魔法少女は闇が深い
「……へぇ……本当にすごいですね、その闇」
ひゅうう、と風の音が聞こえる。
心地よい風の音だ。しかし、わたしの心臓の音は全く穏やかじゃなかった。
ゆっくり首を左右に動かして、周りを見渡す。
華蓮とモアが、いない。今の暴風で、吹き飛ばされてしまったのだろうか。
周りには葉や枝が散らかり、まるで台風でも過ぎ去ったかのような有様だ。
しかし、わたしの真後ろだけは綺麗なまま。
わたしの真後ろだけは、ぽっかりと空いた穴のように、何も落ちていなかった。
わたしが間一髪、反射的に自分の闇魔法で芽衣の風魔法を防いだ……そうであることに疑いの余地はない。
「芽衣ちゃん……一体どういうつもり?」
わたしはこめかみから流れる汗を拭くと、声を絞り出して言った。
「今の……明らかにわたしたちに対する攻撃だったよね?」
「ごめんなさい麻子さん。でも、わたしは最初からこうするつもりだったんですよ」
風に靡く髪をかき上げる芽衣ちゃんの周りに、黒い闇が広がっていく。
見覚えのある黒い闇。しかしその闇は、わたしのものよりも邪悪なオーラを放っているように見えた。
「芽衣ちゃん……あなた、魔王を復活させたの?」
「復活させた……うーん、的外れとは言わないですが、ちょっと違うのです」
芽衣ちゃんは、にこっと笑って得意げに言った。
「魔王を取り込んだんですよ。わたしの身体に」
「魔王を……え?」
言っている意味がわからない。
でも、確かに芽衣の身体から魔獣の魔力を感じる。
それに、よく目を凝らすと……芽衣の周りに漂う暗い闇は、間違いなく芽衣の身体から放出されていた。
「魔王を……どうして」
「世界を壊すためです」
芽衣は、当たり前のことを言うような声色で即答した。
まるで、今日食べた夕飯の献立を答えるかのように、平然と。
「……なに言ってるの、芽衣ちゃん」
「わかってもらえなくてもいいのですよ、麻子さん。とにかく……わたしは今の世界が嫌いなのです。だれもわたしのことを見ていない、ひとりぼっちのあの世界が」
芽衣は、髪の毛を触りながら言った。
「モアから話を聞いたときに、思ったのですよ。これは良い機会だって。わたしが魔王になって、この世界を壊してしまおうって」
「……壊すって……」
「だから、もう邪魔しないでくださいね、麻子さん」
「ちょ……ちょっと待ってよ。芽衣ちゃんは、もうひとりぼっちでもなんでもないでしょう? わたしもいる。モアもいる。それに、配信を見てる人たちだって」
「麻子さんが見ているのはメイルでしょう? 芽衣じゃない。わたしのことを見ている人なんて、いないんです」
「芽衣ちゃん……」
……この子……厄介だ。
思えば、芽衣の闇に気付いてあげられる場面はあったかもしれない。
源芽衣……メイルとして配信活動をしている、中学二年生の魔法少女。
彼女はいつもひとりだったんだ。家でも、学校でも。
人見知りだけど寂しがりやな芽衣は、メイルとしての自分を確立し、自分の居場所を見つけた。
そのとき彼女は、メイルとしての仮面を被ることにした。
二重人格……というと正確ではないかもしれないが、ネット上の彼女は現実の芽衣とは大きく異なっていた。
自分を出すことができる場所として、いつもとは違う自分を表現していた。
そのせいだろうか、現実世界の芽衣は仮想世界のメイルにどんどん呑み込まれていった。
現実と仮想のギャップに、脳が追い付かないほどに。
思い当たることがひとつある。
わたしと芽衣が初めて出会った第一声では、彼女の声は聞き取れないほど小さかった。
人見知りだから、それもあるだろう。
しかし、彼女は……わたしが芽衣を「メイル」と認識してからは、そんなことはなかった。
わたしが「メイルたん」と呼んだその瞬間、彼女の中ではスイッチが切り替わっていたのだ。
もう、芽衣としての彼女は限界を迎えていたのだ。
だから、彼女は……芽衣は、すべてを壊そうとしている。魔王として。
全く……魔法少女っていうのは、なんでこうも性格に難ありの子が多いんだろう。
本当に、魔法少女は闇が深い。
「わたしも麻子さんのことを殺したくはありません。だから、おとなしくしていてください。人間界はわたしが壊しますが、麻子さんはここでのんびり暮らすといいと思うのですよ」
芽衣は、髪の毛を後ろでぎゅっと結ぶと、わたしに向かって歩いてきた。
黒い闇を纏いながら歩いてくるその姿に一瞬気圧されそうになるが、ぐっとこらえて芽衣の目を見る。
「……なるほどね。ここでのんびり暮らす。うん、それも悪くないかもしれない」
「そうですよね。麻子さんならわかってくれると」
「でもダメ」
「……は?」
芽衣の、低く、怖い声が響いた。
「だってここじゃ、メイルたんの配信見れないし」
「……はあああああ?」
芽衣は目をぱちくりとしたあと、呆然とした顔で声をあげた。
「な……何を言っているのです? もうわたしが、メイルになって配信なんてするわけないじゃないですか」
「このままじゃ、そうだろうね。だからわたしは」
両手にほんの少し闇をまとって、芽衣の真正面に立った。
「芽衣ちゃんを止めるよ。わたしはまだメイルたんの配信見たいから」
「……頭……おかしいのです?」
「おかしくなんかない。いたって正常」
ぴっと芽衣の方を指さした後、手のひらを上に向け、指を曲げた。
「かかっておいで。かまってちゃんメンヘラの芽衣ちゃんを、わたしが正してあげる」
「……やってみるのですよ、闇女」
芽衣の両手から、黒い風の刃が一斉に放たれた。