SSー4.白鷺の優美な立ち姿に、届かない手を伸ばす
連絡先を聞き忘れた、と思った時にはすでに遅し。彼と別れていつものコンビニの前を通り過ぎてから気付いたのだった。一緒に食事が出来た事が嬉しくて、すっかり忘れていたのだ。
嬉しかった。それは間違いなかった。なんというか名前と人柄以外は知らない筈なのに、不思議な程に自然な人だ。自然でいられる人だ。次はいつ会えるのだろうと、まだ分からない先の事に不安と同時に胸を躍らせていた。
暖かさが戻ってくる季節になった。ケーキ屋さんには日本全国皆が知っているあのカップルのケーキが出回るようになっていた。もうそんな時期なのだ。一人暮らしをしていると、こういう季節感の行事に疎くなってしまう事が多い。でも、ここは日本。やはり女の子の日も忘れてはいけない。すでに女の子という年齢でもないが、少しでも季節感は大事にしていきたいものだ。
『随分と軽装になったね』
そう声をかけられたのは、駅前の本屋さんの前でだった。軽装というのは、私が今日マフラーをしてないからだろうか。彼も今日はマフラーを巻いてはいなかった。
『ゆきさん』
『久しぶり。元気?』
『はい。こんな所で会うなんてびっくりしました』
『本屋なんて来そうにないって?』
『いやいや! そうではなくて、コンビニ以外で出くわすなんて、です』
『そう。ちょっと欲しい本があってね。寄っただけ』
『どんな本読むんです?』
『色々』
にこりと笑って、やんわり拒否された。ぬぬぬ。そう簡単には教えてくれないという事か。一緒に本屋に入って、私はお目当ての雑誌を購入。これこれ、春先お出かけマップ。友達と暖かくなったら遠出でもしたいねーって話してて、ちょうどこれ見て考えようと思ったのだ。
『ふぅん。春先お出かけマップ』
『わ! そろりと近付かないで下さいよ。いつもの存在感はどこに行ったんですか』
『知らないよ。それより、何処か出かけるの?』
『はい。暖かくなったら、少し遠出したいと思いまして』
『ほぉー……一人で?』
『そんな寂しい事はしません』
『そ? 俺は一人旅好きだけど』
『人それぞれです。ゆきさんはもう買いました?』
『うん。済んだよ』
このまま。お別れは嫌だ。それに、今日の私のミッションは連絡先を聞く事だ。それを達成するまで、この人を離すわけにはいかなかった。
『あぁ、俺、仕事抜けて来たところだからもう行くね』
『え、待っ、待って下さい!』
『うん? なに?』
『えーと、その』
『言いたい事があるなら、言って。急いでるから』
『あ……』
そうだ。お仕事中、だったんだよね。なら引き止めちゃ悪い。けどそれで引き下がるのも嫌だ。
『あの! 明日……あのコンビニに来てもらえませんか!?』
我ながら浅はかだったと思う。そう、結論を先延ばしにしたのだ。
『約束のおでんを奢ります!』
その場で拒否されるのを恐れて、覚悟をする時間を必要としたのだ。しかもまた、おでんを口実にして。ゆきさんはきょとんとして、それから吹き出して、可笑しそうに笑った。
『なるほど。いいよ、明日いつもの時間に待ってて。でも寒いからコンビニの中で待ってるように』
そして何故か人差し指の第二関節でコツン、と。額を叩かれて、じゃあねと去って行った。何故、こんな事をするのか。何故、こんなにも心が揺さぶられるのか。何故……こんなにも顔が熱いのか。もう無かった事には出来ない程、気持ちは進んでいたのである。