表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

うせもの探し

「乗車券はお持ちですか?」

 再び同じ問いを繰り返されるも、燈真は何も答えられなかった。

 じりじりと後退り、相手から距離をとる。

 車掌服を着たのっぺらぼうは、上着の右ポケットから、黒く小さなリモコンのような機器を取り出した。

「迷い人、一名」

 燈真がリモコンだと思った機器は、小型のワイヤレスマイクだったらしい。

 どこから声を出したのか、低く落ち着いた男性の声が、車内のスピーカーからノイズ交じりに響く。

 のっぺらぼうの車掌はワイヤレスマイクをポケットにしまうと、踵を返し、元来た道をスタスタと戻ってゆく。

 そうして隣の車輌に移るのを見届けると、燈真はばくばくと嫌な鼓動を立て始めた心臓をなだめながら、窓の外を見遣った。

 やはりと言うべきか、自分がいつもバイト帰りに使っている路線とは明らかに異なる、見たこともない風景が広がっていた。

 新幹線や電車、リニアモーターカーのものとおぼしき線路がいくつも絡まり合うように伸び、奥には近代的なビルの群れがそびえている。

 そこだけ見れば東京駅や品川駅のようにも見えるが――青年は視線を下ろし、絶句する。

「……なんだよ、これ」

 縦横無尽に伸びる無数の路線。

 だがそれらの高架下には、見たことのない街並みが広がっていた。異人館のような建物が所狭しと並び、街の至る所に赤色の灯籠が吊り下げられている。

 ひしめき合う瀟洒な館の合間をぬうように、コンクリートではなく石畳の通路が通っていた。

 テレビの旅行番組で昔見た、香港や台湾の観光地と少し似た景観だと感じた。

 しかし看板に書かれた文字は判読不明で、遠目にも漢字ではないとわかる。

 ここは本当に日本なのだろうかと、燈真は自分の目を疑った。

 けれどバイト先の最寄り駅からたった数分で、外国に着くなどあり得ない。

 異世界、という言葉が頭にちらついた。

 まさか、と燈真は自分の思いつきを打ち消そうとする。

 しかしその単語をきっかけに、脳の奥底からとある記憶が浮上した。

 それは少し前にネットを賑わせた話題で、電車に乗っていたら聞いたことのない名前の駅に到着した、という都市伝説だ。

「まさかここ、異界駅っていうやつか……?」

 疑問が声に出るも、その問いに答える者は周囲にいない。

『常世。常世でございます。お降りの方はお手荷物、お忘れ物ございませんよう……』

 ごくごく一般的なアナウンスと共に、目の前の扉が開いた。

 一見、普通の駅と変わらないコンクリートの地面に、黄色い点字ブロックが見える。

 燈真は混乱の中、必死で思考を巡らせる。こんなわけの分からない場所で降りるのは危険だ。しかし終着駅の「あの世(黄泉)」で降りるのは更に危険ではないか。

 降りて戻りの電車を待つしかない。燈真は意を決し、ホームに降り立つ。

 まるで宙に浮いているような足場だと、戦々恐々としながら歩いた。

 地上何階に相当するかは分からないが、驚いたことに必要最低限の安全柵すらなかった。ホームの半分以上は安全柵もなく、露天で剥き出しになっている。停車場のごく一部に、申し訳程度の庇とガードがあるのみだ。

 それにしても……青年は間違っても足を踏み外さないよう慎重に進みながら、改めて周囲を見回す。

 まだ早朝だからか、ホームの人影は数えるほどしかない。

 電車の窓から覗いた通り、上を見上げればまるで宙に浮いているような無数のレールと、都会のようなビル群が。だが足元を見下ろせばどこか異国情緒が漂う、無数の灯籠に彩られた不思議な街並みが広がっている。

「なあ、兄ちゃん」

「わあっ⁉」

 きょろきょろと周囲を見回していると、背後から肩を叩かれ飛び上がる。

「驚かせてもうた? ごめんごめん、堪忍な。兄ちゃん、さっきからキョロキョロしてはるけど、なんか探してんの?」

 振り返ると、そこにはラフな服装をした男が立っていた。

 年齢は三十代後半ほどだろうか。赤字にヤシの木が描かれたアロハシャツに白のハーフパンツ、無精ひげが残る顔に目にはサングラスがのっている。派手な服装に、口元に浮かんだ軽薄な笑みが相まって、ひどく胡散臭い印象を受ける男だったが、燈真は相手に顔があることに少しホッとした。

 身なりは胡散臭くとも、奇妙な電車に乗ってから初めて出会う、一見「普通の人間」だった。

「あの……茶色い革のカバーのスマホって、見かけませんでしたか?」

 男はサングラスの隙間から、とび色の瞳で燈真をじっと見る。

「スマホなくしてもうたんか、そら難儀やったなあ。探し物なら〝失せ物さがし〟に聞いてみるとええで」

「うせもの? 悪いけど、そういうの間に合ってるんで」

 客引きや勧誘の類いかと警戒する燈真に、男性はからからと笑う。

「ちゃうちゃう、ここの駅員や。金取られたりせえへん。この辺りの落とし物なら、その子が管理してるさかいな。目立つ子やから、すぐ分かると思うわ。金髪碧眼の、すらっと背が高い美少女で、目の色と同じ青い着物姿に……お、噂をすれば影やなぁ」

 そう言うと、燈真の背後に向かって大きく手を振った。

「おーい、リンちゃん。お客さんやで」

 燈真が振り返る。

 すると少し離れた場所に、青い着物を身にまとった若い女性の後ろ姿があった。

 女性は後ろで一つに結い上げた髪を揺らし、振り返る。

歩み寄ってきた女性に、燈真は小さく目を瞠った。

 少しくすんだ金髪からのぞく、夏空の色をたたえた碧眼。真白い肌に影を落とす濃いまつげと、顔の真ん中ですっと通った細い鼻筋。

 すらりと痩せた体に、隙なくまとう青い和装。だが均整のとれた長身とは対照的に、色白の小さな顔は少女のようにあどけない。

「どうした、タカムラ。探し物か?」

 珊瑚のような唇が開き、高く澄んだ声が空気を震わせる。

「ワイやなくて、この兄さんがね。スマホ落としてもうたんやって」

「落としたっていうか、その……」

 たじろぐ燈真に、リンと呼ばれた少女は怪訝そうに目を細めた。

「あとはリンちゃんに任せとけば安心やで。スマホ見つかるとええな、兄さん。ワいはこれから仕事やさかい、ほな、ここで」

「あ、はい。ありがとうございました」

 タカムラと呼ばれた男はひらひらと手を振り、改札に向かって歩き出す。

 その場に取り残された燈真は、おそるおそる少女に向き直った。

 可憐な顔に見蕩れそうになり、あわてて気を引き締める。

 外見はほぼ人間に近い。しかし彼女から漂う気配は、先ほどの男性とは明らかに違う、異質なものが含まれていた。

「ここはどこなんですか?」

「お前、この駅は初めてか?」

 可憐な容姿とは裏腹に、ぶっきらぼうな話し方をするが、燈真は不思議と気にならなかった。むしろ少し中性的な雰囲気を漂わせる彼女に似合うとさえ感じる。

「駅名の通り常世だ。ここは生きた人間が暮らす現世と、死者が暮らすあの世の間にあって、そのどちらでもない場所だ」

「あの世とこの世の間……?」

 生ぬるい風が吹き抜け、長い金の髪が揺れた。

地平線から顔をのぞかせた朝日に目を細め、リンは踵を返す。

「お前のスマホを探してやってもいいが、条件がある」

「条件って?」

「お前も私の〝せ物さがし〟を手伝え」

 スタスタと歩き出す少女を、燈真はあわてて追いかける。

「俺も一緒に探すってことですか?」

「ああ。お前の他にもう一人、なくしものをしたやつがいる」

 リンは話ながらホームの突き当たりまで進むと、右手に伸びた非常階段を降りた。カンカンと鉄板を踏む足音が、早朝の空気に溶けるように響く。

「ここには時々、お前のように、生きた人間が迷い込む。私たちはそれを〝迷い人〟と呼ぶ。実は昨日、この駅にはお前の他にもう一人、迷い人が来た」

「それってもしかして、さっきのアロハシャツの人も」

「あの男は違う。お前よりもっと年が低い、まだ十の齢を数えたばかりの子供だ」

 自分とさほど変わらない年齢に見えるのに、ずいぶん古風なしゃべり方をする少女だなと、燈真はひそかに思う。

 階段を降りきると、リンは扉を開け、駅舎とおぼしき建物に入ってゆく。

「お前がスマホをなくしたように、迷い人は必ず何か大切なものをなくし、常世をさまよっている。それを探すまで現世に戻れないし、見つからなければ彼らは次第に〝マレビト〟に変化する」

「まれびと……?」

 薄暗く冷たい無人の通路に、二人の声が反響する。

「お前たち人間が〝化け物〟と呼ぶたぐいのものだ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ