9.男爵令嬢現る
入学してから2年、特に問題なく時間が過ぎて私は15歳になった。
そして、とうとう例の男爵令嬢が私のクラスにやって来た。
今回も私とルーファスとステファン殿下は同じクラスだ。
一度目の生でもそうだったので、分かっていたのだが…出来れば男爵令嬢とは違うクラスが良かったなと思う。
ちなみに、リオノーラ嬢は別のクラスにいる。
見た目が可愛い男爵令嬢マリー・クラリーク嬢に令息達は浮ついている。
小動物のようなクリッとした琥珀色の瞳、ストロベリーブロンドのクルクルっとしたフワフワの髪、真っ白な肌と薄紅色のプクッとした唇。
前の時も思ったことだが、見た目は抜群にいい。
そして、1ヶ月もするとマリー嬢は前回と同じように男性達と懇意になっていた。
ただし、ユベール殿下の態度は以前のものと違っていた。
確かにそれなりの交友関係を築いているようだったが、あくまでも同じ学校に通う先輩後輩の域を出ない一歩引いた関係に見える。
それに私の従兄弟であるノエルも前の時とは違っていた。
交流はあるようだが、流石に高位貴族の嫡男達と懇意にしている女性に伯爵家の三男坊が声を掛けるのは躊躇われるのか、関係は深まっていない様子だ。
前の時は、公爵家の後継者という地位にいたし、前の生の時より今の彼はずっと大人しい性格になっている。
将来は伯爵家の三男として文官を目指すつもりで、勉強が忙しいのも理由の一つだろう。
今回の生でもマリー嬢に対する令嬢達の評判は最悪である。高位貴族の嫡男達の周りをウロウロする彼女をよく思う令嬢はいないに等しい。
ただ前回はそれに伴い多少のイジメが起こっていたのだが、今回はそれが無い。
これは、リオノーラ嬢の影響によるものだった。
「リオノーラ嬢!あの男爵令嬢放っておいていいんですか!!あろうことかユベール殿下にまで媚を売ってますわよ!!」
そう騒ぐ令嬢達にリオノーラ嬢は妖艶に笑う。
「あら、好きにさせておけば宜しいのではなくて?学生時代の恋愛の一つや二つ、目くじらをたてることでもないでしょう。
どの道私たちは学校を卒業した後、政略的に婚姻を結ぶのよ。
だったら学生の間くらい仮初めの恋人関係を楽しむくらい構やしないでしょうに。
貴女達もせっかくの機会なのだから、好みの男性と仲良くしてみたらいかが?
もちろん不純異性交遊はいけないわよ、一線を越えなければ多少の遊びは人生の糧になるわ。
あくまで淑女として恥ずかしくない範囲で行いなさいね」
そう言われてしまうと令嬢達は男爵令嬢へのイジメよりも、自分達の仮初めの恋人探しに勤しむようになってしまった。
同じ学内に婚約者がいる人達は流石に遠慮しているようだったが、婚約者がいない者、同じ学校に婚約者が通っていない者などは、早々に好みの異性と仮初めの恋人関係を楽しむようになっていったのである。
そこかしこに、甘い空気を漂わす恋人同士が増えた。
「最近男女2人のグループが増えたよね」
放課後、図書館で隣同士座りながらルーファスと共に勉強していると、彼がそんなことを呟いた。
「そうですわね。全てリオノーラ嬢の手の平の上だと思うと…やはり、彼女は未来の国母に相応しいと思ってしまいますわね」
私は思わずクスリと笑ってしまう。
「…ミルシェも仮初めの恋人が欲しいの?」
不安げな表情を浮かべるルーファスに、私は目を瞬かせる。
「まさか。私はそういうの無理だもの」
「ふうん、そっか」
満足気に微笑むルーファスを私は思わずマジマジと見つめてしまう。
ルーファスとは内々に婚約者になると決まっているものの、2人の関係は友達以上恋人未満だ。
口付けはもちろん、手を繋いだことも無い。エスコートしてもらう時に手に触れることはあるけれど、それだけ。
恋人としての好きや愛してるなどの甘い言葉も2人の間には無い。ルーファスは慈しむように笑顔を向けてくれるけれど、言葉をもらったことはない。
私は言葉が欲しいのかしら?
15歳になったルーファスは相変わらず少し地味な雰囲気ではあるけれど、元々顔は整っているし、背も高くなって逞しくなった。
でも私が好きなのは彼の見た目じゃなく中身だ。優しくて穏やかで、一緒にいるとホッとする。
彼を失うのは…嫌だわ。
あの男爵令嬢もルーファスには全く興味が無いのか、話しているのも見た事がない。
…マリー嬢は、本当に嫡男がお好きなのね。
それにもかかわらず、伯爵家の三男であるノエルにも声を掛けているのが不思議ではあるのだけど…。
このまま何もなく、卒業してルーファスと結婚するのなら…私は幸せになれる気がする。
この幸せが壊れないでほしい…。
「…ルーファス」
「ん?」
「貴方…マリー・クラリーク男爵令嬢の事、どう思う?」
私は思わずそんな質問を彼に投げかけていた。
「どう思う…って?」
「そのままの意味だけど。彼女、可愛らしいじゃない?沢山の男性に好意を持たれているみたいだし…」
私の言葉にルーファスはうーんと考え込む。
「そうだね。気になる存在…って感じかな?」
「え?」
ルーファスの返答に私の胸がチクリと痛む。ルーファスが彼女の事を気にしている…?
血の気が引いて、胸がジクジクと痛み出す。
だがルーファスは笑みを浮かべると、今度は質問してくる。
「彼女が特に交流を持とうとしている人物が誰か分かる?」
「…それは、第一王子殿下に第二王子殿下、それから…トリスタン様、フィリップ様…それから従兄弟のノエル…かしら?」
「そう。ユベール殿下とノエルくんはそうでもないけど、ステファン殿下とトリスタンとフィリップはかなり彼女の事気に入ってるよね?」
「そのようね…」
「それっておかしいと思わない?」
「…どういう事?」
「確かにマリー嬢の容姿は目を惹くと思うよ?けど、探せばあれくらいの容姿の令嬢は沢山いると思うんだ。彼らは良くも悪くも知名度があるし、ご令嬢方からも好かれるだろう?
だとしたら、見た目だけで彼らを夢中にさせるなんて無理だと思うんだ。
つまり、彼女の性格が好きって事になるよね?」
「…まあ、そうかも知れないわ」
「僕さ、それぞれにマリー嬢をどう思うか聞いてみたんだ。
ユベール殿下は、気が強くてハキハキものを言う子、第二王子殿下は、無垢で愛らしく大人しい子。
トリスタンは、ボンヤリしてそうだが締めるところは締める賢い子。
フィリップは庇護欲をそそり守ってあげたくなる弱々しい子。
ノエルは優しいお姉さんみたいな頼れる子って答えたんだよ。
皆の彼女に対する認識が矛盾し過ぎてる。
それって…男性に合わせて性格を変えてるって事じゃない?」
ルーファスの言葉に私は目を見開く。
「…確かにそうかも知れないわね」
「怖いよね。相手によって性格を変えるなんてさ…本当の彼女はどんな人物なんだろうって気になって…僕が気になるっていうのは、そういう意味だよ」
ルーファスはそう言って、ニコリと微笑む。
「…彼女は、一体何をしたいのかしら?」
「さあね?下位貴族が高位貴族に媚びを売るのはよくある事だけど…彼女は相当下調べしてきたんじゃないかな?じゃないとあれだけ多数の人間の心を掴めないよ」
「なんだか…怖いわね」
思わず寒気がして自分の腕を摩ってしまう。ルーファスの言う事は的を射ているし、それが事実なら彼女は怖い。
「まあミルシェが気にする事ないよ。彼女が狙っているのは王族か嫡男…ノエルくんが何故狙われたのか分からないけど…彼は将来に向けて今必死に頑張っている最中だから、色恋沙汰にうつつを抜かしている場合じゃないし。
この前も試験勉強について僕に質問しにきたよ…頑張ってるみたい」
「そう…」
そういえば、ノエルは何故かルーファスを慕っている。
同じ嫡男ではない立場のルーファスに色々と相談したのがキッカケで仲良くなったらしい。
正直ノエルの事はどうでも良い。
マリー嬢を好きになったとしても、どちらにしろその恋心が報われる事はないから…寧ろ良かったのかも知れないわね。
「安心した?」
突然ルーファスにそう聞かれて、私は首を傾げる。
「安心?」
「僕がマリー嬢を気になるって言った時…ちょっとショックを受けてなかった?」
そう図星を指され私の体温が一気に上昇する。
恥ずかしい…なんて事を聞いてくるのかしら!
「そ、それは…」
何か答えなければと慌てていると、フッと彼の顔が目の前に近づいてくる。
私は、突然の事に動く事すら出来なかった。
「んっ」
唇に温かくて柔らかい感触が当たる。それは一瞬の出来事で私は呆然としてしまった。
初めての口付け。
「安心して、僕が好きなのは昔からミルシェだけだよ」
「…ルーファス!?」
あまりの恥ずかしさに声を荒げてしまう。
するとどこからかコホンっと咳払いが聞こえて、今ここが図書室である事を思い出し、慌てて口を手で塞ぐ。
「ミルシェ…もう一年しない内に僕たちは婚約するんだよ。それまでに覚悟を決めてね」
ニッコリと笑みを浮かべるルーファスに、私は自分の顔が熱くなるのが分かる。
おかしいわ。昔は顔を真っ赤にしていたのはルーファスの方なのに、なんだか立場が逆転してるわ。
ど、どうしましょう??
私の慌てっぷりとは裏腹に、ルーファスは余裕の表情だ。
納得がいかない気がするような…唇がなんだか熱を持っているような、フワフワした気分に陥ってしまった。