白雪羽衣はだらしがない
羽衣姉に扉を閉められてから、三十分は経過しただろうか。
長い押し問答の末、ようやくわたしは羽衣姉の家に入ることができた。
……わたし「は」、である。
結局芽衣は入れてもらえず、わたしひとりだけがこの牢固な門を潜ることを許されたのだ。
芽衣は諦めきれないようだったが、あまりにも氷魔法の圧が強くなってきたため一旦手を引いてもらうことにした。
このまま強引に芽衣が羽衣姉の家に押し入ろうとすれば、羽衣姉が発狂してしまう。
そうなれば、どれだけの魔力が押し寄せてくるのか想像もつかない。
(わたしが上手くふたりの仲を取り持つことができればいいんだろうけど……ね)
相手が羽衣姉となると、いかんせんその難易度も高い。
しかし、わたしも芽衣がどうしてこれほどまでに羽衣姉に会いたがっているのか知りたい。
そのためには、何とか芽衣も家に入れてもらえるよう説得しなければ……
わたしは玄関の扉を閉めると、ベッドの上に寝たままの羽衣姉に声をかけた。
「やほ、羽衣姉。起きて」
「麻子ちゃん……久しぶり」
随分久しぶりに顔を合わせた羽衣姉は、ゆっくり起き上がると微かな笑みを浮かべた。
白雪羽衣――氷の魔法少女。
歴代最強の魔力を持つ魔法少女として、モアやミラージュに目をつけられていた「雪女」。
しかし今、目の前でベッドに腰かけている姿は、わたしが知っている羽衣姉のイメージとほとんど変わっていなかった。
変わったところと言えば、髪がやたらと伸びて、胸の肉がとんでもなく成長しているところだろうか。
どう見ても相当昔から着古しているとしか思えない淡い青色のパジャマのボタンが、今にも弾けそうである。
よれよれのパジャマを着てだらしない格好をしている羽衣姉は、とてもじゃないが人前に出られる格好ではなかった。
「久しぶり。……ある意味変わっていないようで、安心したわ」
「麻子ちゃんは随分可愛くなっちゃって……うう、陽キャオーラが……眩しい」
「何言ってんの。今はそうでもないんだけど」
「うう……」
か弱いうめき声を出しながら、布団にくるまって目を細める羽衣姉。
まるで猫のようである。
羽衣姉は、昔から引っ込み思案な性格だった。
ひとつ年上なのに、いつもわたしの後ろに隠れていて、びくびくしていたと思う。
誰かに話しかけられるとすぐに逃げ出し、家族とわたし以外には常に小動物のように警戒している……そんな子どもだった。
一方で、わたしの子どもの頃と言えば、活発で、賢くて、大人に好かれるような子どもだった。
自分で言うのもなんだが、あの頃のわたしは無敵だったと思う。
だから、羽衣姉とわたしはまるで正反対の子どもだった。
それでもわたしは羽衣姉のことが大好きだったし、一緒にいて楽しかったのを覚えている。
こんなナリをしているが、羽衣姉はわたしにとっては実の姉のような存在だった。
「あ……麻子ちゃん、大丈夫? 寒くない?」
「大丈夫。ちゃんと持ってきてるから」
カバンから上着を取り出して、羽織りながら言う。
今は九月上旬、昼なら三十度近くまで気温が上がる夏日だ。
にもかかわらず、わたしが暖かい上着を持ってきた理由はこの部屋にある。
エアコンだけではなく、一体どこに売っているのかもわからない巨大冷風機。
ガンガンに冷え切ったこの部屋は、秋の終わりかと思うほどの気温に感じられた。
「相変わらずなんだから……今ここ何度ぐらい?」
「えっと……十五度ぐらい……?」
「寒っ。今の時期にしていい気温じゃないでしょ」
そう言いながらも、わたしはエアコンの設定を変えようとはしなかった。
羽衣姉が暑がりなのは、よく知っているからだ。
……暑がりと言っても、ただの暑がりとは訳が違う。
常人からしたら、病的なまでの暑がりと言える。
羽衣姉は、幼い頃に熱中症で倒れ、生死を彷徨った経験がある。
それ以来、すっかり暑いところが苦手になってしまったのだ。
元々引きこもり体質だったのだが、夏はそれに拍車がかかり、一切外出しないらしい。
小学生のとき何の準備もしないで羽衣姉の家に遊びに行ったら、部屋が寒すぎて風邪ひいたんだっけ……
「というか……それにしても散らかりすぎじゃない? 少しは掃除しないの?」
部屋の中はあらゆるものが散乱しており、服どころか下着までもが床に無造作に散らかっている。
生ごみの類が無いのが救いだが、とにかく物が多い。
ほとんど足の踏み場がない状況だ。
物を捨てられない性格なのか、部屋の主がだらしないことがよくわかる部屋だった。
「だ、だって来客なんて想定してないし……あ、ちょ、ああ」
「とりあえずこれとこれとこれはダメでしょ……あとこれも……ってかでかっ……」
とりあえずわたし以外の目に触れるとやばそうなものをさっさと片付ける。
少なくとも芽衣には見せられないものばかりだ。下着はアウト。
「というか麻子ちゃん、どうやってわたしの家を……?」
「突然来たのは悪かったわ。でも、こっちにも事情があってね」
最低限の片付けを済ませると、ベッドの上で布団に丸まっている羽衣姉の隣に座り、顔を近付けた。
「羽衣姉。魔法少女になったんでしょ?」
「……! な、なんで……え、まさか……?」
「そ。わたしもそうなの」
そう言うと、わたしは右手に闇を纏って見せた。
「羽衣姉は氷の魔法少女なんだってね。わたしは闇。闇の魔法少女」
「闇……ってことは、麻子ちゃんが魔王の力を持った魔法少女……?」
「あ、違う違う。それはわたしじゃない。そっか、その辺の話は聞いてるのね」
コホンと咳払いをして、右手に纏った闇を消す。
「それなら話が早い。わたしが今日羽衣姉に会いに来たのは……羽衣姉の立ち位置を確認するためでもあるからね」
「た、立ち位置?」
「うん。ほんとは思い出話でもしたいところだけど……とりあえず、まずはわたしの話を聞いて」
わたしはそう言うと、ミラージュの件を語り始めた。




