちこぼれて、皆に迷惑ばっかりかけて、最後は誰からも認められない、弱くて卑怯な人間になるんだって」

 まるで呪いの言葉だと、燈真は顔をしかめる。

「そんなにダメなら、ぼく、もう消えちゃったほうがいいのかなって思ったんだ」

 そう呟いた幼い声の端が、震えてかすれる。

 今にも泣き出しそうな少年の表情に、燈真の胸の奥にやるせなさが湧き上がった。

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