うせもの探し
「乗車券はお持ちですか?」
再び同じ問いを繰り返されるも、燈真は何も答えられなかった。
じりじりと後退り、相手から距離をとる。
車掌服を着たのっぺらぼうは、上着の右ポケットから、黒く小さなリモコンのような機器を取り出した。
「迷い人、一名」
燈真がリモコンだと思った機器は、小型のワイヤレスマイクだったらしい。
どこから声を出したのか、低く落ち着いた男性の声が、車内のスピーカーからノイズ交じりに響く。
のっぺらぼうの車掌はワイヤレスマイクをポケットにしまうと、踵を返し、元来た道をスタスタと戻ってゆく。
そうして隣の車輌に移るのを見届けると、燈真はばくばくと嫌な鼓動を立て始めた心臓をなだめながら、窓の外を見遣った。
やはりと言うべきか、自分がいつもバイト帰りに使っている路線とは明らかに異なる、見たこともない風景が広がっていた。
新幹線や電車、リニアモーターカーのものとおぼしき線路がいくつも絡まり合うように伸び、奥には近代的なビルの群れがそびえている。
そこだけ見れば東京駅や品川駅のようにも見えるが――青年は視線を下ろし、絶句する。
「……なんだよ、これ」
縦横無尽に伸びる無数の路線。
だがそれらの高架下には、見たことのない街並みが広がっていた。異人館のような建物が所狭しと並び、街の至る所に赤色の灯籠が吊り下げられている。
ひしめき合う瀟洒な館の合間をぬうように、コンクリートではなく石畳の通路が通っていた。
テレビの旅行番組で昔見た、香港や台湾の観光地と少し似た景観だと感じた。
しかし看板に書かれた文字は判読不明で、遠目にも漢字ではないとわかる。
ここは本当に日本なのだろうかと、燈真は自分の目を疑った。
けれどバイト先の最寄り駅からたった数分で、外国に着くなどあり得ない。
異世界、という言葉が頭にちらついた。
まさか、と燈真は自分の思いつきを打ち消そうとする。
しかしその単語をきっかけに、脳の奥底からとある記憶が浮上した。
それは少し前にネットを賑わせた話題で、電車に乗っていたら聞いたことのない名前の駅に到着した、という都市伝説だ。
「まさかここ、異界駅っていうやつか……?」
疑問が声に出るも、その問いに答える者は周囲にいない。
『常世。常世でございます。お降りの方はお手荷物、お忘れ物ございませんよう……』
ごくごく一般的なアナウンスと共に、目の前の扉が開いた。
一見、普通の駅と変わらないコンクリートの地面に、黄色い点字ブロックが見える。
燈真は混乱の中、必死で思考を巡らせる。こんなわけの分からない場所で降りるのは危険だ。しかし終着駅の「あの世(黄泉)」で降りるのは更に危険ではないか。
降りて戻りの電車を待つしかない。燈真は意を決し、ホームに降り立つ。
まるで宙に浮いているような足場だと、戦々恐々としながら歩いた。
地上何階に相当するかは分からないが、驚いたことに必要最低限の安全柵すらなかった。ホームの半分以上は安全柵もなく、露天で剥き出しになっている。停車場のごく一部に、申し訳程度の庇とガードがあるのみだ。
それにしても……青年は間違っても足を踏み外さないよう慎重に進みながら、改めて周囲を見回す。
まだ早朝だからか、ホームの人影は数えるほどしかない。
電車の窓から覗いた通り、上を見上げればまるで宙に浮いているような無数のレールと、都会のようなビル群が。だが足元を見下ろせばどこか異国情緒が漂う、無数の灯籠に彩られた不思議な街並みが広がっている。
「なあ、兄ちゃん」
「わあっ⁉」
きょろきょろと周囲を見回していると、背後から肩を叩かれ飛び上がる。
「驚かせてもうた? ごめんごめん、堪忍な。兄ちゃん、さっきからキョロキョロしてはるけど、なんか探してんの?」
振り返ると、そこにはラフな服装をした男が立っていた。
年齢は三十代後半ほどだろうか。赤字にヤシの木が描かれたアロハシャツに白のハーフパンツ、無精ひげが残る顔に目にはサングラスがのっている。派手な服装に、口元に浮かんだ軽薄な笑みが相まって、ひどく胡散臭い印象を受ける男だったが、燈真は相手に顔があることに少しホッとした。
身なりは胡散臭くとも、奇妙な電車に乗ってから初めて出会う、一見「普通の人間」だった。
「あの……茶色い革のカバーのスマホって、見かけませんでしたか?」
男はサングラスの隙間から、とび色の瞳で燈真をじっと見る。
「スマホなくしてもうたんか、そら難儀やったなあ。探し物なら〝失せ物さがし〟に聞いてみるとええで」
「うせもの? 悪いけど、そういうの間に合ってるんで」
客引きや勧誘の類いかと警戒する燈真に、男性はからからと笑う。
「ちゃうちゃう、ここの駅員や。金取られたりせえへん。この辺りの落とし物なら、その子が管理してるさかいな。目立つ子やから、すぐ分かると思うわ。金髪碧眼の、すらっと背が高い美少女で、目の色と同じ青い着物姿に……お、噂をすれば影やなぁ」
そう言うと、燈真の背後に向かって大きく手を振った。
「おーい、リンちゃん。お客さんやで」
燈真が振り返る。
すると少し離れた場所に、青い着物を身にまとった若い女性の後ろ姿があった。
女性は後ろで一つに結い上げた髪を揺らし、振り返る。
歩み寄ってきた女性に、燈真は小さく目を瞠った。
少しくすんだ金髪からのぞく、夏空の色をたたえた碧眼。真白い肌に影を落とす濃いまつげと、顔の真ん中ですっと通った細い鼻筋。
すらりと痩せた体に、隙なくまとう青い和装。だが均整のとれた長身とは対照的に、色白の小さな顔は少女のようにあどけない。
「どうした、タカムラ。探し物か?」
珊瑚のような唇が開き、高く澄んだ声が空気を震わせる。
「ワイやなくて、この兄さんがね。スマホ落としてもうたんやって」
「落としたっていうか、その……」
たじろぐ燈真に、リンと呼ばれた少女は怪訝そうに目を細めた。
「あとはリンちゃんに任せとけば安心やで。スマホ見つかるとええな、兄さん。ワいはこれから仕事やさかい、ほな、ここで」
「あ、はい。ありがとうございました」
タカムラと呼ばれた男はひらひらと手を振り、改札に向かって歩き出す。
その場に取り残された燈真は、おそるおそる少女に向き直った。
可憐な顔に見蕩れそうになり、あわてて気を引き締める。
外見はほぼ人間に近い。しかし彼女から漂う気配は、先ほどの男性とは明らかに違う、異質なものが含まれていた。
「ここはどこなんですか?」
「お前、この駅は初めてか?」
可憐な容姿とは裏腹に、ぶっきらぼうな話し方をするが、燈真は不思議と気にならなかった。むしろ少し中性的な雰囲気を漂わせる彼女に似合うとさえ感じる。
「駅名の通り常世だ。ここは生きた人間が暮らす現世と、死者が暮らすあの世の間にあって、そのどちらでもない場所だ」
「あの世とこの世の間……?」
生ぬるい風が吹き抜け、長い金の髪が揺れた。
地平線から顔をのぞかせた朝日に目を細め、リンは踵を返す。
「お前のスマホを探してやってもいいが、条件がある」
「条件って?」
「お前も私の〝失せ物さがし〟を手伝え」
スタスタと歩き出す少女を、燈真はあわてて追いかける。
「俺も一緒に探すってことですか?」
「ああ。お前の他にもう一人、なくしものをしたやつがいる」
リンは話ながらホームの突き当たりまで進むと、右手に伸びた非常階段を降りた。カンカンと鉄板を踏む足音が、早朝の空気に溶けるように響く。
「ここには時々、お前のように、生きた人間が迷い込む。私たちはそれを〝迷い人〟と呼ぶ。実は昨日、この駅にはお前の他にもう一人、迷い人が来た」
「それってもしかして、さっきのアロハシャツの人も」
「あの男は違う。お前よりもっと年が低い、まだ十の齢を数えたばかりの子供だ」
自分とさほど変わらない年齢に見えるのに、ずいぶん古風なしゃべり方をする少女だなと、燈真はひそかに思う。
階段を降りきると、リンは扉を開け、駅舎とおぼしき建物に入ってゆく。
「お前がスマホをなくしたように、迷い人は必ず何か大切なものをなくし、常世をさまよっている。それを探すまで現世に戻れないし、見つからなければ彼らは次第に〝マレビト〟に変化する」
「まれびと……?」
薄暗く冷たい無人の通路に、二人の声が反響する。
「お前たち人間が〝化け物〟と呼ぶたぐいのものだ」