黒瀬麻子は焦り出す
「女神城……?」
聞き慣れない言葉に、思わず復唱してしまった。
脈絡のない話に、まるで理解が追い付いていない。
モアやモストは、アストラルホールの女神に仕えている神官――そんな話は、華蓮から聞いたことがある。
しかし、具体的な話は何も聞いていない。
女神がどういった存在なのか、詳しいことは何も知らないのだ。
「なにそれ? モアのところのお偉いさんが、わたしたちを呼んでいるってこと?」
「まあ……そんな感じだぽん。女神様が、キミたちに会いたがっているんだぽん」
「……なんで?」
意味がわからない。
そんなことを急に言われても、戸惑ってしまう。
アストラルホールには二回行ったことがあるが、まともに異世界交流などしたこともない。
向こうの世界でやったことと言えば、魔法少女同士で戦ったぐらいのもの。
わざわざ異世界まで行って何をしているんだって話である。
それに、モアはかつてこう言っていた。
アストラルホールでも、一部の上層部は芽衣が起こした魔王の事件を知っている。
魔王の力を持っている芽衣の存在を許さない、過激派もいる……と。
だから、モアがお目付け役として芽衣に付き添っていたのである。
そんな状態で、わたしたちをアストラルホールの本元に招き入れる……何か裏があるとしか思えない。
それとも、もう魔王の力を警戒する必要はないと……そう、判断したとでも言うのだろうか?
「そもそも……女神様って何なの?」
「ぼくらの世界、アストラルホールを取り仕切っているのが女神様。もう百年以上もの間、ずっとアストラルホールを治めているんだぽん」
「百年以上……? なにそれ、長生きにも程があるでしょ。女神っていうより魔女ね……アストラルホールの住民って、そんな感じなんだ」
「いや、普通ならあり得ない。ぼくらの寿命はキミらと大差ないから、女神様が特別なんだぽん。そんな女神様がアストラルホールを治めている間は、ずっと闇の軍勢の脅威が無かった……だから、奇跡の女神様とも呼ばれているぽんね」
「え? でも今って……」
「そう、魔王復活の兆しが見られて大事になった。まるで、今まで闇の軍勢を押さえつけていた何かが失われたかのように。だからぼくたち神官は、闇と戦う魔法少女を求めていたんだぽん」
「ええ……じゃ、尚更わたしたちに何の用よ? 闇属性を持つわたしと芽衣ちゃんなんて、女神城に来てほしくないんじゃないの?」
「それは……女神様から直接話があるぽん。とにかく、キミたち三人にはこれから女神城に向かってもらうぽん」
「行かない」
「えっ?」
モアが意外そうな声を上げる。
今、『行かない』と口にしたのはわたしではない。
羽衣姉である。
「……ん? 気のせいかぽん? 今、行かないって言ったぽんか?」
「あー……うん、そう聞こえたね」
「はは、まさか。えーっと、氷の魔法少女ははじめましてぽんね。ほら、キミも一緒に行くんだぽん。早く出てくるぽん」
モアが遠慮なく布団の塊をぱしぱしと叩いている。
うん、この空気読めなさ加減。
羽衣姉が一番嫌うタイプだろう。
「……冷たっ! 冷たいぽん!」
モアが飛び退いて叫び声をあげる。
そりゃそうだ。
不躾なモアの手は、凍り付いていた。
「あーあ、羽衣姉は行きたくないってさ」
「なんでぽん!? 女神城ぽんよ!? そこに呼ばれるということは、名誉なこと! 普通なら入ることすら許されない聖域! みんなが憧れる場所なんだぽん!」
「………………」
反応なし。
羽衣姉は、答える気すらないらしい。
仕方がないので、羽衣姉の気持ちを代弁してあげることにした。
「あのねえモア。羽衣姉にとっては外に出るってこと自体がハードル高いのよ。ましてやこの暑さ。こんなときに女神城なんて訳のわからないところ、行くわけないでしょ」
「はあ……全く、非協力的なところは麻子とそっくりぽんね。やれやれ」
イラッ。
なんだその呆れ顔は。
いつかのときみたいに、窓から放り投げてやろうか……
そう思った矢先、これまで静かだった芽衣の手がモアに伸びた。
「ぽん!?」
「め、芽衣ちゃん!?」
ゆらゆらと黒い風を右手に纏い、長い前髪の隙間からぎょろりとモアを睨む芽衣。
「邪魔、しないで」
「め、芽衣! ちょ、手を離すぽん!」
闇を纏った右手でモアの首を掴んだまま、すたすたと窓に近付いていく。
あー……あれじゃモアにはどうにもできないだろう。
「今、わたしとユキさんは取り込み中なんです。邪魔しないでください」
ん?
んん?
今、わたしとユキさんって言った?
わたしとユキさん。
つまりは、芽衣と羽衣姉。
……あれ? わたし、麻子は?
「それじゃ、そういうことですので」
「あああああ! キミたちは何でこう……! あああああ」
穏やかだが禍々しい黒い風に乗って、空高く飛んでいくモア。
芽衣ちゃん……容赦ない。
あっという間にモアの姿は見えなくなってしまった。
窓を閉めると、満足そうに羽衣姉の元に駆け寄った。
「ユキさん! もう大丈夫です、侵入者は撃退しましたよ!」
「す、すごい……源さん、強いんだねえ」
「え、えへへ……」
えへへ!?
えへへって何!?
芽衣にえへへなんてされたこと一度もない。
芽衣の羽衣姉に対する態度がやばい。
これならむしろモアの邪魔があったほうが良かったまである。
「ちょ、ちょっと……芽衣ちゃ」
嬉しそうに話すふたりに近付こうとした、瞬間だった。
わたしたちを取り囲むように、空間が歪んだ。
この、世界を跨ぐ穴。
もう、何度か体験したこの浮遊感。
どうなるのか、さすがにもうわかっている。
(……アストラルホールに行くときのやつ! モアあああああああ!!!)
心の中で叫びながら、わたしたち三人は……羽衣姉の部屋から姿を消した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「これで……これで、本当に良いんですか? 女神様……」
三人の魔法少女が消えた部屋に、ぼそりと響く低い声。
紳士帽を深く被ったモストの顔には――迷いの色が見えた。




