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生意気で横暴な幼馴染がベタベタしてくるので友達じゃない宣言して泣かせたった

 『可愛い人』を思い浮かべてください、と言われた時、誰を思い浮かべるかは人によって違うだろう。

 ある人は好きな人を思い浮かべるかもしれないし、ある人はアイドルを思い浮かべるかもしれない。子供を持つ親だったら、きっと我が子の顔が真っ先に浮かぶだろう。女なのか男なのか、二次元か三次元かだって人それぞれ。

 俺にとってのそれは、望月(もちづき)日和子(ひよこ)だ。


 日和子は俺の幼馴染である。

 平々凡々の俺とは違って、日和子は幼い頃から美少女だった。大人たちは皆彼女のことを将来はモデルだアイドルだと褒めそやし、可愛がった。日和子自身、人に甘やかされるのが何よりも、誰よりも得意だった。何か困ったことがあったとしても、日和子が泣けばすぐに誰かが飛んできて助けた。

 俺だって、例外ではない。むしろ誰よりも面倒を見てきた自負がある。幼い頃から何度彼女に振り回されてきたことだろう。名前通りひよこみたいに俺の後ろをつきまとってきて、転んだとき、寂しくなったとき、日和子はすぐに「つーくん、たすけて」と泣いた。それは『すぐに来い』の合図で、ちょっとでも遅れると何故か俺が怒られることになる。

 鬱陶しいと思ったことがないといえば嘘になる。でも、俺が駆けつけたとき、目元を赤くしながらも「つーくん、すき!」と全力で嬉しそうに笑うのを見ると、それでもいいかな、という気分になるのだった。……それに、大きな声では言えないが、自分に懐いてくる日和子は、結構可愛かったし。


 けれど日和子は変わってしまった。


 高校デビュー、というやつなのだろうか。まず、「お姫様みたいだから」と中学まで伸ばしていた髪を高校に入学してすぐにバッサリと切ってしまった。昔はちょっと肌を出すのも恥ずかしがっていたのに、今じゃ制服のスカートも短くして、よく生活指導の先生に注意されているほどだ。つるむ友達も、俺とは住む世界が違うようなカーストの高い、いわゆるギャルみたいな女子が多くなって、なんだか、学校にいるときは日和子に話しかけづらくなってしまった。それにいつしか俺のことを「つーくん」じゃなくて「翼」って呼ぶようになって、俺も「ひよちゃん」じゃなくて「日和子」って呼ぶようになって、そんなの、他人みたいだ。

 ……いや、でも、それだけだったらいいんだ。大人になるにつれて失われる人間関係がある、それは当然のことだ。悲しいけれど受け入れて、俺は日和子と別の道を歩んだだろう。

 だが、そうではない。不思議なことにそんな日和子はまだ俺から離れはしなくて、そのせいで、俺だって日和子から離れることができないでいる。



―――――――――――――――



「……おい、日和子、起きろ」


 俺は人のベッドの上で寝転ぶ日和子を軽くつついた。

 日和子はすやすやと、気持ちよさそうによだれを垂らして寝ている。枕には垂らさないでほしいのだが、寝ている相手に言っても仕方がない。こんな風に眠っている顔は油断しきっていて幼く、昔の面影がある。

 日和子を部屋に上げたのは、当然のことながら俺ではない。俺が委員会を終えて家に帰ってきたときには、なぜかすでに日和子は俺のベッドの上にいた。おそらく、俺の母親の仕業だろう。俺たちはもう高校生だというのに、幼少期よくお泊りをしていた時の感覚がまだ残っているのか、簡単に日和子を俺の部屋に上げてしまうのである。俺たちだってお年頃だぞ。

 そんなお年頃のオトコノコの俺からすれば、自分のベッドの上で女子が寝ているというのは、いくら幼馴染とはいえなんだか気まずい。こいつ、他の男の前でもこういうことしてるんじゃないだろうな。風の噂によると、案の定日和子はよく男にモテるらしいし。俺の知らない間に彼氏とかできてたらどうしようか……できてるかもしれない……いや、そもそも俺と日和子は単なる幼馴染なだけで、そこに口を挟む権利は何もないんだけど……でもやっぱり……嫌な想像を振り払うように、俺はさっきよりも強く日和子をゆすった。


「んー……ん……」


 日和子が悩まし気に唸って寝返りを打った。その拍子にただでさえ短いスカートの裾がめくれて、――黒! ではなく、俺はうっかり見てしまう前に慌てて目を逸らした。そちらの方を見ないようにしながら、日和子の肩をペしぺしと叩く。それにしても女子高生が黒なんか履くんじゃないよ、ピンクとか水色とかにしなさい……。


「おい、起きろ、起きなさいお嬢様、はしたないですわよ」

「なにぃ……?」

「パン……おパンツが見えてらしてよ」


 何とかオブラートに包んで伝えると、日和子は目が覚めたらしくハッと起き上がってスカートの裾を抑えた。それからリスみたいに頬を膨らませて睨んでくる。


「見た?」

「な、何を?」

「……翼は変態だってクラスに言いふらしてやる」

「いやっ……これは事故だろ!」

「やっぱり見たんじゃん」


 ほら見たことか、と言わんばかりのジト目を向けられた。俺は何かしらの反論をしようと思ったのだが、パンツを見たのは事実だし、仕方なく「ごめん」と謝った。だがそれでは納得できなかったのか、日和子は俺を鼻であしらった。


「えっちな漫画ばっか読んでるからそんな風になるんじゃないの」

「は? 何の話だよ」


 拗ねたように吐き捨てられた謂れもない言葉に思わず反発すると、日和子はごそごそと枕の下に手を突っ込んだ。


「これ! 知らないとは言わせないからね」


 そんな勝利宣言みたいな言葉とともに、俺に突き付けられたのは一冊の本、より正確に言うなら漫画、もっと詳細に分類するなら同人誌、そしてなんというか、ちょっと(ここは重要)エッチなやつだった。そして残念ながら、クールなショートカットのお姉さんがこちらを挑発的に見ている表紙には見覚えがある。


「お前、それ、どこで」


 厳重に本棚の奥に保管していたはずだ。勝手に漁って探したにしても相当執念深くやったに違いない。俺に何のうらみがあるって言うんだ。

 俺は日和子からとりあえず本を奪い返そうとしたが、ひらりと避けられてしまった。そのまま日和子は本をぎゅっと華奢な胸元に抱き締める。そうされると無理やり取り返すこともできず(俺は紳士なのだ、変な意味でなく)、諦めるほかない。とりあえずべたべた触るのはやめてほしい。やめた方がいいと思う。わざわざそんなこと言わないけど。


「ていうか、この表紙の女の人、ちょっとあたしに似てない?」

「いや、全く似てない」


 おまえそんなクールじゃないだろ。それに、幼馴染に似ているエロ同人とか、いたたまれなくて読めたもんじゃない。罪悪感で死んでしまう。

 もう好きにしてくれと言う思いで日和子に背を向け学習机に向かうと、背後からパラパラとページをめくる音が聞こえてきた。それに併せて「ふーん」とか「へー」とか感心したような、呆れたような声が聞こえてくるのがいたたまれない。


「翼もこういうのが好きなんだ」

「……何、こういうのって」

「…………おっぱい、大きい方がいい?」


 やけに神妙な声色だった。なんだその聞き方。俺はなんと答えたものかもわからず、しばし沈黙を選んだ。だが、いつまでも黙っているわけにはいくまい。


「いや、別に……」

「ふーん……」


 むしろ小さい方が……なのだが余計なことを言えば言うほど墓穴を掘りそうだったので、俺はあえて振り返りもせずに出来るだけつれない返事をした。そんなことより数学の課題をやろう。それがいい。

 机の上にテキストとノートを並べて問題に取り掛かる。実際はほとんど集中もできていなかったのだが、大事なのはフリだ。

 しばらく俺が机に向き合っていると、やがて俺の狙い通り俺をからかうのを諦めたらしかった。いつの間にか、ページを繰る音が止んでいる。そもそも女子が読んで愉快なものでもないだろうしな。


「……なあ」

「……ねえ」


 俺がなんとなく手持ち無沙汰になって日和子に話しかけたのと、逆に日和子が俺に話しかけてきたのは、全く同時だった。話し出しが被ったとき特有の視線での譲り合いの末、話の主導権は日和子に流れた。


「何してんの」

「数学の課題だけど。そっちのクラスでも出てるだろ」

「そうだっけ? ちょうどいいや、うつさせてよ」

「自分でやりなさい」

「はー? 翼のくせに説教するつもり?」


 日和子がベッドから立ち上がってこちらに近付いてきた。椅子に座る俺の背後からノートを覗き込む。そうすると、日和子の顔が俺の真横に来ることになる。俺の字がよっぽど読みにくいのか、日和子はどんどんと身を乗り出してきて、そのたび、彼女の身体が俺に密着する。控えめながらも確かに柔らかい体温が肩甲骨のあたりに触れた。細い腕が俺の首に回る。心臓がバクバクと高鳴る。だめだ、こんなのは。日和子は単にじゃれてるだけなのに。俺は自分の心臓の高鳴りが日和子に聞こえてしまうのではないかとハラハラした。


「こんな課題、あたしのクラスで出てたかな」


 日和子の声はほとんど俺の耳元から聞こえてきた。彼女が首を傾げたであろう動作に合わせて、頬をくすぐる髪からふわりとシャンプーの匂いが広がる。香水はつけてないんだな。懐かしい匂いだ。昔は俺が日和子の家にお泊まりすることもしばしばあったから。

 匂いが記憶を呼び覚ます。二人で布団の中で一緒に図鑑を見た時のことを突然思い出して、俺は急に罪悪感で耐えきれなくなった。


「日和子、近い、ちょっと離れろ」


 俺はテキストをじっと見つめて、出来るだけ冷静に告げた。


「日和子は俺のことを昔と同じように友達だと思ってるからそういうことするのかもしれないけど、俺はそうは思えないから」


 返事はなかった。だからもしかしたら俺は自覚なく声が小さくなってしまって日和子に聞こえなかったのかと思ったが、ゆっくりと力なく俺の首に回る腕が解かれたから違うとわかった。

 じっと問題集の文字を見つめて、俺は日和子の言葉を待った。だが、彼女は何も言わない。突然一方的にこんなことを告げられて、怒っているのかもしれない。失望しているのかもしれない。引いているのかもしれない。当然のことだ。俺はそれも甘んじて受け入れようと、ゆっくりと振り返る。

 その瞬間血の気が引いた。


「…………え?」


 日和子は丸くて大きな瞳から、真珠のような涙をこぼしていた。


「え!? 何何何どうしたどうしたどうした泣くな泣くな泣くなどうした何」

「つーくんがひよこのこときらいになったぁ……」

「え、つーく……じゃなくて、はぁ!? 何言ってんだよ!」


 全く予期していなかった言葉に狼狽する。俺が日和子を嫌いになったなんて、なんでそんなこと……と思いつつ先ほどの自分の言葉を思い返してみる。

 『離れろ』『日和子は俺のことを友達だと思ってるかもしれないけど』『俺はそうは思えない』

 ――確かに、これじゃあ俺が日和子を拒絶していると思われても仕方がない。でも、まさか、こんな風に泣くなんて。日和子が泣くのを見たのはいつぶりだろう。駄目だ、駄目なのだ、俺はひよちゃんを泣かせたら駄目。そうだろ、つーくん。俺は痛む心臓を抑えながらなんとか誤解を解こうと、日和子の肩を優しく掴む。


「違うんだ、日和子」

「なんで、ひよこがわがままだから……? ごめんね、なおすから」


 だが、しゃくりあげる日和子は必死なのか俺の言葉は耳に入っていないらしい。俺のシャツを小さな手でぎゅっと掴んで涙声で訴えかけてくる。


「ひよこはっ、ひよこは……ずっとつーくんのこと好きなのに……」

「え?」

「でもっ、高校生になったら、まわり、おとなっぽい子ばっかりで、つーくんがほかのこのこと好きになっちゃうんじゃないかって、不安になって、ひよこもつーくんにすきになってもらいたくて、大人っぽくしようって、がんばって……」


 日和子の声が不安そうにどんどん小さくなっていくが、言葉が俺に与える衝撃はむしろどんどんと強くなっていく。

 日和子がこんな風になったのは俺のためだったっていうのか? さっき日和子は俺の持ってる漫画を見て「あたしに似てる」と言ったが、逆だったんだ。俺の好みに合わせようとして、日和子が今の姿になったのだ。

 頭がくらくらした。そんなことがあるのか。こいつ、俺のことが大好きじゃないか。さっき抱き着かれた時なんかよりもよっぽど心臓がばくばくした。不安そうに俺を見上げる赤い目元にぞくぞくする。

 俺は大きく息を吐いて、吸った。ひよちゃんは昔からかわいい。そして、ばかだ。


「でも、つーくんは、ひよこにふりむいてくれなくて……」

「ひよちゃん、聞いてくれ」


 久々の呼び方に頬の内側がキュッとなった。だが、恥ずかしがってはいられない。俺が今呼び掛けたいのは、昔から仲が良くて、俺が守るべき、かわいい幼馴染なのだから。

 ひよちゃんの方も、その呼び方をされるのが意外だったのか、ぽんっと顔を赤くして黙った。零れ落ちそうなくらいまんまるく見開かれた目をまっすぐ見つめて自分の気持ちを真摯に伝える。


「俺はひよちゃんをただの友達と思えないって言っただろ」

「……うん」

「あれは本当だ」

「じゃあ……」


 ひよちゃんの目にまたじわじわと涙が浮かぶ。それを見ているだけで胸が痛むが、ここで嘘をついても仕方がない。俺は優しく指先で涙をぬぐった。


「でも別に嫌いになったわけじゃない。むしろ逆だ」

「ぎゃく?」

「だからその……高校入って、ひよちゃんの雰囲気が変わったから、俺、意識しちゃってたんだよ」


 ぱち、ぱちとまばたき。ひよちゃんがぽかんと口を開けて俺を見たので、羞恥心がじわじわと身体を満たしてきた。もしかして笑われるんじゃないか、出過ぎたことを言ったんじゃないかと焦る。だが、ひよちゃんは笑ったものの、その笑い方はふにゃっとした嬉しそうなものだった。


「つまり……つーくんはひよこのことがすきってこと?」

「それはっ……まあ、わかんないけど」

「ひよこはつーくんのこと好きだよ。ずっと、ずっと……つーくんはひよこのヒーローだから」


 ひよちゃんが俺の手を握った。柔らかな手のひらの感触は熱となって俺を温める。


「どう……かな……?」

「どうって……」


 言葉にするだけの勇気が出ずにはぐらかしていると、ひよちゃんはどんどん顔を近付けてきた。不安そうに揺れるまつげも、仄赤く染まった頬も、柔らかそうな唇も、全部鮮明に見える。

 これは覚悟を決めるべきなのか……!

 俺が日和子の頰に触れようとしたその瞬間。


「日和子ちゃん、ご飯食べてく〜?」


 俺の部屋のドアが開いて、能天気な声とともに母親が顔を覗かせた。


「え、あっ」

「母が用意してるので、残念ですけど今日はもう帰りますね」


 狼狽して返事ができなかった俺とは裏腹、ひよちゃんは母親から見つかるより早く俺から離れて、何事もなかったかのように答えた。


「あらそう?」

「はい、今度またお呼ばれさせてください!」


 日和子が礼儀正しい笑顔でぺこっと頭を下げる。母親が「残念ねえ」などと言いながら部屋を出ていくのを見届けてから、日和子はこっちを振り返った。その表情はだいぶ落ち着いていて、さっきまでの出来事が夢だったんじゃないかとさえ思ってしまう。


「……帰るのか?」

「うん。あんまり遅くなるとママ心配しちゃうし」


 その言葉に半分ほっとする。普段、朝帰りとかをしてるわけではないんだな。日和子の交友関係とかがわからなくて不安なところがあったのだ、俺にだって。

 その一方で、もやもやもあった。さっきの出来事は俺にとってはあまりに衝撃的だったのに、そんな風にサラッと帰るなんて。とはいえ引き止める度胸もなく、微妙な表情で固まっていると、日和子はてててっと小動物のように駆け寄ってきた。小悪魔っぽい上目遣いで日和子が微笑む。


「翼、本気にした?」

「は、日和子、おまえ」


 俺が何かを言うより早く、軽く頰に柔らかい感触。キスされたのだと気付くときには日和子は俺から一歩離れていた。思わず頰を手のひらので押さえてまじまじと日和子の顔を見つめた。

 いたずらをする少女の、鮮やかな笑顔。かわいいかわいい、俺の幼馴染。


「本気にしてね、ひよこは本気だから!」


——ああ、もちろんだとも。あとから冗談だって言っても聞いてやらないぞ。

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