SSー29-2.
ふと、目が覚めて天井を見つめた。部屋が暗い。どれくらい、寝ていたのだろうか。
家に帰ってきて、喉が渇いていたからお水を一杯煽った。お腹は空いていなかったから、そのままベッドに入ったのだ。
壁掛けの時計を見れば、夜の八時。帰ってきて三時間くらい経ってる。これはまた、夜眠れないパターンだ、と。のそりと起き上がった。
さて夜ご飯どうしよう。冷蔵庫を開けたが、ほぼなにもなかった。牛乳と油揚げ、麦茶。うーん、今日はコンビニでなにか見繕ってこようかな。
部屋着からジーパンとシャツ、カーディガンを羽織って財布を持つ。春とはいえ、まだ夜は少し肌寒い。もう少し、暖かくなれば良いのに。
最近のコンビニはこのくらいの季節でも、おでんが販売している事がある。律さんと出会った例のコンビニも、この間まで販売していたが、まだ売っているだろうか。売ってなければ、無難にパスタかグラタンにしようかな。あぁそういえば、季節限定の味が出てるアイスも食べたいな。
そうこう考えてる内に、コンビニに着く。と、同時に逃げ出したくなった。
コンビニの前に、スマホをいじる律さんを発見したからだ。この偶然、久しぶりだな。しかし、今は顔を合わせたくない。というか、合わせる顔がないというか……。なぜって? それはそうだ。だって私は醜い顔をしている。観月さんは嫉妬は醜いだけじゃないと言っていたけど、私にはどうしても醜く感じてしまうのだ。
そろりと後ろを向いて、違うコンビニに行こうと踵を返す。しかし。
「なにしてるのかな?」
それは不可能だった。スマホから顔を逸らさず、こちらに話しかけてくる。ーー気付かれてしまった。
「り、律さん」
「久しぶり。桜の写真、ありがとね」
「い、いえ」
数歩、後ずさるが一歩近付かれる。
「それより、いきなり踵を返していたようだけど、なにかあった?」
「いいえ。なんでもありませんとも」
「そう? コンビニに用事があったんだよね」
「あぁ……はい。あの、夜ご飯を、ですね」
「夜ご飯?」
「食べていなくて……コンビニで済まそうかと」
そう言った途端、律さんが不思議そうにこちらに尋ねた。
「珍しいね。食欲旺盛な藤花ちゃんが食事まだなんて」
「失礼ですよ。家に帰って、疲れて寝てたんです」
「あぁ。通りで。電話繋がらないわけだ」
スマホをちらりと見れば、着信はないみたいだったが。電源ボタンを押せば、黒い画面でバッテリー切れの表示。なんと、まさかバッテリー切れとは思わなかった。
「律さん」
「なに?」
「山名さんには会えましたか?」
「……」
「律さん?」
私が尋ねた事がそんなに意外だったのだろうか。彼はなにも言わずに、ただ私を見返した。そして。
「会えたよ。足の怪我はそんなに重傷じゃなかった」
「良かったです」
「……」
「私じゃあまりお役には立てませんでしたし……律さんがいて良かっ」
「本当にそう思ってる?」
真剣な眼差しがこちらに向く。
「藤花はそれでいいの?」
「いい……?」
「こんな事でなにか間違いが起きたりはしないけど。けど、それを無関心でいられるのも、面白くないよね」
「……無関心?」
なにを言っているのだ。無関心? そんなわけないでしょうが。本当は行かせたくなかったし、彼女に関わるのだって嫌なのに。でもそんな事を言ったって、律さんを困らせるだけだから。
「俺の事、どうでもいい?」
「ーーん、なわけないでしょ!」
きっと。こんなに大きな声で律さんに訴えるのは初めてだ。ほら、だって。律さんだって、驚いた顔してる。
「嫌です、やですよ……! 山名さんと恋人だって聞いて、ホント、聞かなきゃ良かったって思いましたよっ」
「とう」
「律さんは私を好きって言ってくれるのに、全然安心出来なくて! だから、試すように律さんに電話なんかかけて」
「藤花ちゃん」
「行って欲しくなかったのに! り、りつ、さんっ……いっちゃうしぃ」
「藤花」
「もうやだ……! 帰る!」
散々言いがかりのような言葉を投げつけて、平静ではいられないと思って。走り出そうと、逃げ出そうと試みる。けれど、足は前に進まなくて、逃げ出せなくて。後ろから抱きしめられた体は身動きが取れなくて。外だから目立ってしまうのに、律さんはそんな事はお構いなしに私を抱きしめた。
「ゃ、やだ! 離して、帰る!」
「どこに?」
「どこって……自分の家です!」
「家に帰って、俺の電話出てくれる?」
「ーーっ」
「そうやって、溜め込んで、勝手に納得して、もう会わないなんて言われたらーー耐えらんないから」
今、全部思ってる事言って、と。律さんの優しい声が聞こえる。
「うぅ……ふ」
「思う存分泣いて」
「律さんのばかぁ……!」
「馬鹿で結構。藤花が満足するならね」
「うぅ……や、やまなさんの所、行かないで欲しかった」
「ん」
「でも、行かなかったらもっと、きらいに、なってた……!」
「本当に難しい子だね」
「律さんなら……っ、やま、やまなさんの事を! 助けに行くと思ったっ」
「仕事仲間だからね」
「ーーっ、すきっ?」
「……」
「山名さんの事、すき?」
律さんは私を向かい合わせにして、頰に流れる涙を拭ってくれた。後からどんどん流れる涙は止めようがない。
「好きだよ」
「……」
「藤花が一番好き」
満足? と言われて、私は首を振った。
「だって、律さん……それ、嘘っぽい」
「そう?」
「嘘だもの。だから、嬉しくない」
「そっか」
「私の質問に……答えてくれてない」
「山名の事?」
「うん」
私の熱を持った瞼にキスを落とし、額をこつりと付けてくる。それはどうしてだか、これから言う事は全て本音だと合図をしてくれているようだった。
「あいつはね。高校の時の友達で、昔の恋人で……今は大事な仕事仲間。俺はそれ以上でも、それ以下でも考えた事はない」
「……」
「山名の代理も代えもいないから。大事なのは、ずっと変わらない」
じわりと涙が滲む。分かってた事だ。そんなの、分かってた。観月さんだって言ってた。見えない絆、確かにそれがあるのだろう。
「それから、藤花」
「……?」
「危なっかしくて、放っておくと勝手に突っ走って」
「う」
「大人なのに、大人っぽくなくて。余裕あるフリして俺を翻弄して」
「そんな事は」
「してるから。そうやって、俺の手の中で大人しくしてくれない」
ぎゅうっと抱きしめられる。
「可愛い事ばかりして、どうしてくれんの」
「な、なにを恥ずかしい事を……」
「恥ずかしくても、伝える。それで藤花が離れないならなんだった言う」
律さんのお顔が間近に来て、目を閉じる。体温が、吐息が、私の全身で彼を感じる。
「言葉にすると、陳腐な気がするけど。これだけは覚えておいて」
そう言って、たった一つ。ありふれた、律さんの言葉を借りれば陳腐な言葉を口にした。
「藤花の事を愛してる」
けれど私にとっては一番欲しかった言葉なのである。




