麻子は再び神樹に降り立つ
アストラルホールに聳え立つ、巨大な樹木――『神樹』。
その高さは、百メートルを優に超える。
とても神秘的で、生い茂る新緑が目に眩しい。
息を吞む美しさに、来るだけで気持ちが安らぐような場所だ。
でも、わたしにとっては芽衣と戦いを繰り広げた、因縁の場所でもある。
そんな場所に……わたしはまた、やって来てしまった。
「凄い……本当に異世界って感じの場所だね……」
緊張した面持ちで、巨大な樹木を見上げる羽衣姉。
この美しい景色を見て、羽衣姉の恐怖心も和らいだようだった。
女神城に行ったときとは違い、顔色も悪くない。
心地よい風に吹かれる葉音に、わたしの苛立ちも少しは落ち着いていた。
「……そうね。ここは、本当に良い場所」
「麻子ちゃんは、ここに来たことがあるの?」
「……うん。去年の丁度、今頃ね」
神樹は輝くような緑を纏い、堂々と聳え立っている。
去年ここで芽衣と戦ったときに、闇の風魔法で葉が散ってしまったはずなのに……そんな面影は一切無く、すっかり元の輝きを取り戻していた。
そういえば、初めてここに来たときにモアが言ってたっけ。
ここは、光属性の魔力が増強される場所だと。
きっと、その影響もあるのだろう。
闇の風に煽られても、神樹が朽ち果ててしまうことはなかった。
「まさかまた、こんな綺麗な場所で戦うことになるなんてね……」
「え?」
「ううん、なんでも」
わたしは大きく伸びをすると、前を歩くヴィラに話しかけた。
「ヴィラ。わたしたちをここに連れて来たってことは……女神はここに来るのよね?」
「ええ。……感じませんか?」
「感じる……? 何を?」
「女神様なら……もう既にお見えですよ」
「……え?」
「ま、麻子ちゃん! あそこ……! 樹の上!」
神樹を見上げていた羽衣姉が、急に声を上げた。
(……! あれは……!)
視界に入るまでその存在に気が付かないほど、全く気配が感じられなかった。
しかし、この経験は既に身に覚えがある。
無属性の魔法少女。
存在自体を『無』にしてしまうような、異質な魔力――
「……女神……!」
「ようこそ、アストラルホールへ。今日はもてなすことができずに悪いのう」
樹の枝に座っていた女神は、深く被ったフードを外して笑った。
「……もてなす? 前に呼び出されたときも、そんなことしてもらった覚えないけど」
「おや? あの饅頭、口に合わんかったか? わしは気に入っているのじゃが」
「……あれでもてなした気になっているのなら、考え直した方が良いわよ。というか……もう、口調を取り繕うともしないわけね」
「そりゃあな。ヴィラがそこにいるのじゃ、そんなことをする意味はないじゃろう」
「……そうね。話は聞いた。驚かないのね」
心臓の鼓動が、早くなっていくのを感じる。
でも、慌てちゃダメだ。
女神の『無』の魔法は、全くの未知数。
何が飛んでくるかわからない。
わたしは奇襲に備えて、微かに『黒幕』を纏いながらゆっくり神樹に近付いていった。
「女神……いや、はじまりの魔法少女。一応、あなたの口から直接聞きたい」
「……? なんじゃ?」
「あなたは……これから一体、何をするつもりなの?」
その質問が意外だったのだろうか。
女神は首を傾げて、当たり前のように言った。
「……ヴィラから聞かんかったか? わしの望みはひとつじゃよ。『すべてを無に帰す』……それだけじゃ」
「……何を言ってるのか……ひとつも理解できないけど」
「ふむ……風の魔法少女の言葉を借りるとこうじゃな。『世界を終わらせる』。これで理解できるかの?」
「……百年以上も生きて……まだ中二病みたいなこと言ってるわけ?」
女神が、微かに眉をひそめる。
「……たかだか十数年生きただけのガキにはわからん話じゃな。不死というものが、どういうものか」
「ガキじゃなくてもわからないわよ、不死の悩みなんてものは。そんなの理解できる人間なんて……ひとりもいない」
空気が張り詰める。
気のせいだろうか、神樹がざわざわと揺れたような気がした。
「ちょ、ちょっと麻子ちゃん……そんな挑発しなくても……」
羽衣姉も空気が変わったことを感じ取ったのだろう。
わたしの服を掴み、不安そうな声を漏らす。
それでもわたしは、女神から目を逸らさなかった。
「ま……いいわ。やっぱり手加減する必要は無さそうだってことが、わかったから」
身体に纏っていた闇が、また一段と色濃くなっていく。
どうしてだろう。
何だか今は、いつもよりも魔力が強くなっているような気がする。
「京香から奪った鏡魔法を使って……芽衣ちゃんを操ろうっていうわけ?」
「……そうじゃな。じゃが、魔王だけでは力不足じゃ」
「……力不足?」
「黒瀬麻子。汝の魔力を併せてこそ、世界は終末へと帰結する」
「わたしの……?」
「その気になればヴィラを止めることもできたのじゃ。あえてそれをしなかったのは、汝がこちらに赴いてくることがわかっていたから。この意味がわからんほど、愚かではないじゃろう?」
ヴィラの方を睨む。
ぷい、と視線を逸らされた。
いやお前……絶対わかって行動してたな……!?
わかったうえで、女神の前にわたしを引きずり出そうとあんな話を。
こいつ、一体どこまで女神のことを……
「そういうわけじゃ。悪いが……汝の闇、貰うぞ」
女神がそう言った途端。
上空を、暗い雷雲が覆った。
「!? なになになに!?」
羽衣姉が、わたしの背中にくっついて泣きそうになっている。
「大丈夫、わたしから離れないで。これぐらいなら……全然問題ないから」
羽衣姉を守るように、暗闇を拡げて臨戦態勢に入る。
次の瞬間。
耳を裂くような激しい雷鳴と共に、雷が降り注いだ。
「ひいぃいぃ!」
羽衣姉の悲鳴がこだまする。
しかし、わたしは動じなかった。
この程度の魔法……華蓮や芽衣に比べたら、どうってことはない。
「無駄よ……効くわけないでしょ、こんな魔法」
まるで闇に吸収されるように、わたしの周りで雷魔法が消えて行く。
「っは……さすがじゃのう! それでこそ『闇の魔法少女』……これでもか?」
女神が腕を振り下ろす度に、様々な魔法が降り注ぐ。
雷だけじゃない。
水、氷、炎、風……見覚えのある属性魔法から、見たことのない魔法まで。
それでも、わたしの闇の壁は変わらない。
どの魔法でも、わたしの身体には届かない。
すべてを、無効化していた。
「無駄だって言ってるでしょ」
「ま、麻子ちゃんすごいっ……!」
(この程度なら……わたしの闇魔法だけで完封できる。でも、この違和感は何……?)
「……やはり、汝と戦うならこの力は欠かせないのう」
そう言った女神の右手が、ぼんやりと光り始めた。
白く輝くその光に、わたしの闇が揺らめく。
「……そっか、やっぱり勘違いじゃなかったんだ」
芽衣を攫われたときの記憶が蘇る。
羽衣姉の家が停電したとき……あのとき、わたしの視界を眩ませた光。
あれは、やっぱり雷光なんかじゃなかった。
「でも、ひとつだけ間違えてた。それ……華奏ちゃんのじゃなかったのね」
わたしは、女神が華蓮の妹から奪ったのではないかと思った。
でも、それは違った。
今考えれば簡単だ。
光の魔法少女は――ひとりではないのだから。
「そうじゃ……わしはな、『はじまりの魔法少女』から光の魔力を奪っておるのじゃよ」




