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奈々がちっと舌を鳴らす音も聞こえた。
え、奈々が舌打ち?
「あーあ。せっかく悠斗と楽しく話していたのに」
「あの人たちは誰?」
恐る恐る悠斗は尋ねる。
「あの髭面はレンスってひと。
どうしようもない男だよ」
彼らを厄介者を見るような眼で眺めながら応える奈々。
どうしようもない男って。
余りにも悲しい評価だ。
「ちなみにここの領主してるみたい」
「領主!?」
めちゃくちゃ偉い人じゃないか!
「気にしなくて大丈夫。
ただのしょぼくれたおっさんだから」
奈々はレンスという男性に恨みでもあるのだろうか。
彼はこっちの会話が聞こえる位置まで来ていたが、奈々が気にする素振りはない。
「こんにちは、ナナ様。
しょぼくれたおっさんとは酷い言われようですな」
近づいてきたレンスが苦笑しながら言う。
「うっさい。事実じゃん。
あ、一応紹介。彼は悠斗。私のフィアンセ」
単語を羅列し、奈々は悪態をつきながら悠斗を紹介する。
悠斗はぶっと吹き出した。フィアンセ?
こいつは何を言っているんだ?
「ああ。彼が例の」
レンスは悠斗のことをあらかじめ知っていたかのように頷く。
フィアンセという言葉を完全にスルーするとは良い度胸をしている。
「はじめましてユート様。
私、ルファースを治めさせて頂いているレンス=ギルバートと申します。
以後、お見知りおきを」
そう言って、レンスは恭しくお辞儀をした。
身分はあちらの方が上なのに、彼の対応に違和感を覚えた。
領主なんだから、もっと偉そうに良いはずないのに。
何かおかしくない。
それに、さっきから奈々の態度が酷い。
「私たち、これから帰るところなの。
用がないならさっさと消えて」
ばっさりと切り捨てる口調で奈々が言う。
領主に対して何て口のきき方をするんだ?
悠斗はハラハラするが、レンスはさほど気にした様子もない。
「はは、いつもながら手厳しい。
では一つだけ用事が済んだら退散します。
彼のステータスを見させて頂いてもよろしいですか?」
「ダメ」
即答する奈々。
ステータス?
「私もまだ見せてもらってないのに良い訳ないじゃん。
馬鹿なの?」
「そうだったのですか。
それは失礼しました。
街にいる者のステータスを確認するのは領主の責務なのですが・・・
でもナナ様がまだということでしたら、それまでお待ちしましょう」
奈々の罵倒を気にする素振りも見せず、レンスはにっこりほほ笑む。
「ではこれで失礼します。
ああ、ナナ様」
「なによ」
「今のお住まいはいかがですかな?
それなりの家を手配させて頂いたつもりですが」
レンスは俺たちの会話が聞こえていたのだろう。
やはりいい性格をしている。
奈々がぎろりとレンスを睨んだ。
「なに人の会話に聞き耳立ててんのよ、エロ親父」
「申し訳ありません。
勝手に聞こえてしまうもので」
呆れ顔をしながら、首を振る奈々。
「まあいいわ。
家だったっけ?
気に入っているわ。
良い仕事をしたわね」
「ありがとうございます。
そう言って頂けて光栄です」
初めて奈々から優しい言葉が聞けたのが嬉しいのか、レンスの顔がぱっと明るくなった。
それにしても家を用意したレンスがなぜ、これほど腰が低いのか分からない。
領主という高い地位にいるのに、奈々に気を遣いすぎている。
それに後ろに控える二人の騎士が、苦々しげな顔つきをしているのも気になった。
「何かありましたら遠慮なくお申し付けください。では」
レンスは恭しくお辞儀をすると、騎士を引き連れて去っていった。
もう何がなんだか分からない。聞きたいことだらけだ。
「どういうこと?奈々。説明してくれるんだよね」
「うーん、そうね。
それはおいおい。
とりあえず、私の家に行きましょう」