迷い人
「化け物って……」
「他にも物の怪やら妖怪やら、色々な呼び名があるそうだな」
素っ気ない回答に、燈真の背筋を冷たい汗がつたった。
先ほど電車内で見た、顔の無い車掌が脳裏をよぎる。
「着いたぞ」
そう言って、リンは「失せ物さがし」と書かれたプレートが貼られたドアを開いた。
中には白を基調とした、簡素な待合室のような部屋になっている。
壁際のソファに座っていた十歳ほどの少年が、不安そうに顔を上げた。
紺の半ズボンに水色のポロシャツを着た、身なりのいい少年だった。しかし不安からか、妙に顔色がくすんでいる。
「この子供は和希という。どうやら駅で鞄なくしたらしい。お前のスマホを探すついでに、こいつの失せ物も探してくれ」
無理難題を言われたらどうしようかと密かに案じていた燈真は、ひとまず胸をなで下ろした。それくらいなら出来そうである。
それにこの少女と一緒にいれば、自分の身の安全が保証されるのではないかと、燈真は薄々感じた。
「分かった。どんな鞄なんだ? 色とか特徴とか」
燈真が尋ねると、リンは少年に目で答えを促す。和希と呼ばれた少年はソファから背中を浮かせ、姿勢を正した。
「えっと、緑色のリュックです。ヘラクレスオオカブトのキーホルダーがついてて、中に塾の問題集と水筒が入ってて……ぼく、どこかに置き忘れちゃって」
「そっか。とりあえず、心当たりがある場所から一緒に探してみるか?」
燈真の提案に、少年はこくりと頷き、ソファから立ち上がった。
三人は待合室を出て、和希の足取りを辿ることにした。
まずホームに降りてから、和希は無人の改札を抜けて案内図を探したらしい。
「地図みたいなのは見つかったんだけど、読めない字で書かれてて……」
構内をうろついていたところを、リンに保護されたのだという。
とりあえず順番に探していこうと、非常階段から三番線のホームに向かう。しかしその最中、和希は頻繁に立ち止まり、そのたびぼんやりとどこかを眺めた。
「どうした? 何か思い出したか?」
燈真が尋ねると、少年は「なんでもない」と首を横に振る。
見知らぬ所に迷い込んでしまい、怯えているのかと最初は思ったが、どうにも違うと燈真は感じた。
立ち止まるたび、和希は何かをじっと見ている。
「何見てんの?」
燈真が尋ねるたび、少年は我に返った様子で、小走りで二人を追いかける。
そのたびリンは呆れを隠そうともせず、露骨に眉をひそめた。
「ぼうっとするな。置いていくぞ」
「ご、ごめんなさい」
そんなやり取りを何度か繰り返すうちに、燈真はふと気付く。
最初は周囲の景色でも眺めているのかと思ったが、少年の視線の先には、小さな黒い点があった。
「……なんだ、あれ。虫?」
燈真が目をすがめる。
それは隣の建物の外壁に張り付いた、小さな蜂のような羽虫だった。
「あれ、ドロバチかなあ」
ぽつりと呟く和希に、燈真は少し呆れた。
今、誰の探し物をしているか、わかっているのだろうか。
もしや目の前で起きていることに現実味がないから、今ひとつ危機感を持てず、うわの空なのだろうか。
お節介かもしれないが一言注意しておいた方がいいと、燈真は小さく咳払いする。
「もう少し危機感持てよ。リュック見つからなかったから、家に帰れねえんだぞ?」
少年は分かったのかそうでもないのか、ぼんやりとした目を燈真に向けた。
ホームや改札の付近には見つからず、三人は駅構内に場所を移した。
するとまだ閉店中の、売店とおぼしき施設の奥から、一人の女性がひょっこりと顔を出す。
リンより少し年上くらいに見える、妙齢の女性だった。白に近い銀色の髪をゆるく結い上げ、豊満だが均整のとれた肢体を、白地に金色の刺繍で瑞雲の紋様があしらわれた、豪奢な和の装いに包んでいる。
「ご苦労様です、お三方。熱いしお疲れでしょう、少しお茶にしませんか?」
「命婦、来ていたのか」
リンが小走りで女性に駆け寄る。
にこりと微笑まれ、燈真は会釈を返した。
すると女性は少し垂れ気味の目を和ませ、薄桃色の唇に笑みを浮かべる。非の打ち所がないほど整った美貌は、相対する者に人間離れした凄みを感じさせた。
「こんにちは、人の子たち。私はリンの目付役、どうか命婦とお呼びください」
金色の瞳で見上げられ、燈真は何故か全身に鳥肌が立った。
和希も消え入るような声で「こんにちは……」と返すも、緊張を隠せない様子で体をすくめる。
「そう身構えることはありません。さ、こちらへどうぞ」
硬直する燈真に再び微笑み、命婦と名乗った女は売店の隣にある部屋へ通す。
先ほどの待合室とは比べものにならないほど広く、重役室のように瀟洒な部屋だった。机も棚も、見るからに高級そうなアンティークの調度品たちが絶妙に配置されている。床には赤い絨毯が敷き詰められ、白百合を活けた花瓶やガジュマルによく似た観葉植物まで置かれていた。
「掛けてお待ちください。冷たいお茶と、水菓子などいかがですか」
「葡萄がいい、緑色で粒がおおきいやつだ」
「はいはい」
勝手知った仲なのか、リンのリクエストに命婦は鈴を転がすような声で笑い、奥の部屋へと消えてゆく。燈真が部屋のソファに腰を下ろすと、革張りのクッションは雲のように柔らかく体を包み込んだ。
「わあ……」
和希はきょろきょろと部屋を見回していた。が、何かを見つけたのか、ガジュマルによく似た形の観葉植物に近寄る。燈真は何気なく、少年の視線の先を追った。
すると枝葉の影になにか黒い塊のようなものがぶら下がっていることに気づき、目を凝らす。それは赤ん坊の握りこぶしほどの大きさで、サナギのような少し歪な形をしていた。
「大っきい……なんのサナギだろ」
「駄目だ、近寄るな!」
燈真は嫌な気配を感じ、とっさに和希の腕を掴んだ。
この禍々しい気配をまとうのは生きた動物や虫ではないと、燈真の勘が告げている。
「え? な、なんで?」
『――――あな口惜しや』
低くざらついた声が、どこからともなく響き渡った。
次の瞬間、サナギの表面にびっしりと並んだ人間の歯が生えた。黒い塊の表面がボコボコと泡立つように盛り上がり、小さな人間の顔が浮かび上がってゆく。
『口惜しや、吾が怨み晴らさでおくべきか。祟ってやる。祟ってやる。祟ってやる。祟ってやるぞ、お前たち皆あますことなく祟ってやる』
地の底から響くような呪詛に、燈真の肌が粟立つ。
タールのような黒い表面に浮かび上がった顔はカッと目を開き、目の前に立つ少年の姿をとらえた。
和希は半泣きになりながら、燈真の背後に姿を隠す。
『末代まで祟り殺し……』
「やかましい」
凛と透る声が、ぴしゃりと怨嗟の言葉を遮る。
リンはつかつかと鉢植えに歩み寄ると、人語を話すサナギのような化け物を、躊躇うことなく素手で掴む。
ガラリと窓を開けると、彼女は遠くに向かって放り投げた。
『ぎあああああぁ!』
耳をつんざくような悲鳴とともに、サナギは放物線を描いて落下する……かと思いきや、どこからともなく飛んできた烏がそれを空中で嘴にくわえ、当然のように持ち去ってゆく。燈真と和希は呆気にとられ、遠ざかってゆく烏を見上げた。
「何事ですか⁉」
勢いよく奥の扉を開き、命婦が駆けつける。
「大事ない。常元虫が出ただけだ」
リンが至って冷静に告げると、銀髪の美女は「なるほど」と、微塵の動揺も見せず納得する。燈真は虫の化け物よりも、そちらの方が空恐ろしかった。
「あれは常元虫というマレビトだ。非業の死を遂げた人間が、怨みの強さゆえに死んでも死にきれず、今際の際に虫の姿に化けた」
リンはごしごしと着物の袖で手をぬぐい、窓を閉める。
和希は燈真の背後に隠れ、カラスが飛び去っていった方を凝視したまま、わなわなと口を開いた。
「い、今のカラス、目が四つもあった」
「マジか……」
燈真は烏が飛んでいった方を思わず見る。
しかし更に空高く舞い上がった烏は既に、燈真の肉眼では黒い塊にしか見えなかった。