ダリア・ファーレンの真実の愛とやら
自分が見たいもの書こうと思ったらこうなりました。
詰めが甘い箇所が多いですがどうか大目に見てください。
2021-11-02
日間55位ありがとうございます。
2021-11-07
日間46位、週間95位いただいてたことを今日知りました。
重ねて御礼申し上げます。
日々の生活にも苦労するような庶民だけれども、大層見目麗しい乙女が実は高貴な生まれで、なにかしらのきっかけで王子様のような殿方に見初められて、その出自も明らかになり最後は結ばれて幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
こういった話が貴族に平民に問わず飛ぶように売れるのは、きっと実際の日々がもっと策謀に溢れているとか、終わりのない労働の仮初めの出口としてそこに救いを求めているからなのだろうと書きながら彼女は思った。
実際にそういうことがあるかどうか、答えは否である。夢物語のために切り取られた幸せな結末はそれを望む者たちを等しく笑顔にしてくれる一種の麻薬だ。法に触れないだけ。
だからなのかどうか、は知らないが、新聞社に結構な数の抗議の手紙が届くのだと聞いている。もっとも千通の手紙が届くころにはこの物語が一万冊売れている。それがすべてであったし、新聞社の担当者は「商売はこうでなくては」と手紙が暖炉の焚き付けに有効であることを楽しそうに語っていた。
今度新しく彼女が書こうとしているのはそれとはまったく毛色の違う話で、要は苦労するような見目麗しい乙女も結局は卑しい庶民に違いなかった、という貴族に向けたシンデレラストーリーである。
いままで書いてきた話には明確な悪役はいなかった。苦労が偲ばれる乙女たちの日々の善行が最終的に幸せになって跳ね返ってくるだけでよかった。
だがそれでは、本来そこにいたはずの本物の貴人があまりに救われない。だって本当なら、生まれも育ちも恵まれた美しい女性がそこに収まるはずなのに、ぽっと出の、身分も分からない、顔がいいだけの女のせいで物語に登場することさえが叶わなくなるのだ。
そこで思いついた。本物の貴族とはなんなのか、それを物語にしたためてみてはどうかということを。
――――――――――――――――
「ダリア・ファーレン、ここで貴様の罪を明らかにしたのち、婚約の破棄を宣言する」
「まあ、面白いご冗談ですこと」
最近の流行りの小説の一幕によく似ている、とダリアは思った。悪辣な父親や、意地悪な継母と義姉、甘言巧みな魔女のような悪を打ち滅ぼし、主役は真実の愛を手に入れる。わかりやすい勧善懲悪の夢物語。現実にそううまく事が運ぶことがないからなのか、空想の世界ですべてがトントン拍子に運ぶさまが痛快らしく、意外なことに軽薄な乙女たちよりも要人の紳士のほうがなんやかんやそういうものを好んでいるらしいと聞いている。
ワインと煙草、コーヒーハウス、新色のハットとステッキ、上等な紳士服と靴と外套。それらに身を包んだ紳士たちの愛読書の流行りが大衆のロマンスとは笑わせるが現実とはこうでなくてはなるまい。
「では殿下、お聞かせ願いたく存じますわ。わたくしの、罪……とやら」
「ふん、余裕でいられるのも今のうちだけだ」
王子殿下が呼びつけたのは、級友の三人である。次期騎士団長と噂される剣の達者な伯爵家の長男・ギルバート。大層頭の切れる法務局局長の長男・アルフ。そして王子の右腕と称され、肩を並べる公爵家の次男・ヘンドリクス。
どれも見慣れた顔ぶれだった。少なくとも同い年と、一つ二つしか歳の変わらない令息、令嬢たちは彼らをよく知っているし同じようにダリア・ファーレンのことも知っていた。
ダリア・ファーレンの二つ名は可愛らしさのかけらもない「鉄の令嬢」であった。
一分の隙も無い完璧な淑女仕草。美貌も知性も非の打ちどころがなく、また国政や軍事策謀であっても幅広い教養を見せるのに、女であるからと常に一歩引いた姿勢を見せる。
素直に言うことの聞けない愚鈍な一部の老獪たちも、彼女が否といえば素直に聞くほうが英断であると渋々の体で首を縦に振る。ファーレン大公閣下の一人娘はそういう令嬢だった。
おもむろにヘンドリクスが口を開く。
「ファーレン嬢、あなたには三つの容疑がかけられております」
「お聞かせ願えるかしら」
「一つ、クレイス・アーリの学園生活に不当な手段で妨害を行いました」
クレイス、というのはここ数年で急速に業績を伸ばし始めたアーリ商会の長女である。経営の手腕と諸外国との貿易の実績を認められ、王宮はアーリ商会の跡継ぎである長男のガイス・アーリに貴族学舎への進学を薦めていた。というのも経営と経済に特化した科があるのでそこで国のためにということで勉強してはどうかという話だった。
だがガイスはすでに現場に出て方々で商いをしており、また父親の現商会長とガイス自身を贔屓にしている顧客も多いからという理由でガイス本人は進学に乗り気ではなかった。
陛下のせっかくのご厚意ですが、という商会になんとしても恩を売っておきたかった王宮は、ではガイスの助手になるものがいるならばそちらでも良いと通達し、入学が決まったのが歳子の妹であり長女のクレイスだったのだ。
最初は女ということで扱いに困っていた様子の教師やクラスメイトも、彼女が心底優秀だと知ってしまえばそこに差別意識などは存在しなかった。青い血ではないかもそれないが、能力で優遇される世界があることをこの国の貴人たちは幼いころからよくよく承知しているためである。
その彼女の学園生活を不当な手段で妨害した、とは。
「先に三つの容疑を挙げたのち、詳細に入らせていただきます」
「よろしくてよ。お続けになって」
「一つ、アーリ商会へクレイスを人質に圧力をかけていた。一つ、学園内での妨害工作にあたり、ほかのご令嬢たちに圧力をかけていた。以上の三つです」
「知性があると面白いことばかり思いつかれますのね。それで、公女たるわたくしを糾弾するからには墓前のお花はもう選んでおいでですの?」
優雅に微笑むダリアは、今しがた挙げられた容疑を本当に自分のものだとわかっているのかと疑いたくなるほどで、顔色ひとつ、指先の震え一つ変えては見せなかった。
柔らかな羽をふんだんにあしらった山吹色の扇を口元に開いて、目元だけはにっこりと、それはもう美しい所作で微笑んでいる。
ギルバートはそれとは対照的に苦虫を噛み潰したような顔をした。
「花の選定をするのは貴女のほうだ」
「まあ、ご期待に沿えそうもなくて残念ですわ」
お忘れなきよう、ここは夜会の真っ只中。それも場所は王宮、その名目は本来、王子殿下の誕生祭だったはずである。自分たちは何を見せられているんだと興味津々なもの、侍従の一人をその場に残し、面倒ごとは避けようと庭に出ていくもの、緊張かなにかで声を殺してはらはらと泣く令嬢、反応は様々であった。
「まあまずは詳しいお話をお伺いするのが礼儀ですものね、どうぞお続けになって。お話が終わるまでわたくしから反論は控えさせていただきますから」
「……あなたが真に賢人でないことが残念でなりませんよ。んんっ、ではまず一つ目から。学園内で彼女は自力でその立ち位置を明らかにしました。成績優秀者に名を連ね、自身の社交力で身分という壁を撤廃しました」
そうね、といった態度でダリアは頷く。実際、試験の結果を張り出されたときクレイスはいつも上から五番とか六番とか、とにかくすぐ見つかるところに名前があった。言わずもがな一番は常にダリアであったけれども、それでも十二分に優秀な成績だった。
「そうして彼女が穏やかな学園生活を手に入れた矢先のことです。彼女の私物の盗難が相次ぎました」
「王国法では盗難に関して厳しい法が制定されています。これは先王陛下が先の大戦後に頻発していた貧民街での強盗事件に法整備をして当たっていたためです」
またもそうね、という態度でダリアは頷いた。
近隣の五か国で凝り固まっていた冷戦が、現在は亡国になったかの国の王女殿下の暗殺によって激化。勝ち負けなど無いに等しいような結果に終わったため、四か国には戦後の特需やインフレーションが発生しなかった。簡単に言うとどこも敗戦国の有様だったのだ。
金の回らない戦後の国内と言うのはそれはそれは悲惨な様相で、特に戦災孤児や治療が満足に受けられなかったために職も家族も失った一般人が固まってできた貧民街では殺人や強盗が横行。それに厳しい法整備を行ったのだ。
現行の法律では少々かみ合わない箇所も出てきているのでそろそろ法案の改定をしてはどうか、という話がつい先週の会議で出たばかりであった。
「その盗難の首謀者がダリア・ファーレン嬢であると我々はここに告発いたします」
ざわざわと会場のあちこちからそんな、まさか、という困惑の声が上がる。
ダリア本人が一番落ち着いた様でいつも通りの「鉄」っぷりを見せていた。微動だにしない彼女にむしろ王子陣営のほうがたじろぐほどであったが、アルフが口を開く。
「証拠として複数の目撃証言と、王家の影による報告を提出させていただきます」
「あらまあ」
「……相変わらずの鉄面皮だな、ダリア」
「王子殿下は本日もこの国の空のようでいらっしゃいますわ」
この国は山に囲まれているが、四方からの風が入り込みやすいため天気がうつろいやすいのが特徴的だ。この国の空のようとは笑わせる。貴族社会においてはダリアのほうが限りなく正解である。
「二つ目に関しては文字通りです。王子妃準備金として用意されている国庫から支出されたファーレン嬢の買い付けの帳簿がそのままありますのでこちらを提出いたします。正真正銘アーリ商会から借りてきたものです。原本は商会にありますが」
「クレイスの学園生活を脅かすだけでは飽き足らず、退学をちらつかせてアーリ商会に無理難題をふっかけていた、とアーリ商会の商会員からも証言が上がっています」
たしかに、ファーレン家ほどの力があればたとえ王宮主導で編入してきた者であったとしても退学に追い込むことが可能だろう。先王の年の離れた弟である大公閣下は甥っ子である現国王に対してもかなり強い発言権を持っている。表面上は臣下とはいえ、こればかりは仕方がないことであった。
「さあダリア、言い逃れがあるならば今ここで申してみるがいい」
できるものならな、という言葉が本当なら後に続くはずだったのだろう。勝ち誇った様子の王子陣営を見てもダリア本人はいつも通りツンと澄ましている。これだけずらずらと証拠を並べられては正直逃げ場など無いように思えた。
周囲がはらはらと見守る中、ぱちん、と子気味良い音を立てて山吹色が閉じられる。無表情には違いないものの、ダリアの醸し出す空気が呆れているようだった。
「おっしゃりたいことはよく分かりましてよ。要はわたくしが権威を笠に着てクレイス・アーリを、ひいてはアーリ商会を、学園のご令嬢を苦しめていたと、そういうお話でよろしくて?」
「ああ、そうだ。それについてお前自身になにか言いたいことがあるのなら」
「まず聞かせていただきますけれど、あなた方にとってクレイス・アーリは何なんですの?」
「どういう、意味ですか」
「? そのままの意味ですけれど」
なぜ分からないのか分からない、というふうにダリアは首をかしげる。
クレイスが学園生活の中で、彼らとどう付き合っていたかというとごく真っ当な距離感の友人だったのではないか、というのが第三者の意見である。
王宮から名指しの編入のようなものであったし、それを王子が気に掛けること自体はそんなにおかしいことではないだろう。王子の友人がセットになるのもまあわかる。
だがクレイスがなにかしらの被害を受けるようになってから、彼らは彼女を守ろうとかなり高頻度かつ長時間そばについていることが多かった。それも自分たちの婚約者よりクレイスを優先してだ。害されているものを守らねばという高潔な騎士精神、といえば聞こえはいいもののそれ自体に「なぜ王子自身がそこまでするのか」という考え方をする者たちがほとんどであった。
聞こえないのはこの際仕方がない。なんせ相手が相手ではうかつなことなど言えるはずもないからだ。
「わたくし聞かれましたのよ、どうしてあなた方自身がそこまでなさっているのかしらって。護衛を命じるのではいけないのかと。わたくしなら王子殿下になにかお聞きになっているのではないかとも。生憎とわたくしが知っていることなんてありませんでしたから分からないとしか答えて差し上げられなかったけれど。そのうえで改めてお尋ねしますわね、彼女はあなた方の何なのですか?」
要は、一人を特別扱いする理由が知りたいとたったそれだけのことである。ダリアの口調は決してこれまでの行いを非難したものでもなければ、そばに居たクレイスをこき下ろすようなものでもなく、ただ淡々と聞いているのだ。「彼女にどういう理由があって特別扱いをしているのか」……ただそれだけのことである。
「純粋に友人を応援しているですとか、王宮からの指名に正義感を感じたですとか。ああ、側妃に召し上げたい、婚約者を挿げ替えたいなんていうことも考えられますけれど、彼女とあなた方がどういう関係なのかは最初に明確にする必要がありますわ。わたくしの発言で彼女が不利になってはいけませんものね」
「それとこれとがどう関係あるというのだ、ファーレン嬢! あなたの罪を裁こうというときに、なぜクレイスとの関係に言及する!」
「あなた方がどの立場かわからないからですわ。そんなこともわたくしが説明しなくてはいけませんの?」
たとえば、本当にダリアがなにかを企んでいたとしてそれを裁くのは当然かもしれない。だが現状彼女がやったかどうかはまだ疑いの域をでていないし、それについて口に出しているのが王子含む四人しかいないのだ。
彼らがダリアに正しくあってほしいからそうするのか、クレイスに対してなにか思惑があって彼女を糾弾するのかによって、同じ主張の意味するところが大きく変わってきてしまう。
もしクレイスへの邪な算段のためにダリアを糾弾しようとしているのであれば、事実であったとしてもファーレン大公が黙っていないだろうことは誰にでもわかることである。
「彼女は、血筋に囚われない本物の友人だ。私たちは、その中でも特別仲が良いというだけだ。これから共にこの国を支えてく身として当然だろう」
「友人、ですのね。かしこまりましたわ。ではその特別な友人の事情をどの程度ご存じでいらっしゃるの?」
「事情……?」
「彼女の事情を知っているか否かで、わたくしと殿下たちが本当に敵なのかどうかを判断することが可能ですのよ」
「どういうことですか! 今日のあなたはおかしい、とてもいつものファーレン嬢とは思えない!」
「おかしいのはあなた方のほうですけれど、まあよろしくてよ」
はあ、とついにダリアはその表情を崩した。心底呆れ果てた、軽蔑のまなざしで。
「分からないということはご存じないということ。特別な友人だなんて嘘までついて」
「嘘ですって! 殿下もおられるのですよ、不敬ではありませんか!」
「ここは議会ではありませんのよ。嘘そのものに価値はありませんけれど、問題はその背後に一人の人間がいるということですの」
顔を真っ赤にして叫ぶヘンドリクスにそう吐き捨てて、閉じた扇をとんとんと顎に当てながらダリアは四人を見据える。誰もが見慣れた鉄の令嬢の堂々たる姿に、一部の令嬢たちは嘆息した。
「そもそもこの場にクレイス・アーリがいないことがおかしいのです。彼女の意志でわたくしを糾弾したのなら、あるいはあなた方の協力があってそうするのなら、彼女の性格上自分で一言、わたくしに申し付けるはずですわ」
「クレイスはそんな野蛮な女性ではない!」
「お静かになさいませ。国王陛下のお耳に障りますわ」
ぐ、と言葉を詰まらせる四人を正面からダリアはにらみつける。
ここへ、と通る声で一言命令すれば彼女のそばに現れたのは王宮の執事と侍女。そしてベールで顔を隠したアイスブルーのドレスの令嬢だった。
「では容疑者に釈明を……お時間を頂戴いたしますわ。みなさま、どうか肩の力を抜いてお聞きになってくださいませね」
淑女らしい微笑みで無理難題を投げかけられて、会場の貴人たちは頭を抱えた。大人であろうが関係なく、誰も手を出せないこの状況で肩の力を抜けとは鉄の令嬢には逆に人の心がないのではないだろうか。
とはいえ彼女の微笑みそのものが清涼剤としての効力を持っている。ダリアがそういうのだから、少し力を抜いて行く先をただ見ていればいいのである。
「まず盗難の一件についてですけれど、おそらく目撃情報そのものに嘘はないと思います。わたくし、いつどこでなにをしていたか、誰かが見ているのは当然だと思っております。なんせそういう教育を受けて生きていますから」
現状王子妃である彼女だが、将来は王族に名を連ねることが確定している身だ。常にどこかで誰かが見ている、そんなのは彼女にとっては当然のことであった。
「ですから、夕刻にガゼボでわたくしを見かけたとか、本来授業の時間なのに教室から出ていく私を見たとおっしゃるのならそれはおそらく本当なのですわ。きっと影もそういうでしょうう、ねえアルファ」
「はい、ダリア様のおっしゃる通りです」
執事が口を開く。アルファ、というのは影の一つの部隊長であったはずだ。本名ではなく役職のようなものでそういう呼称をすると決まっているのをさすがに王子たちは知っていた。ではあの顔もきっと変装なのだろう。影は外で顔を見せないものだ。
「クレイス・アーリの鞄から抜き取った、机から取り出した、そういう証言がほとんどなのではなくて?」
「ど、どうして、それを」
「確かにわたくしはそういった行為をいたしましたわ。そうね、アルファ」
「はい、ダリア様のおっしゃる通りです」
先とまったく同じ言葉を、一言一句違わずにアルファは言った。つまり彼女がなにかを持ち出していたという事実を認めたのである。
畳みかけねば、アルフが口を開きかけたのをダリアは扇で指し示して一言「まだ終わってなくってよ」と目線だけでその口を縫い付けた。
「その時わたくしが抜き取ったものがクレイス・アーリの私物であった、という事実は確認できるのかしら」
「そ、れは……遠目にそこまでは確認できなかったと。ただそのあと、それまで使っていたはずのものをクレイスが使っていなかったからと」
「つまりクレイス・アーリのものであった、わたくしが窃盗をしたという証明はできないということですわね」
なにかに納得したようにダリアは深くうなずいた。
するとにんまり、といった表現が似合いそうな表情をして口を開く。
「ああ、よかった。あなた方が愚かでも卑怯でもないことが証明されて。すこうしばかりせっかちなのはいただけませんけれど、まあ仕方がございませんわね」
「なんの話をしているっ!」
「もちろん、わたくしの罪とやらの証明のお話ですわ。では……そうね、先にわたくしがほかのご令嬢に圧力をかけていたという話ですけれどそれはどこから出てきましたの?」
なんてことないようにダリアはまた話を促した。まるっきり彼女のペースに持ち込まれて糾弾しようとしていたはずの四人がたじろぐほど。
令嬢たちへの圧力、というものに関して資料を出し、ギルバートが口を開く。
主だった証言は下位貴族の令嬢から上がっていること。アーリ商会の利用について止められたこと。止められたことを黙っているよう言われたこと。そしてクレイスにくれぐれも近づかないように釘を刺されたこと。それを破った場合、家がどうなっても知らないと言われたことなど。
持ち直したのか、王子はまたきつくダリアを睨みつけた。たとえ高位貴族とはいえ、学びの庭でそういった行為は許されていいものではない。ファーレン家の名前が背後にあってはいくら学院内でのこととはいえ、下位貴族には反論の余地などないからだ。
ところが今度もダリアはツンと澄ましたまま、眉一つ動かさないのである。
「わたくしの言い方がまずかったのかしら、どう思う? ベータ?」
「ダリア様の瑕疵はわたくしどもには確認できませんでした」
「そう、では受け取る側の問題であったと公文書に記録が可能ですわね」
「ダリア様のおっしゃる通りです」
ベータもまた影のことである。彼らは主観を語らないので、ここでベータが「確認できない」といえばそれは誰が見ても問題ない状況だったということである。彼らの見聞きしたものは公的な記録として認められ、記載され、後世に残るのだ。
四人の背中に冷たい汗が伝う。
「きちんと理由がございますの。わたくし全く同じ話をプライズ侯爵令嬢のお茶会でさせていただきましたわ。もちろん伯爵家以上の方しかいない場所です。誰がいらしていたかも記録されていますけれど、その方たちはどうおっしゃっていて?」
「ぐっ、……プライズ嬢を筆頭に、皆様ダリア様からは、良いお話を聞いている……と」
「認識の違いのお話ですから、もうその下位貴族のご令嬢の証言はあてにできませんわね。もしその中に、悪意を持ってそう証言した方がいたのなら……今回のことでお家は取り潰されるかもしれませんわね」
「それが脅しでなくてなんだというのです! 彼女たちは怯えていました! あなたがあんなにきつく言うのは初めて聞いたのだと!」
噛みつきそうな勢いのヘンドリクスにダリアは淡々と言い放つ。
「侯爵家では、脅しと忠告は同じ意味で使われますの?」
「はっ?」
「つまりそういうことですわ。それについて、アーリ商会のことと合わせて説明させていただきますわね。……あなた、こころの準備はよろしくて?」
ベールの令嬢に向かってダリアが問いかける。
顔は見えないが、静かに彼女が頷いたのを見てダリアも同じように頷き返した。
「ことの発端は、アーリ商会の急成長なのですが」
アーリ商会は大きな船を持ち、海路を使った貿易を主としている。そのため、国境警備兵による検閲の影響がかなり少ない。これは貿易船の一部が現行の法律で手形を持っているためである。
特にアーリ商会は生鮮食品を含む販売期限が限られたものの輸送を行う関係で検問のスピードが要求される。
「それによって見逃されていた商品があったのを、新人警備兵が見つけたのがおよそ一年前。彼は担当の上官ではなく、そのまま王宮に文書で提出してきたのです」
「いったい、何を……」
「麻薬と奴隷ですわ」
フロア全体が大きく騒めく。
王子の顔などは可哀想なほどに真っ青で今にも膝をつきそうなほど頼りない様子だった。
「我が国では厳しく取り締まっているものが三つありますわね。植物と麻薬と奴隷……アーリ商会はそのうちの二つの売買に携わっていました」
嘘だ、と小さくギルバートがこぼすがダリアは残念そうに首を振った。
それ自体はクレイスとは関係ないかもしれないが、もしかしたら知っていたかもしれないだとか、そもそも彼女は関係者になってしまうとか、処理しきれない情報が誰もの頭の中でぐるぐると渦巻く。
続けざまにダリアはこういった。
「元々、王宮からガイス・アーリに声がかかったのは主だった奴隷の調達が彼の仕事だったからなのです。また麻薬に関しては、販売だけでなく奴隷に使用していたこともあってかなり厄介だったのでどうしてもガイス本人を現場から引き離す必要がありました」
姿勢を正して彼女は続ける。
表向き、業績や国益への投資として王宮から声がかかっていたかのように見せていたがそれは国王陛下の采配によるところだった。
アーリ商会はそれに気が付いたわけではなかったこと、ただガイスがいなくなると当てられる担当者がいないため本人も父親も渋っていたこと、高位貴族との繋がりのために好機と見て代理でクレイスが送られてきたこと、そしてそのクレイス本人は……
「彼女は父親と兄のしていることを知っていました。ただ彼女には戦うすべがない。なんせ商会の主だった会員は父親の犬ですものね。お母様は亡くなられ、まだ子供であるからと立場も弱い。そんな彼女が学院に来たのはむしろ運がよかったのです。ねえ、そうよね、クレイス」
ダリアがそう声をかける。
ベールをかぶった、アイスブルーのドレスの令嬢に。
ゆっくりとそのベールを外し零れ落ちる栗色の髪。そこに居たのはたしかに、虐げられた被害者であると語られていたクレイス・アーリ本人であった。
「ク、クレイス……どうして……」
「わたしは……」
「まあまあお待ちになって、わたくしのお話まだ終わってませんの。ねえ、人の話は最後まで聞くものですわ」
ダリアがクレイスの手を取る。
カタカタと震えていたらしいクレイスも、ダリアに握られた指先に視線を落としてほっとした表情で頷いた。
無表情は相変わらずだが、アルファとベータの目線も二人に向いている。
「クレイスがわたくしに声をかけてきたのは、学院に来た三日目とか……でしたわ。そうよねアルファ」
「四日目でございます」
「些細なことですわ」
並みいる高位貴族の令嬢と一緒に居たダリアに突撃までして、令嬢たちには睨まれたがそこで話を聞く気になったダリアがクレイスを王宮に秘密裡に連れ込んだ。
国王陛下と王妃殿下に面会させるために。
クレイスの口からは彼女が見聞きしたものと、告発の濁流のようで、頭を地べたにこすりつけ泣きわめくうら若き乙女に国王陛下が一番動揺して見せたほどだったという。
そもそもその証拠が挙がっていたこと、本格的に調査を入れるためにすでに警察ではない特別班が派遣されていることを聞かされたクレイスの口からはさらにとんでもない話が出てきた。
「なんでも、クレイス自身、兄や商会員から暴力を振るわれていたそうですの。ただの暴力でまだ幸運だったとさえ思いますわ。父親は見て見ぬふりだったそうで、なんせ息子も従業員も金の生る木みたいなものですものね。だからこそ、寮生活は一種の逃げ道でしたのよ。あなた方は知らないでしょうね、彼女の腹やふとももの、おぞましい痣の数を!」
彼女の顔や腕に傷はない。
常に笑顔と努力を絶やさない、心優しい少女はどこにでもいる、そこいらの少女たちとなんの違いもないはずだった。
彼女自身の努力で、貴族と平民の壁を突き破っているような、社交性に優れた明朗闊達な少女のはずだった。
はずだと思っていた。少なくとも、王子たちは。
「……わたしは、ダリア様の、お時間をいただくことにしたんです」
「ダリアの、時間……?」
「発案は王妃殿下ですけれど、犯罪者をみすみす逃がす我が国の太陽ではございませんわ。それは身内への暴力も同じです。寮にいる間、いくらか家族と離れてるとはいえ手紙が来たりしますから、クレイスはわたくしどもの計画のために向こうに探りを入れる役割を担っておりました」
そこで出てくるのがあの「盗難事件」だという。
ダリアとクレイスがどういう関係になったかは誰も知らない。突撃された現場に居た令嬢たちも、翌日ダリアが「なんでもない」と一言いえばそこで関係が終わったのだろうと思ってくれるはず。
まるで無関係、無関心なように振舞っていればどこかからアーリ商会に話が漏れる心配もない。もしことが明るみになれば、激昂したガイスが無理やりにでもクレイスを連れ帰る可能性があるからだ。
「もちろん彼女にも護衛はついていましたけれどね。そういった彼女との連絡手段なのです、なにかを盗ったように見えていたのは」
「そ、そんな、馬鹿な……!」
しかも何も抜き取るだけではなく、教科書に挟んでおくだとかすれ違いざまに落として見せるとか、ほかにもいろいろとやり取りがあったという。
信じられない、といった風に王子がクレイスを見やれば彼女は軽く首を縦に振った。
「わたくしの鞄から抜き取ると、それこそよからぬ噂になりますから。冤罪で、裏で、誰が何をするかわかりませんものね。ですからそういったことはわたくしからしかしておりませんわ」
「た、たしかに、ファーレン嬢くらいになれば……声に出して、あなたを非難する人などいないでしょうが、それにしたって……!」
「これ位容易いことですわ」
「貴女自身が本当に汚名を被るところだったのにか!?」
自分たちのやっていたことを振り返っているのかギルバートの顔は蒼を通り越して白かった。
「この国のためなら、わたくしの首など二束三文でも高いくらいだわ」
いつも通りの調子でダリアはそう言い切った。
誰もがはっとして顔を上げる。そこに立っているのは紛れもない鉄の令嬢、ダリア・ファーレンその人であった。
「ですから、先のお話のご令嬢への圧力というのは純粋に、好意からの忠告ですの。ただことがことですから大声ではお伝え出来ないし、どうしてかまでは言えませんでしたの。子供やご夫人が知らなくとも、アーリ商会のそういったことを知っている家長が少なからずおりましたから申し上げたのです、お家がどうなっても知りませんよ、と」
取引禁止三大品目に手を出せば、良くて禁固刑、最悪死刑もあり得る。それは実際に手を出した本人だけではなくその家族も含めて刑が執行されるのだ。
高位貴族の令嬢たちがそれを知っていたわけではない。ただ彼女たちは信じていただけである。ダリア・ファーレンという令嬢の高潔さを。
「あ、あのっ、最初の話も間違ってるんです。皆さんが仲良くして下さったのは決してわたし一人の力じゃありません。ダリア様が色々と……」
「いやですわ、クレイス。あなたの力よ」
「いいえ! いいえ! 全部ぜんぶっ……ダリア様が、ダリア様がわたしに……っ」
「……淑女らしくなさい。胸を張ってまっすぐ立つこと。皆様の前で、泣くものではないわ。背筋を伸ばして、前を見るのです。そうすれば誰もあなたを侮ったりしなくてよ」
「は、はいっ!」
ダリアの一言にクレイスは慌てて顔を拭った。その様子からも見て取れる、ダリアがクレイスを不当に虐げていたなどと、それはとんでもない勘違いであったことを。
その告発には、悪意が含まれていたかもしれない可能性というものを。
彼女は婚約者、つまり未来の王子妃であり、ひいては王妃殿下の候補にもあたる。二束三文でも安いと豪語するその首はこの国の誰よりも価値のあるものに違いなく、その庇護を受けている少女の様子は下位貴族の令嬢たちの証言よりもはるかに説得力のあるものだった。
「王子妃準備金に関しては、それを使い記録をしておくことでクレイスがわたくしを唆したかのように見せる必要があったのですわ。もちろん名目や帳簿が欲しかっただけで、実際の支払いは調査経費ですから国民の皆様にいただいている、わたくしを寿ぐお金ではなくってよ。まぁ、アーリ商会に圧力をかけたという一点に置いては弁明するものがありませんわね、なんせ商品について国王陛下に告発されたくないのであれば、上客であるわたくしを優遇するようにと言ってあったのですから」
脅迫は犯罪ですわね、と余裕そうに微笑む彼女を一体誰がどんな罪で裁けるというのだろう。脅迫というがその実態は彼女の立場と名前を使った正面突破の証拠集めに他ならない。
そしてそれを国王陛下や王妃殿下は知っていた。影たちも知っていた。クレイスを守りながら、アーリ商会を徹底的に叩き潰すために必要なことだと認めて。
「悪いことというのは頭を使うものですわ。わたくし、議席で軍事作戦について話す方が得意だと分かりました」
肩をすくめる彼女を見て、クレイスは少しだけ楽しそうに微笑んだ。
もう王子陣営にダリアを糾弾する気力など、一分もありはしなかった。
――――――――――――――――
「まあ、新作? 早く読みたいわ」
「わぁあ! だ、ダリア様っ! ご公務は!?」
「もう終わったわ、お茶のお誘いに来ましたのよ」
そっと手元を覗き込むと書きかけの原稿には美しい文字が走っている。
題目は『ダリア・ファーレンの真実の愛とやら』。
「不思議な題目だこと。どれどれ……」
そこに書かれていたのは、編入してきた庶民の女を虐げた罪で断罪される公爵令嬢。不揃いな証拠に呆れて大笑いした彼女は貴族と王子の婚約者という立場を追われるが、その後その知略を持って建国し、着実に成功していく。
外交がはじまり、隣国の第三王子とゆるやかに恋仲になり、事実が明るみになったころ落ちぶれた元婚約者たちは嘆きながら転落していく……、と原稿の内容はここまでだった。
「なあにこれ、事実と全然違うじゃありませんの。大体、わたくしのクレイスはこんなはすっぱな売女ではないわ」
「物語としてはこういうほうが面白いかと思いまして。実際王子殿下たちは支持率が悪いですから、民衆はこういった現実に重ね合わせられるジョークのほうが盛り上がると思うんです」
「なるほど、賢いですわね」
あの日を境に何がどうなったかと言えば、まずクレイスはダリアが声高に庇護を宣言し、ファーレン家の侍女見習いとして迎え入れられた。そのままダリア付きとして今日まで過ごしつつ、仕事の合間に小説を書いており、現在は「アリス・フォード」という名前で売れっ子作家のひとりに名を連ねている。
アーリ商会はクレイスがファーレン家の庇護下に入ったこと、ダリアの一年がかりの調査によって麻薬と奴隷売買の確たる証拠が十二分に整ったため、関係者を全員捕縛。アーリ商会を解体し、関係者全員を司法の庭に呼びつけた。王と王妃の参加する公開裁判という形でだ。
この国で一番重い罪を問うための公開裁判で、父親と兄は処刑が決定。中枢に関係していた商会員も処刑が決まった。
商会関係者の家族にも入念な調査が入り、売買の幇助をしていたものは商会員と同様禁固刑。関係なかった家族は、一部貴族からの助命嘆願があったことで、今回から法律の見直しがされることになり無罪放免。とはいえ首都から出ていった者たちは多いようである。
ダリア・ファーレンはその功績を認められ、この国で女性初の勲一等勲章を授与された。その後、アーリ商会の握っていた権利を譲渡され、現在はクレイスと共に新たな商会を立ち上げ、アーリ商会を大きく超える利益をたたき出している。
また、信頼関係に傷がついたということで王命により王子殿下との婚約が解消されたが、王族の直系であることやこの国の中枢に必要であることを考慮し、王位継承権第一位を保持するに至っている。
王子殿下は、王位継承権が最下位の第五位まで格下げとなり、現在は公務に精を出しているが将来的に復権の可能性はほぼないとして臣籍降下を囁かれている。
なぜそうなったか、という詳細については一部箝口令が敷かれていたにも関わらず民衆の耳と言うのは恐ろしく早いため、そそっかしさと独りよがりに、女に入れ込んだ無能という尾ひれがついて噂が広がってしまったのでクレイスの言う通り国民からはなんとなく嫌われているようだ。
級友三人の処遇はどこも似たり寄ったりで、長男であるギルバートとアルフは跡継ぎ問題からやんわり締め出されているという。ただ、事情を知る人間たちに言わせれば努力や才覚でどうにでもひっくり返せるレベルなのでご当主たちはお優しくて涙が出そうだということだ。
悪戦苦闘の日々のようだが、彼らが真っ当に今まで通りやっていて、腐らず努力を怠らなければ王子ほど酷いことにはならないだろう、と聞いている。
次男で最初から跡継ぎではなかったヘンドリクスも、侯爵家の事業問題からは手を引くよう厳命され現在は地方の侯爵領の端のほうで新規事業のために奔走しているそうである。うまくいけば王宮勤めも夢ではなかっただろうがそれ以上に優秀な女が王位継承権第一位となったのでは正直、王都に居たほうが身の振り方に困ったかもしれない。
ちなみに、というか当然全員婚約者には逃げられたのでそこがどうなっていくか、というのが最近の夜会のもっぱらの肴になっている。
「こんな物語じゃなくても、ダリア様は聡明でお美しくて、本当に主人公のようですけどね」
「そのまま書いてもよかったんじゃないかしら、もう時効でしょうに」
「だって、あの時わたしがどう思ってダリア様に救われたかまでは、誰にも教えたくないんです」
「欲張りな子ねえ」
顔を見合わせてくすくすと笑いあう二人は主人と従者というよりもまるで姉妹のようである。
「わたくしの真実の愛ね。とりあえず結婚はまだ先でいいかしら、それよりこの国で、したいことがたくさんありますもの」
「いただいている釣書ため込んでらっしゃるの、知ってますからね」
侍女が優秀で困ったわ、と新しいアイスブルーの扇を口元に当てて彼女は微笑んだ。
それを見て、仕方がないとでも言いたげに眉を下げる侍女は、山吹色の万年筆を丁寧にポケットに仕舞いこむ。
「休みなのに付き合わせるけれど許して頂戴ね」
「初めからそのおつもりだったでしょう。さ、お庭まで参りましょう、そしたらわたしがご用意いたしますから」
鉄の令嬢。
彼女がそう呼ばれるのは、公の場でのこと。
彼女にとっては、聞き飽きた大衆ロマンスでも、才女の英雄譚でもなく、おだやかな昼下がりのお茶会に付き従う侍女との間に育まれたそれを指して言うのが一番適切なのかもしれない。
それこそが、ダリア・ファーレンの真実の愛とやら、なのである。