解説02 宗派争論
2021年4月からの『士官稼業』と並行して、参照文献リストのついた形式の同人本も準備中です。この秋までは完全にフリーではないこともあって、どれくらいのペースで出せるか見通しが不透明ですが、まあ今年1冊(各B5版100頁程度)きりということはないでしょう。
となると、あるタイプのコメントを頂くことになるかな……と思い当たることがあります。具体的な案件が生じる前に、一般論として対処方針を示しておいた方がいいように思います。
ピア・レビューという言葉があります。相互検証と訳せばいいでしょうか。同じような狙いや方法論で研究をする人々が相互に結論の正しさをチェックし合うという、公的予算を受けて発展してきた科学ならどの分野でも信奉している「科学の姿」です。
この対極にあるコンセプトは、学界のドン(あるいは過去にさかのぼれば、宗教界のドンや政界のドン)が一方的に、何が正しいかを決めて押し付ける世界です。「ルイセンコ論争」はその最悪の例のひとつでした。フェルディナント・ザウアーブルッフというドイツ(戦後は東ドイツ)の心臓外科の権威は、認知症を発症しながら高い権威を保って診察と施術を続け、多くの患者に不幸な結果をもたらしましたが、これも学問的権威が独り歩きして止められなくなったことによる災禍ともいえるでしょう。どうしてマイソフがザウアーブルッフの例を知っているかというと、この人はヨードルの最初の夫人、イルマ・ヨードルの主治医だからです。まあそのころは認知症などなかったのですが。
権威を分かち持つピア・レビューの世界では、参加者は基本的に平等です。だから先輩を恐れず立ち向かうことは必要であり、評価すらされます。もちろん強敵を倒して名を挙げるチャンスを与える趣旨で、遠慮のない批判者は許容すべきですし、返り討ちのリスクがあるのも当然です。ときどきこうした率直な態度が身につきすぎ、学問とは関係ない不適切なことまでストレートに口にして責任を問われる人が出ますが、まあ職業上起こりがちで、気を付けるべきトラブルなのでしょう。
ピア・レビューは互いに検証方法や、正しさを認め合った基礎データ(数値に限らず、古典的な文献など)を共有していることが前提になります。だから「出典を明らかにする」ことが重要なのです。そして、「独自の貢献」「新規性」が論文の値打ちとされるわけですから、「今までに言われてきたことと、自分が明らかにしたことの差」をしっかりプレゼンしなければならず、そういう意味でも先行文献を読み込んで利用することが求められます。
ピア・レビューはもちろん歴史学についても有効だと思いますが、ピア・レビューには分野を問わず、ひとつの欠点があります。「自分をピア・レビューしてくれる人を、どこで見つけたらいいのか」という問題です。それが見つからなければ、その研究者の業績は評価されず、ノーカウントになってしまいます。皆さんもメカミリ・軍装・兵士生活・英雄的キャラクターなど、ミリタリ趣味のどこかにご興味の中心がおありでしょう。他の人が書いたことのないことを探し出して書くとなると、その「他の人が書いたことのないこと」をレビューしてくれる人はなかなかいません。興味の中心からずれている他人の発見をわざわざ確認し評価するのはしんどいことで、とくに趣味ならば、誰もやりそうにないですよね。
だから、すでに何人かが集まって「文脈」を作っているところを自分も研究し、既存文献と比較できる研究をするのが、ピア・レビューで業績をカウントしてほしい研究者にとって当然の行動です。
「自分の知りたいことを、あるいは自分の面白いと思うことを」中心に調べ、見つけていこうとすると、ピア・レビュー不可能な独自研究にはまり込んでしまいます。比較の対象になる類似研究が見つからないことになるのです。やりたいことを突き詰めるためには、ピア・レビューできる世界から飛び出すことも必要です。
飛び出してしまったら、ピア・レビューのシステムは働きません。互いに持っている知識や基本文献のセットが違うのに、相手の発見を理由もなく(自分の方法論やデータでは確かめられないだけなのに、頭から)否定したら、それは魔女狩り、悪魔祓い、祈伏の類です。
互いに検証者としての資格を認め合っていないのだとしたら、出典を明かすかどうかは表現者(ピア・レビューに参加していない人を研究者と呼ぶのをマイソフは好みません)の戦略次第です。明かした方が説得力が増すなど、表現者にとっていいことが見込めるなら明かせばいいし、飯の種だから明かせないというならそれでもいいのです。少なくとも、個人の財産を見せろ、コピーさせろと強制する権利は誰にもないはずです。
いっぽう、出典を明かさずに、「嘘だッ」と人の言説を否定することは、基本的に無理だと思います。だからピア・レビューのシステムに属していない表現者は、他者の特定の言説を否定しないように気をつけなければなりません。それをやったら、「お前は間違ってる。俺は知ってるんだ。俺の言うことが聞けないってのか」みたいな態度に見えてしまいます。
まあ他人を批判するために出典を明示して著作をひとつ練り上げるというなら、話は別です。ピア・レビューはまさにそれで成り立ちますが、「俺が検証してやるから俺の方法論を認めてピア・レビューに加われ」というのも、それはそれでワガママです。いや、この30年間でほんの数名ですが、「お前はフランスの要塞について何もわかっていない。俺が本当のフランスの要塞ってものを」とか、マイソフが特に興味を持っていない特定方面の議論に引きずり込もうとする方が、居られたのです。結局そういう人は、自分の興味を持つことについてマイソフを仲間にしたいのです。問いかけを抜かして決めつけをしているのです。
何度も取り上げた例ですが、ミリタリーバーというジャンルのコンセプトバーがあって、ポケットの多い緑色の服を着たお姉さんが、強迫的な態度でトレーニング指導をしてくれたりするのだそうです。「マイソフさんこういうの好きでしょう」と真顔で言われたことがありますが、ミリタリ趣味の中で興味の中心がぴったり合う方が稀です。それを私に言った人は、ミリタリ趣味は全くありません。そう言えばトレーニングに興味はありましたね。ときどきプロレス興行に参戦していると聞きました。[追記:プロの覆面レスラーさんになりました。]
話がいろいろ飛びましたが、これらの考慮を背景として、次のように考えております。
1.マイソフの著作物に何か誤りを見つけて、ご指摘をいただいた場合、マイソフがそれに基づいて著作物を修正するとは限りません。わずからヒマとカネで済むことであれば検証しますし、しんどいなと思ったら検証しません。検証抜きに、ネットで知り合った相手を無条件に信じることはマイソフの習慣とするところではありません。
2.そのさい、マイソフは「出典を明かしてサイトを立てて頂けばリンクくらい貼りますよ」といった類の答えをするかもしれません。それは「互いに相手を否定する手段がないので、そうした距離関係しか受け入れませんよ」というのが主旨であって、「そのためにあなたのヒマやカネを使え、ぜひ使え、さあ使え」という趣旨ではありません。もちろん不法行為にならない程度の範囲で、マイソフの著作について言論の自由を行使していただいて構いません。
3.表現者は自己保存のためにメンタルを保たねば生き延びていけません。どんな感想であれ有益であり受け入れるべきだという意見にはマイソフは賛同しません。ただそれはマイソフが編集権・削除権を持つ範囲の場において、やる気をそぐようなコメントを排除する権利を留保するということであって、勝手にエゴサに行ったらなにか見つけてがっくりしたとか、そんなことまで気にしていただく必要はありません。もちろん賠償を取れるようなことが書いてあれば、しかるべき方面に相談します。
4.ピア・レビューで成り立つ世界のルールや感覚を、その外側で暮らす堅気の衆に押し付ける態度をマイソフは好みませんし、賛同しません。マイソフは自分を軍事史研究者だとは思っておりません。研究者にとって禁則行為であるようなものも書いているし、今後もオンリーワンを目指して書いていきたいと思っております。
5.サークル欧州戦記資料は三等自営業であり、法務部門はありません。闇部門もありません。借りパクに対する抵抗力がありませんので、資料を貸せ、見せろというリクエストにはお応えできません。
関連する記事を、以前書きました。
ミリタリ警察日誌・新たなるツッコミ「すべての歴史はYoutubeが教えてくれた」
https://ncode.syosetu.com/n7316et/11/