ふたりの黒瀬麻子①
少し、時を遡る。
二年前――黒瀬麻子、高校三年生。
彼女は、周囲の注目を集める目立つ生徒だった。
高めの身長に加え、抜群のスタイル。
明るく社交的な性格で、友達も多い。
おまけに成績は、全国トップクラス。
まさに陽キャ中の陽キャ……超ハイスペックな女子高生である。
そんな彼女だが、ひとつだけ悩みがあった。
それは、眠っているときに見る『夢』。
空が真っ暗な闇に包まれる……そんな奇妙な夢ばかりを見るようになっていたのだ。
でも、所詮は夢。
受験を直前に控えたストレスによるものだろう。
気にしすぎていても仕方がない。
彼女はそう考えていた。
しかし、このときから既に覗かせていたのかもしれない。
夢の魔法少女としての、片鱗を。
大学受験の日の朝。
この日は、吹き付けるような雪が視界を白く染め上げていた。
それでも、信号の灯りぐらいは見える。
青であることを確認して、彼女は横断歩道を渡り始めた。
そう、間違いなく青だった。
それなのに、横から迫る車はスピードを落とさなかった。
やばいと思ったときにはもう遅い。
ドンと身体に響く、鈍い音。
経験したことのない衝撃。
目の前が、紅くなった。
その紅く染まった視界の隅に、妙なものが見えた。
猫のような、鼠のような、丸くて白い生き物。
あれは、なんだったんだろう。
そこからの記憶は、ほとんどない。
気付いたら、彼女は……麻子は……全く知らない場所にいた。
「……え? ここ……どこ?」
靄がかかった世界。
少なくとも、今までいた雪が降り積もる景色とは、全く違う。
……なんでわたし、こんなところにいるんだろう。
もしかして、夢?
夢なら、早く目覚めないと。
だってわたし、今日は受験に行くところで……
「……っ!?」
思い出した。
そうだ、わたし……車にはねられたんだ。
雪でスリップした車が、赤信号なのに突っ込んできた。
それでわたし、そのまま……
「え……もしかしてわたし……死んじゃった……?」
胸がきゅっとなり、急に息が出来なくなる。
(うそ……うそうそうそ!? まさかここ、天国ってこと……!?)
呼吸が苦しくなり、その場にへたり込む。
……うそでしょ?本当に?
そんなことある?
なんで、なんでわたしがこんな目に……!
(……? なに? なにか……聞こえる……?)
頭を抱えてしゃがみ込んだわたしの耳に、誰かが話している声が聞こえてきた。
……ここにいるのは、わたしだけじゃない?
やっぱりここは天国で、他にもわたしと同じような人が……?
声のする方向へ、走り出す。
誰でもいい。
不安と恐怖で壊れそうだ。
とにかく、誰かがいるのなら……!
(……なに、これ……)
声がしたところに、人は誰もいなかった。
あったのは、揺らめく水面のような、妙な窪みだけ。
でも、そこから見える光景は、衝撃的なものだった。
『……よくここまで回復しましたね』
『……よくないですよ。受験日に……交通事故なんて』
『命が助かっただけでも奇跡です。リハビリは大変かもしれませんが……一緒に頑張りましょう、黒瀬さん』
『……っ……はい……』
……!??
顔を近付け、目を凝らす。
そこから見えるのは、病室だった。
でも、大事なのはそこじゃない。
そこで会話している人間だ。
だって、会話しているのは、医師と……
(わ、わたし……!?どういうこと!?)
病院のベッドで横たわって医師と話をしているのは、どう見てもわたしだ。
え? わたし……生きてる?
それじゃ、今ここにいるわたしは?
わたしが……ふたりいる?
なにが一体どうなって……
(もしかしてこれが、俗にいう臨死体験ってやつ?)
てことは、わたしはまだ生死の境をさまよって……
いや、それにしては、ベッドで医師と話をしているわたしはもう完全に回復に向かっているように見 えるけど……
(ああもう、なんなの!? てか、わたしはどうやったら向こうの世界に戻れるわけ……!?)
それからは、ずっとその窪みから見える景色にかじりついていた。
どうして、わたしがふたりいるのか。
何で、わたしだけがこんなところにいるのか。
それが知りたくて、ずっと。
でも、この世界にはわたしひとりしかいなかった。
教えてくれるも者なんて、誰もいない。
はっきりわかるのは、今現実世界にいるのはわたしじゃなくて、あっちの麻子ってこと。
わたしが今まで生きてきた世界では、わたしじゃなくて、もうひとりの麻子が生きている。
向こうの世界で、麻子のリアルな時間が過ぎている。
それなのに……
(……ずっと引きこもってるな、向こうのわたし……)
退院してからの麻子は、一人暮らしを始め、すっかり引きこもってしまった。
わたしも麻子だ。
心情は、理解できる。
でも、本当は、頑張ってほしいのに。
人気者だった黒瀬麻子は、完全に影を潜めていた。
「……なにやってんのよ、わたし……しっかり……しなさい……」




