不穏なコメント
「おー……良い景色」
エレベーターで三十階まで上がり、わたしは芽衣の住む部屋に足を踏み入れた。
オフィスビルやタワーマンション、商業施設がひしめき合う摩天楼が眼下に広がり、わたしの知っている町とは全く違う世界に高揚感が沸き上がる。
麻子がいれば今日はスカイツリーに行く予定だったのだが、ここからでも十分良い景色を眺めることができるので、行かなくていいかという気分になってきた。
こんな景色を毎日楽しめる芽衣が、少し羨ましい。
わたしは広い部屋を歩き回りながら、都会の景色を眺めていた。
「あの、楽しんでいるところ悪いんですけど……時間がありません。早速ですが、メイルの配信を始めようと思うのです」
そう言いながら、芽衣はパソコンに向かってカタカタと作業をしていた。
「あ、ごめん勝手にうろうろして……配信って、そんなすぐに始められるものなの?」
「ほんの少し雑談配信するだけですし、昨日準備しておきましたからね」
「へー……」
芽衣の傍に行き、後ろからパソコンの画面を覗き込んでみる。
立派なゲーミングチェアに座ってたくさんの機材に囲まれている芽衣は、秘密組織の指導者のように見えた。
「はー……配信者の部屋って、こんな感じなのね」
「人それぞれだと思いますけどね。わたしの場合、趣味もあるので」
「ゲーム好きだもんね芽衣は」
「ゲームならマウント取り放題ですからね」
「あ……そう」
前にマ〇オカートでボコボコにされたときのことを思い出す。
あのときはもう少しで泣かされるところだった。
「よし……準備できました。それじゃ、十分後にメイルの配信を始めますよ」
「OK。うまくいくといいけど」
そう。今から芽衣……つまりメイルは、雑談配信を始めるのだ。
春にお休み宣言をしてから、およそ三か月ぶりになるだろうか。
本当に久しぶりの配信である。
(……さて、どうなるかな)
芽衣の背中を見ながら、今朝話した内容を思い出す。
芽衣は昨夜のうちに、明日……つまり今日、メイルの配信をすると告知した。
もし、麻子がその告知を見ていたら……たとえ身動きできない状態だったとしても、なんとかして配信に駆けつけてくるような気がする。
麻子はそういうやつなのだ。
だから、麻子が何らかの方法で配信を見てくれていたら、きっとコメントを残してくれるに違いない。
逆に、メイルの配信にも現れなかったら……麻子は今、相当切羽詰まっている状況ということになる。
ドキドキしながらパソコンの画面を見ていると、芽衣がくるっと振り返って言った。
「と、いうわけで。華蓮さんは隣の部屋で待機してもらっていいですか?」
「え? なんで?」
「なんでって……配信してるところを見られるのは恥ずかしいので」
「え! 芽衣あんたここまで来てそんなこと気にするの?」
「気にしますよ! 今日は雑談なので何もないとは思いますが……その……」
芽衣は照れるように言った。
「わたし、たまに乱暴な言葉使っちゃうことあるので」
「…………」
たまにどころではない。
芽衣……じゃない、メイルはゲーム配信で毎回キレ散らかしている。
その度に台パンしながら暴言を吐きまくっているので、今更そんなことを恥じらう方が驚きである。
だからメイルのファンは、おとなしそうなかわいい声でお喋りする女の子が豹変する姿を楽しんでいるような、歪んだ性癖を持った人ばかりだと思っている。
麻子も同類だろう。たぶん。
「……芽衣、あんたもっと自覚持ったほうがいいわよ」
「へ? 何か言いました?」
「あー……なんでもないわよ。それじゃ、わたしは隣の部屋に行ってスマホで見てるから……配信、がんばってね」
「……ありがとうございます」
ひらひらと手を振って、わたしは部屋から出ると隣の部屋に移動した。
隣の部屋は書斎のようで、大きな本棚にぎっしりと本が詰まっている。
小説から難しそうな専門書まで、幅広い本を取り揃えているところを見ると、ここにある本は芽衣の父親のものだろう。
芽衣の父親が何の仕事をしているのか、ますます興味が湧いてくる。
本を読むためだろうか、部屋の中央に大きなソファーがあったので、わたしはそこに寝ころぶとスマホをタップし、メイルの配信画面を開いた。
一応わたしもメイルのチャンネルを登録しているので、メイルの配信画面はすぐに開くことができる。
「三か月ぶりよね……人、集まるのかな?」
三か月も更新がなかった配信者のチャンネルである。
もうすっかり飽きられて、人が集まらないということはないのだろうか?
そう思ったが、配信が始まればそれは全くの杞憂だった。
『こんめる~、突然の配信に集まってくれてありがとうなのです。みなさんお久しぶりです、メイルです』
配信が始まると、あっという間に三千人以上の人が集まった。
コメント欄も、メイルの久しぶりの配信に盛り上がっている。
「すご。芽衣、人気者じゃん」
わたしは独り言を言いながら、コメント欄を注視してメイルの話を聞いていた。
『……そうですね~やっぱり今は勉強に追われてなかなかゲームする時間がとれなくて……やりたいゲームはいっぱいあるんですけどね、これじゃ腕が落ちちゃうのです』
ついこの間わたしの家で無双していたのはどこのどいつよと思いながら話を聞いていると、メイルが少し真面目な声色になって言った。
『うん、今も家庭教師お願いしていますよ。でも、最近お姉さんたちも忙しいみたいで。大丈夫かなーって、心配してるんです』
……わざとだ、今の言い方。
もし、今のを麻子が聞いていたら。
自分に向けて放たれた言葉だというのは、すぐに理解できるはず。
麻子がこの配信を見ているのなら、何らかの反応を示してくれると期待して発した言葉に違いない。
『それは心配だね』『そのお姉さんとは何か進展あった?』『てぇてぇ話ないの?』
メイルのことを気遣うコメントと、ちょっと変なコメントが大量に流れていく。
「もーほんとここの視聴者は芽衣に甘いなあ……」
メイルの配信には、攻撃的なコメントをする人がほとんどいない。
だから、安心して見ていたのだが。
あるコメントを見て、わたしはゾッとした。
「……え?」
高速で流れていくコメントの中に、異質なコメントが混じっていたのだ。
『繝「繧「縺ィ荳邱偵縺k縺九i螟ァ荳亥、縺繧 黒の魔法蟆大・ウ』
……なに、これ?
文字化け?
いや、それよりもコメントをした視聴者の名前だ。
黒の魔法……そこまでは読める。
麻子は、黒の魔法少女という名前でメイルの配信を見ていたはずだ。
だとするとこれは……麻子?
想像していなかったコメントに、わたしの思考が固まる。
芽衣もそのコメントに気が付いたのだろう、一瞬声が引きつったが、すぐにいつもどおりのトーンで話を再開した。
『あれ、今文字化けして読めないコメントありましたね? コメントしてくれた人、もう一度試してみてくださいね!』
芽衣が再度コメントをするよう促していたが、コメント欄に反応はない。
……これは、一体どういうことなのだろう。
今のコメントは、麻子のものなのだろうか。
端末のせいか、回線のせいか、それとも環境のせいか。
理由はわからないけれど、文字化けしたコメント。
もし麻子が書いたコメントだとしたら、麻子は無事だということなのだろうか。
しかし、それなら何故わたしたちの前に姿を現さないのか?
何か、そうせざるを得ない理由でもあるのだろうか?
それとも、実は今ホテルに戻れば麻子が戻ってきているのだろうか……?
「……わからん」
わたしはもやもやした気持ちのまま、メイルの話をじっと聞いていた。