樋本華蓮は持っている
気が付くと、わたしは薄暗い部屋でベッドの上にいた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
(……麻子は……いない。いつ帰ったんだろ……)
時計を見ると、時刻はもう夜の九時を過ぎている。
何の夢を見ることもなくこんなに長い時間眠っていたのは、久しぶりかもしれない。
寝起きでぼんやりしたまま周りを見渡すと、机の上に何かが置かれているのを見つけた。
(……あれは……)
ペットボトルのお茶の下に、麻子の字で書かれたメモが挟んであった。
『冷蔵庫に果物入れておいたぞ、食べるがいい』
言われるがまま、冷蔵庫を開ける。
「う、うわ」
一口サイズに切られたリンゴが、これでもかと皿に盛られていた。
麻子のやつ……一体いくつ剥いたんだろう。
……そういえば、芽衣からも同じ施しを受けたっけ。
東京旅行のとき、芽衣がリンゴを剥いてくれたんだ。
病人にリンゴを用意するのは、麻子も芽衣も同じらしい。
あのときは、謎のリンゴ談義を芽衣がしてたっけ……
思い出し笑いをしながら食べているうちに、徐々に眠気が覚めてきた。
「…………」
眠る前にあった出来事を、思い出す。
次の瞬間、わたしは枕に顔を埋めていた。
(……ああああああああ! 恥っっっっず!!)
顔が熱い。
見なくてもわかる。
絶対今のわたし、耳まで真っ赤だ。
なんであんなに不安定になっちゃったんだろう。
何もかも風邪のせいだ。
ヘラったところを見せてしまったし、泣き顔を見られた気もするし、よりにもよって子どもっぽいパジャマ姿だったし……!
もう最悪。
本当に恥ずかしい姿を晒してしまった。
とはいえ、来てもらって助かったのも事実である。
卵がゆと飲み物のおかげで、体調は大分良くなった。
これなら、もうすぐ回復するだろう。
(あーもう……麻子に、お礼言わなきゃだな……)
起き上がり、スマホを弄ろうと手を伸ばす。
そのとき、見計らったかのようにスマホが鳴った。
(ち、着信!? 麻子!?)
「もしもし華蓮さん。芽衣です」
違った。
勢いのまま電話に出てしまったから気付くのが遅れたが、電話の相手は麻子じゃなかった。
「今日は電話出るの早かったですね」
「え、芽衣? ど、どうしたの」
「その……ちょっと、華蓮さんに訊きたいことがありまして」
「わたしに……?」
芽衣がわたしに訊きたいことがあるなんて、珍しい。
思わず、身構えてしまう。
「あ、その前に体調は大丈夫ですか? 辛いなら、かけ直しますが」
「あれ、なんで知って……麻子から聞いた?」
「はい。華蓮さんが泣いてたって」
「んな、泣いてないわよ!! 電話ぐらい平気。何なの?」
「あー……それじゃ、訊くんですけど……麻子さんの魔力、弱くなってないですか?」
「……!」
ドキリとする。
スマホを持つ手に、力が入った。
「わたしが魔法使えなくなったせいでそう感じてるだけならいいんですけど……でも、それだけじゃなくて」
「それだけじゃない……って?」
「今日、麻子さんと会ったんですが……駅で別れたとき、その……麻子さんの肩が、なんだか透けてるように見えたんです」
「…………」
「それがどうしても見間違いだと思えなくて。それで……」
「……そう、ね。弱まっているっていうのは、事実みたい」
「……! やっぱり、そうなんですね!? なんでですか? 大丈夫なんですか? 華蓮さんは、何か知ってるんじゃないですか!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて。大丈夫。丁度そのことで、麻子と話したところ。今度、わたしと麻子でモアを探して、話を聞いてみるから」
「……モアに? それ、信用できます?」
「いないよりましでしょ。とにかく……」
「とにかく……なんです?」
「…………」
「……華蓮さん? 聞こえてます?」
「……ねえ芽衣。わたしからも、ひとつ訊いてもいい?」
「え……どうしたんですかそんな畏まって。麻子さんと喧嘩でもしました?」
「なんでよ。違うから」
「じゃ、なんです?」
「……芽衣だったらどうするかなって……教えてほしいことがあって」
「え……まさかの恋愛相談ですか? 年下のわたしに?」
「全然違うわよ! 友達の話!」
「友達……? 華蓮さんが?」
「もういい、切る」
「あ、ごめんなさい言い過ぎました」
「ったく……大体、あんたも人のこと言えないでしょうが」
「はい?」
「んん?」
……数秒、沈黙が流れる。
「……話、戻すわよ」
「どうぞ」
何事も無かったかのように軌道修正。
これができるのは、わたしと芽衣だけかもしれない。
「えっとね……例えば、友達が隠し事をしていたら……芽衣ならどうする?」
「……なんですそれ? 華蓮さん、何かやましいことでもあるんですか?」
「いいから答えて!」
「……えーっと……程度によりますかね」
「程度って……秘密にしてる内容の?」
「違います。人生における、その人の重要度の程度です」
「えぇ……?」
なにそれ。
何か怖いこと言ってる。
芽衣にとって、わたしはどれぐらいなんだろう。
「じゃ、じゃあ……仮に、結構大事な人だったら?」
「だったら簡単です。その人の家に侵入して、納得できるまで確認します」
「え? 犯罪者?」
「犯罪だなんて、そんな」
「アウトよ完全に」
「そうですか? わたしなら、鍵ぐらいちょちょいと……」
「ストップ。それ以上言わないで。あんたを警察に突き出さないといけなくなる」
全く、冗談でもそんなこと言わないで欲しい。
芽衣ならやりかねないとも思ってしまう。
……冗談、よね?
「……はあ、わかったわ。芽衣なら手段を択ばないってことがね」
「程度によりますけどね」
「はいはい、わかったわよそれは。ま……参考にしておく」
「そうしてください。今度お見舞いに行きますよ。そのときは、麻子さんと一緒に話聞かせてくださいね」
「ありがと。でもリンゴはもういいわよ」
わたしは少し笑って、電話を切った。
芽衣にはブレーキが無いらしい。
その姿勢を、ちょっと羨ましいと思うこともある。
とはいえ、実践に移せる話ではない。
いくらなんでも、家に侵入するなんてできるわけが……
(いや……そうでも……ないのよね)
視線を机に向ける。
あの机の引き出しには、入っている。
わたしは、持っているのだ。
麻子の部屋の、合鍵を。




