予兆
「大丈夫華蓮? 落ち着いた?」
「ん……ありがと。もう大丈夫」
俯いたまま肩を震わす華蓮を落ち着かせながら、ゆっくり背中を撫でてやる。
少しは落ち着いたようだが、それでも顔色は良くなかった。
「な……何なの今の……?」
羽衣姉も、何が起きたのか分からないといった様子であたふたしている。
きょろきょろしながら落ち着かない様子で、布団ごとわたしの傍に擦り寄ってきた。
「鏡の魔力……わたしは気付きませんでした。麻子さん、気付きました……?」
「芽衣ちゃん……いや、言われてみればって感じだけど……」
確かに、モストがいた場所に意識を集中してみると、僅かに覚えのある魔力が残っているように感じた。
でも、こんな微細な魔力を瞬時に感じ取るなんて……
華蓮の才能には恐れ入る。
しかし、そうなると問題だ。
モストが消えたときに鏡魔法が使われた……ということは、モストはあの厄介な『鏡の世界』に連れ去られた可能性がある。
わたしとモアが長い時間捕まっていた、あの忌まわしき空間に。
でも、どうして?
どうしてモストが消される側に?
(さっき、モストは何かを言いかけていた……だとすれば、消えたのは口封じのためってこと? 鏡魔法ってことは京香の仕業? いや、でも京香は魔法を使えなくなったって雷の子が言ってたし……)
思考がうまくまとまらない。
(ダメだ、何もわからない。情報が少なすぎる……!)
「……ちゃん……麻子ちゃん!」
「え、あ……な、なに羽衣姉?」
「樋本さん……震えてる。何か、良くないことが起きようとしてるんだよね?」
「……羽衣姉?」
蹲る華蓮を心配そうに見ていた羽衣姉が、顔を上げた。
「どうすればいい? 何か……わたしにできること、ある?」
「……えっ」
羽衣姉の思いも寄らぬ言葉に、目を丸くする。
さっきまで、あんなに華蓮のことを怖がっていたのに。
「羽衣姉……いいの?」
羽衣姉は、ミラージュの件には何の関わりもない。
これ以上踏み込むと、無関係な羽衣姉を巻き込むことになる。
「わたし……夏休みの間、麻子ちゃんやメイルちゃんがそんな大変なことになってるって知らなかった。樋本さんも。わたしもそのときには、もう魔法が使えたのに……」
相変わらず布団で顔は半分見えないが、それでも羽衣姉の目には力が感じられた。
冷房のせいか氷魔法のせいかわからないが、指先が急に冷たくなったような気がする。
「麻子ちゃん。何かできることがあったら言って。わたしじゃ、力不足かもしれないけど……」
「力不足って……」
思わず笑みが漏れた。
「……真逆よ、羽衣姉。最強が何言ってるの」
そうだ……まだ、大丈夫。
わたしが鏡の世界に閉じ込められたときとは、全然状況が違う。
今は、超強力な魔法少女が四人もこの場に揃っているのだ。
何が起きているかはわからないけど、まだわたしたちは何も失っていない。
悲観する必要など、ないはずだ。
それよりも、今この状況でわたしたちにできることは……
「……紅京香を……探そう」
「……え?」
紅京香――ミラージュの主であり、鏡の魔法少女。
鏡魔法の使い手が、今の出来事に関わっていないわけがない。
京香はもう魔法を使えないって瑠奈は言ってたけど……直接それを確認したわけではない。
仮に本当だとしても、どうしてそうなったのか……きちんと原因を確認しておくべきだろう。
華蓮のためにも、鏡魔法の問題はきちんとカタをつけておきたい。
「あの鏡の人を……ですか。うーん……気乗りはしませんが、今はそれしか手掛かりがありませんもんね」
「うん。京香に接触できれば、何かわかると思うの」
「でも、どうやって探すんです? どこに住んでるかも知らないし、何の情報も無しに見つけることなんて……」
「……だよね?」
こんなことなら、モアに京香のことをもっと聞いておくべきだった。
肝心のモアは、女神と話をするためにアストラルホールに行ってから帰ってきていない。
これじゃ、どうやって京香を探せばいいのやら……
うーんと頭を悩ませるわたしと芽衣を見て、遠慮がちに羽衣姉が口を開いた。
「紅京香って……もしかして、あの雑誌モデルの?」
「え? ……知ってるの、羽衣姉?」
「知ってるというか、ちょっとした有名人だよ。ほら、これ」
そう言うと、羽衣姉はスマホの画面をわたしに見せてきた。
そこに映っていたのは、TikTokで女性が踊っている動画だった。
明るい茶髪に、派手なネイル。
人目を引く端正な顔立ちに、輝くピアスが映えている。
間違いない――確かに京香だ。
「割と人気ある人だよ、この人。ほら、この雑誌にも出てるって書いてあるし」
「え……いやなんで羽衣姉がこんなの知ってるの?」
いつもパジャマ姿の羽衣姉には、全く興味無さそうな分野の話である。
雑誌モデルて……そんなものが載っている雑誌を、羽衣姉が読んでいるイメージが全くない。
「ネット活動ばかりやってると、どんな分野でもバズったものは耳に入ってくるんだよ……それが知りたくないことでもね」
うふふと笑う羽衣姉。
……そういうものなの?
ピンとこなかったが、横で芽衣がうんうんと頷いていたのでそういうものらしい。
わたしには理解できない世界だ。
「ふんふん……確かに、この人ここ最近は音沙汰ないみたいだね。でも、これだけの有名人なら見つけることができるかも」
「ほんと?」
「リアルで顔バレしてる人なんて、絶対どこかで誰かが見てるものだからね……この人は一定数のファンもいるし、探せばきっと足取りが……」
「なるほど。確かにここから探し出すことができるかもしれませんね」
「うん。例えばほら、この人のアカウント見ると……」
芽衣と羽衣姉が、ふたりでスマホの画面を凝視しながら話し合いを始めた。
ネット上の足取りから、特定を試みるらしい。
そんなことできるかどうかわからないが、今は羽衣姉に任せてみるしかない……か。
「あ、そうだ。忘れないうちにわたしたちのチャットグループ作っておこ。何かあったときに、すぐ連絡取れた方がいいでしょ」
何かあったとき……何が起きるんだろう。
きっと、何か良くないことが起きる。
羽衣姉もそう言っていたが、わたしも同感だ。
今度は、華蓮に滅茶苦茶な戦い方をさせるわけにはいかない。
わたしが、守ってあげないと。
そう思っていた――けれど、実際のところは杞憂だったのかもしれない。
なぜならそれから数か月が経過しても、わたしたちの周りでは何も起こらなかった。
本当に、何も。
闇魔法の出番なんて全くない。
魔法少女だということを忘れてしまうぐらいに、平穏な日常だった。
そんな日々が過ぎ去り、すっかり冬らしくなった頃。
わたしの住む町では雪が降り出し、うっすらと地面を白く染め始める、この季節。
この雪は――悪夢の冬の予兆となる。
今年最後の更新になります!
読んでくださった方がいたおかげで、途中で投げ出すことなく書いてこれました。
本当にありがとうございます。
次話以降も、どうぞよろしくお願いします。




