樋本華蓮の夏休み
ミラージュとの闘いから、数日が経過した。
夏休みも残り一週間。
もうすぐ再開する学校のことを考えて、憂鬱な気分になる頃である。
宿題を片付けていない生徒は、そろそろ慌てて取り掛かる頃でもあるだろうか。
わたしは当然の如くすべての宿題を片付けているので、そんな心配をする必要は無い。
正直言って、あんなものに時間をとられるわたしではないのである。
そんなわけで、今は残った夏休みの時間を噛みしめながら、ときどき麻子の住むアパートを訪れる日々を送っていた。
今日も麻子の部屋でソファーに寝ころびながら、のんびり過ごしているところである。
「ふぁ……」
大きな欠伸をして、目を擦る。
結局……あれから、わたしの周囲では何も起こらなかった。
モストと京香が姿を消したあと、わたしたちはモアの力を借りて元の世界に戻り、華奏を病院に連れて行った。
前に麻子と芽衣が入院した病院と同じところに行ったため、看護師に怪しまれてしまったが……華奏はそこでほんの数日入院するだけで、順調に回復することができた。
入院中も、ミラージュがまた華奏のもとに現れるのではないかと思い、気を張っていた。
しかし、その心配も杞憂に終わった。
正直、拍子抜けしたほどである。
もう、華奏のことは諦めたのだろうか?
京香は、今どこにいるのだろうか?
少し前まではそんなことを考えていたが、今は退屈な日常に欠伸が出てしまう始末である。
そんなわけで、わたしは頬杖をつきながら、モアに詰め寄る芽衣の様子を見守っていた。
「それじゃ……モアはずっと黙っていたってことですよね? わたしはずーーっと一緒にいたのに」
芽衣の声色が恐ろしい。
明らかに怒っている。
お目付け役としてずっと芽衣のそばにいたモアが、芽衣に黙って勝手な行動をしていたことが許せないらしい。
小さな身体で恨めしそうに見上げる芽衣の視線は、黒く濁っていた。
肩から少し黒い闇が漏れているように見える。
「えーっと……ほら、敵を騙すにはまず味方からって言うぽん?」
「ふーん……言いたいことはそれだけですか?」
「ちょ、ちょっと……落ち着きなさいよ芽衣」
今にも芽衣の手がモアの首に伸びそうだったので、思わず止めに入ってしまった。
「でもね、モア。あんたが悪いわよ。わたしたちがどれだけ心配したと思ってるの」
「え、華蓮そんなにぼくのことを心配してくれたぽん?」
「んなわけないでしょ。麻子のことよ」
「え、華蓮そんなにわたしのことを心配してくれたの?」
「んなわけないでしょ! モアのことよ!」
「……華蓮さん? 一秒で矛盾してますよ?」
芽衣に呆れ気味の視線を向けられてしまった。
「もー照れなくていいのに。心配してくれたんだよね、ありがとね」
「うるさい。してないし」
「はは……いやでも、今回のことはわたしにとっても不可抗力でさ。実際、新幹線の中で襲われて監禁されていたのは事実だし」
「やっぱりモアが悪いんじゃないですか。万死に値しますね」
「いやいや、ぼくの機転のおかげで全滅を免れたぽんよ? そういう意味では、むしろ感謝してほしいくらいだぽん」
「へーぇ、それ華蓮さんの妹さんの前でも言えるんですか?」
「あ、いや……そりゃ、華蓮の妹には悪いことしたと思うぽんが……」
急にモアの声が小さくなる。
さすがに罪悪感があるらしい。
俯くモアを見て、わたしはひとつ息を吐いた。
「ま……今回は、本当に手遅れにならなくてよかったわよ。わたしがモアたちを家に招き入れたから……華奏は……」
「いやいや! それを言ったら華蓮の家に行こうって言い出したのはわたしだし……」
「いやいや、ぼくも悪かったぽん。あのときぼくが居眠りしてなければ、こんなややこしいことには……」
「確かに。それじゃやっぱりモアが悪いということですね。万死に値します」
「なんで!? そういう流れじゃなかっただろうぽん!? ……あ、ちょ! やめるぽん!」
芽衣が逃げるモアを追いかけ始めたので、もう放っておくことにした。
モアにもいい薬になるだろう。
ソファーに座り直し、ゆっくりと冷たい麦茶を啜る。
「……あの後、華奏ちゃんの調子はどう?」
麻子が静かに口を開いた。
「もう何ともないみたい。それどころか、家で光の魔法をライト代わりにして遊んでたわよ」
「そ……ならよかった。確かに、わたしの闇よりは使い勝手良さそうだ」
麻子はそう言うと、わたしの隣に座った。
麻子はアストラルホールから戻ったあとも、何度も病院に華奏の様子を見に来てくれていた。
麻子が常に華奏のことを気にかけてくれていたことは、よくわかっている。
「だから、もう大丈夫よ。麻子が気に病む必要無いわ」
「そっか……! それじゃ、やっぱり行くしかないわね」
「行くって……どこに?」
「決まってるでしょ。当初の目的を果たすのよ」
「目的……? 何の話?」
「東京旅行よ東京旅行! まさか、台無しにされて終わる気じゃないでしょうね!?」
「え、まじ? 行くの?」
ちら、と芽衣に視線を向ける。
モアの首根っこを掴みながら、芽衣がこくりと頷いた。
「……行きたいけど……わたしはやめておくわ。華奏を家にひとりで置いて行くのは心配だし。ふたりで行ってきなさいよ」
そう言いながらも、わたしはぎゅっと手を握りしめた。
そりゃ、楽しみにしていたことが何もできなかったんだから、心残りはある。
でも、あんなことがあったのに、華奏をひとりだけ置いて家を空けるわけにはいかない。
もう、あんな思いはしたくない。
「何言ってるの? それなら大丈夫でしょ」
「……え?」
麻子がずいっと顔を近付けてきた。
「華奏ちゃんも、一緒に行けばいいじゃん」
「え」
麻子の言ってることが一瞬理解できずに、固まった。
思考停止とは、こういう状態のことを言うのだろう。
「え、なにその顔? なんでそんな意外そうな顔するわけ?」
「だって、華奏も一緒にって……いいの?」
「いいも何も。ダメな理由ないでしょ。ね、芽衣ちゃん?」
「………………はぃ」
「あれ!? ダメだった!?」
「いえ、ダメではないですが……わたしは妹さんとは全く話したことないですし……なんなら戦った関係ですし……その……」
「緊張する、ってこと?」
「………………いえ決してそんなことは」
「大丈夫! ちゃんとわたしが一緒にいてあげるから!」
「本当ですね? 嘘じゃないですよね? 妹さんに心移りして、置いて行ったりしないですよね?」
芽衣が早口でまくし立てる。
……なんだか、芽衣の方が悪化している気がする。
うーん、どうしてこうなったんだろう。
いつか麻子に依存しそうで、芽衣の将来が心配である。
「もう夏休みも残り少ないんだから。明日から行くわよ明日から。今度はモアがいるから行き放題ってものよ」
モアの顔を指でつつきながら麻子が言う。
「そうですね。それじゃモア。明日からよろしくです」
「お、おう……わかったから、その手を離してほしいぽん」
「今度は四人だから計画見直さないとね。それに、店の予約とか……あ、華奏ちゃんはどこか行きたいところあるかな?」
「あ、ちょっと待ってください。今の時期なら、わたしも行きたいところがありまして……」
スマホを覗き込みながら嬉しそうに話す麻子と芽衣を見て、わたしは思わず笑った。
どうやら、わたしの夏休みはこれから始まるらしい。
「魔法少女は闇が深い」、第二部はこれで一区切りです。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます!
このあとは、第三部に繋がる話を少し書いていく予定です。
本作を少しでもお気に召していただけたら、評価や感想、是非お願いいたします!
改めて、読んでくださって本当にありがとうございました。
まだまだ続く予定ですので、引継ぎ応援のほど、よろしくお願いします!




