麻子と華蓮は、いつもの場所で
女神との闘いから、数か月が経った。
時は三月。
雪の季節が終わり、暖かい風を感じる。
穏やかな気候で、深呼吸すると気持ちがいい。
日差しを浴びながら背伸びをすると、春が来たことを実感できる。
そう……ようやく、待ち望んでいた「春」がやって来た。
受験生にとって春が来たといえば、どういう意味かは明らかだ。
カランコロン――
何度も訪れた、いつものカフェの扉を開ける。
ずっと前から変わらない、コーヒーのいい匂い。
客の少ない、静かで落ち着いた空間。
控えめに流れるジャズの音楽に耳を傾けながら、わたしは隅っこの席に向かった。
「……遅い!」
腕を組んだまま、席に座っていた華蓮が声を上げた。
制服姿の華蓮……久しぶりに見た。
あまり見ないレアな姿に、いつもよりも可愛く見える。
「遅くないわよ。時間ぴったりじゃん」
「普通はもっと早く来るでしょ。今日がここに来る最後の日かもしれないのに。わたしなんて、三十分前には来てたわよ」
「あらま。そんなにわたしに会いたかった?」
「何わけのわからないこと言ってんのよ! いいから! 早く座って!」
既に注文を済ませていた華蓮が、勢いよくジンジャーエールを啜った。
「……最後かもしれないのに、やっぱり飲むのはそれなのね」
「そりゃそうよ。むしろ最後かもしれないから、じゃない?」
「ふむ。それは言えてる」
わたしも、いつものコーヒーを注文することにした。
去年から通い続けているこのカフェで、やっぱりコーヒーは外せない。
華蓮とここに来るのも、最後になるかもしれないのだから。
最後になるかもしれない……なんて言うと大げさに聞こえるが、別に悲しい理由なんかじゃない。
むしろ、めでたい理由。
わたしも華蓮も、もうすぐこの町を引っ越して、東京の大学に進学するからだ。
わたしの願いが叶ったのだろう、試験当日は雲一つない快晴。
前日まで上空を覆っていた分厚い雲が突如消滅したとのことで、気象ニュースは大騒ぎになっていた。
季節を何か月もすっ飛ばしたような天気に、わたしと華蓮は思わずやりすぎだと笑ってしまったものだ。
「……ね、麻子」
「ん? なに?」
ストローから口を離した華蓮は、ぽつりと呟いた。
「結局……これで終わったってことでいいのよね?」
「……終わってはいない、かな。女神が今も封印されてることは、間違いなさそうだけど」
「ん」
「あっちの世界じゃ、すっかり『魔王』扱いよ。女神を消した、史上最悪の魔王……それがわたし」
「ああ……モアから聞いた。麻子は今や、アストラルホールいちの悪者だって」
わたしも華蓮も、アストラルホールから戻って、受験を終えて、万事解決……とはならなかった。
問題は、ヴィラだ。
あの日……羽衣姉の家に戻ったわたしたちは、ヴィラと鉢合わせした。
正直、存在を忘れかけていたあのメイド……彼女とは、またひと悶着あるかと思ったが、そうはならなかった。
わたしたちの顔を見たヴィラが、血相を変えてすぐに去ったからだ。
そりゃそう。
女神と敵対していたわたしたちが戻って来るなんて、ヴィラにとっては想定外。
女神の身に何かが起きたことを悟り、すぐにアストラルホールへ戻って行ったのだろう。
そのヴィラが何を触れ回ったのか知らないが、ひと月もするとわたしたちの悪評はアストラルホール中に広まっていた。
わたしたちを恨んでいるだろうから、また何かしてくるのではないか……そう思っていたが、今のところは何ともない。
とはいえ、まだ安心はできないが。
「酷い話よね。わたしまで、『魔王』の手下扱いされてるみたいだし」
「それは間違ってないからいいんじゃない?」
「うそでしょ!? あんたわたしのこと手下だと思ってるわけ!?」
「うそうそ、冗談。そんなわけないでしょ」
「だったら真顔で言うんじゃないわよ……」
テーブルに置かれたフライドポテトを摘まむと、それをわたしに向けながら言った。
「女神がどこに消えたのかは、今もわかってないでしょ?」
「そうね。モアが言ってたみたいに、あそこは元々魔王が封印されていた場所だから……元の状態に戻った、って思うようにしてるけど……」
「けど?」
「……ううん。何でもない」
運ばれてきたコーヒーを一口飲み、ソファに深く腰掛けて息を吐いた。
多分、実際にはそうじゃない。
あのとき確かに、何かが起きたのだ。
けれど、女神のことはもう考えてもどうしようもない。
故に、考えない。
受験前に、そう決めたのだ。
だから、魔王扱いされることも、今は甘んじて受け入れている。
「あ、そういえば白雪さんは? 元気になった?」
「あ、うん。もうすっかり」
「そ、なら良かった。芽衣と同じってわけね」
「……うん、そうだね」
芽衣と羽衣姉は、ほんの二、三日もすれば元気を取り戻した。
あのふたりは、戻ってからもゴンザレス二世が匿ってくれていたらしい。
そのお陰で、ふたりがヴィラに襲われることもなかった。
再開したときは、ほっと安堵したものだが……失ったものも大きい。
芽衣と羽衣姉の、魔力だ。
女神によって奪われた魔力は、結局元には戻らなかった。
しかし魔力を消失したせいか、魔法で無茶した反動がふたりとも殆ど無かった。
わたしが去年魔力を使いすぎたときは、一週間目を覚まさなかったぐらいだから心配していたが……杞憂に終わった。
それは幸いだったが、ふたりとも魔法少女ではなくなかった……そう考えると、悔しいような、やるせないような……複雑な気持ちになる。
そんな話をしていると、机に置いていたわたしのスマホが震えた。
「あ。噂をすれば……芽衣ちゃんからだ」
スマホを持ち上げ、華蓮と目を合わせて頷く。
「……いよいよね。やば、緊張してきた」
実は今日、わたしたちが集まった理由はこれ。
今日は、芽衣が受験した高校の合格発表日なのだ。
わたしと華蓮が一生懸命勉強を教えたが、それでも合格できるかは五分五分といったところだろう。
こんなことを言うのは芽衣に悪いけど、わたしと華蓮の受験よりも遥かに不安。
もし、落ちていたら……そう考えると、お腹が痛い。
「……出るわよ」
「うん」
「……もしダメだったらどうしよう」
「今言う!? やめなさいよ縁起でもない!」
「……そのときは、華蓮も話す?」
「え……殺されそうだからやめとく」
「…………そ」
やばい。
ドキドキする。
芽衣に、動揺を悟られてはいけない。
平常心、平常心……
ゆっくり深呼吸をすると、覚悟を決めてスマホの画面をタップした。
「……もしもし」
「……………………」
「……め、芽衣ちゃん?」
「……なんですぐに出ないんですか」
「え」
「もう四十五秒も経ってますけど」
「あ、いや今ちょっとスマホから離れてて。ごめんね芽衣ちゃん」
「嘘ですよね」
「……え?」
「だって……見てますもん」
……え?
見てる?
見てるって、どういうこと?
ゆっくり、後ろを振り返る。
ほんの、五メートルほど先。
長い前髪の隙間から、こちらを見ている芽衣が立っていた。
「「――きゃああああああああ!!!」」




