樋本華蓮は忍び込む
芽衣との電話から、数時間。
わたしは、ずっと落ち着かなかった。
また眠ろうと横になるのだが、何度も何度も寝返りを打ってしまう。
時刻は、もう深夜の三時を回ろうとしていた。
(ぅう……眠れない……)
重たい身体を起こして、机の引き出しをそっと開ける。
緊急時に備えて、お互いに交換した鍵。
これは、麻子の部屋の……合鍵だ。
(……麻子のやつ……さすがにもう寝てるわよね……)
『だったら簡単です。その人の家に侵入して、納得できるまで確認します』
……いやいや。
やっぱりなしでしょ。
だめだって、さすがに。
苦笑いをしながら、引き出しを閉める。
もう、この動作を何度繰り返したかわからない。
多分、十回は超えているだろう。
……麻子のせいだ、こんなに悩んでしまうのは。
わたしはこれまで、何度も妙な夢を見た。
けれど、夢の中で自分の意思を明確に持つことができたのは、二回だけ。
一回目は、バイトで倒れたとき。
そして二回目は、つい先日……風邪で寝込んだとき。
その二回で共通していることは、何か。
決まっている。
すぐ隣に、麻子がいたことだ。
バイトで倒れたときも、風邪で寝込んだときも同じ。
目覚めたとき、すぐそばに麻子がいた。
だからかもしれないが、わたしはその夢の中で、麻子らしき『声』を聞いている。
もしかしたら、そう思い込んだだけなのかもしれない。
でも、そうは思えないのだ。
特に、二回目……女神と出会った夢の中で聞いた声は、麻子本人の声としか思えない。
あの声が、ずっと耳に残っている。
だから、わたしはこう考えた。
麻子のそばにいることが、あの『夢』に繋がるのなら。
だとしたら、麻子にくっついて眠れば……
(…………)
気付くとわたしの手は、鍵を握りしめていた。
そしてそのまま、玄関の扉を開ける。
音を立てないように、慎重に。
涼しい夜風が、首筋を撫でる。
人の気配は感じない。
外は暗く、静寂に包まれている。
毎日見ている光景のはずなのに、知らない世界のように感じた。
そんな空間に踏み出すことに、少しの罪悪感を覚える。
でも、すぐ隣に行くだけだ。
距離にして、ほんの数メートル。
これぐらいの外出、未成年でも許されるだろう。
周りを見渡しながら、隣の部屋の鍵穴に、そっと合鍵を差し込んだ。
……うん、そうよね。
開いちゃうよね。
何の支障もなく、当たり前のように開く扉。
こんなことしていいのだろうか……そう思いながらも、音を立てないように扉を閉める。
(……真っ暗……)
当たり前だ。
むしろ明るいと困る。
電気をつけずに、暗闇の中をそろりそろりと進んで行く。
間取りは同じだし、麻子の部屋に入るのは初めてじゃない。
この暗さでも、十分歩くことはできる。
忍び足のまま、あっという間に麻子のベッドまで辿り着いた。
(……よく……寝てるわね……)
ベッドの横にしゃがみこみ、麻子の顔を覗き込んだ。
微かに聞こえる寝息。
こんな無防備な顔を見ていると、普段とのギャップに、何だか変な気分になってくる。
思わず髪を触って、妙な優越感を感じていた。
「……んん」
(ひ!!!)
麻子の小さな寝言を聞いて、我に返る。
……何やってんのわたし!?
完全にアウトでしょこんなの!
こんな時間に人の部屋に忍び込んで、寝顔を盗み見ている。
いけないことをしている自覚がこみ上げて、顔から火が出そうなぐらい恥ずかしい。
やっぱり止めよう、今ならまだ引き返せる――そう思い立ち上がろうとした。
でも、寝返りをうった麻子の背中を見て、わたしは思い留まった。
(……肩が……透けてる)
……どうして?
どうして、魔力が弱まるだけでこんなに……?
今にも消えてしまいそうな身体。
こんなの、どう考えたっておかしい。
魔力が弱まったって、こうはならないはず。
(……ああ、もう!)
手を握りしめると、そっと麻子の寝るベッドに腰掛けた。
(……大丈夫! 麻子は眠ってるし……ちょっと眠ったらすぐに出て行く! もし見つかっても……何とか言い訳する!)
何のプランも無い。
これで麻子に気付かれずに起きるなんて、たぶん無理。
さすがの麻子も驚くだろう。
というか、怒られる。
でも――構わない。
これは、麻子に気付かれずにするから意味がある。
だって、夢の中で聞いた声はこうだった。
『ここに来ては、だめ!!!』
(麻子の声であんなこと言われて……おとなしく言うこときいてあげるわけないでしょ!)
わたしがここまでやったんだ。
絶対、何か解決の糸口を掴めるはず。
何が起きているのか、自分が確かめるしかない。
麻子の背中に寄り添うように、ベッドに潜り込む。
そして、背中の服を掴むと……
わたしは、静かに目を閉じた。




