SSー6.ヒマラヤの雪の下では、春の色を待ちわびている
明日ヒマ? というメッセージが届いたのは、夕食を食べている時だった。明日は土曜日。仕事は休みだ。特に予定もなく、部屋の片付けでもしようかと思っていた矢先だ。律さんからスマホにメッセージが届いた。何事だろう。どきどきする胸を押さえながら、慎重に返事を返した。
暇ですけど、どうかしました?
俺も明日は時間あるんだよね。
そうですか。律さんは予定でも?
それがないんだよね。ところで、花とか好き?
はい。植物園とか好きですけど。
そう、良かった。駅前広場に十一時頃、来れる?
はい!? これは心の声だ。これはあれか、遊びにでも誘われているのだろうか。待て待て、慎重に。
えーと、何処かにいくんですか?
来てからのお楽しみ。来れる?
二つ返事だった。律さんに遊びに誘われたのだ。そりゃあ行くでしょ。何着て行こう、暖かくなってきたし、ワンピース? 春物は明るい色の方がいいよね。
あああ、どうしよう。
物凄く、嬉しい。
次の日。
十時四十五分。少し早めに着いてしまったが、約束の場所にすでにあの人がいた。
いつもよりカジュアルめなシャツ、少しめくったシャツから伸びる腕にどきりとする。
『お、お待たせしました』
『早いね、澤白さん』
『律さんほどじゃないです』
『俺は早過ぎただけ。さて。それにしても……』
『なんです?』
『良い色だね。春物だ』
わ、気付いてくれた。
『よく似合ってる』
そう言われて、やはり自分の顔が熱くなるのを感じた。そんな事言うなら、貴方の私服姿の方がよっぽどご馳走さまですよ、と言いたくなった。それから、電車で約三十分。連れて来てくれたのは、春先お出かけマップに載ってたフラワーガーデンだった。
『わ。私ここ来たかったんですよ!』
『へぇ。そうなの』
『はい! わ、すごい。洋風庭園』
友人は花粉症だから自然が多い所は避けてたのだ。だから、必然的にここは外していた。だから、連れて来てもらえるなんて。しかも律さんと来れるなんて思ってもみなかった。
『あっちはハーブ園! 早く、見に行きましょう!』
『く、く……あー、本当面白いね。今行くよ』
なにがそんなに律さんのツボにハマったのか、笑い声が聞こえてきていた。季節の花から野菜園、ハーブ園、それから薔薇園などありとあらゆる植物があった。しかもそれが丁寧に栽培されている。
『この花可愛い……』
律さんと見て回りながら、ふと目に留まったのは紫色の小さな花。小ぶりで可愛いらしい。
『スターチスだね』
『スターチス……』
『花束にもよく使われる花だ。紫以外にもピンクや白もあるよ』
『へええ。詳しいんですか? 花』
『いや。一般常識として』
『これが一般常識ですか……』
ふっ、と目を遠くにやる。思えば律さんって、謎な事ばかりだな。名前、雪 律。年齢、不明。好きな食べ物はチョコレートと肉まん、マグロの煮付け。おでんは餅巾着派だ。だけど私は彼がどんな風に生きてきたか、何を見て何を知っているのか、知らない。
『どうしたの?』
『あ、いえ。スターチス可愛いなって』
『そうだね。俺は……そうだな、あれとか好きだけど』
そう指をさしたのは、白くてふわふわした花だった。
『なんだかお菓子みたいな花ですね』
『へぇ。良い目をしてる。イベリスって花なんだけど、別名がキャンディーダフトって言うんだよ』
『キャンディ? 見た目があれだからですか?』
『そう。お菓子みたいな花だから』
それはなんというか、随分と甘そうな花だ。けどそんな花を律さんが好きだなんて意外だ。もっとこう、睡蓮とか好きそうだと思ったが。なんというか、凛とした花が好きそうというか、ですね。
『何でって、顔してる』
『う。図星をつかないで下さい』
『何が?』
『……あんな可愛らしい花が好きだなんて意外だなと思いまして』
『本当に素直だね。まぁ、なんというか。ぴったりだと思ったんだよ』
『何のことです?』
『……秘密』
謎は深まるばかりだった。