SSー24.純白の墨入れを汚す女神よ
会場に戻ると、今日の主役は見当たらなかった。まぁ、こう人が多いとなかなか見つけられないものだ。落ち着いて、辺りを見回す。逢引に出かけていない限り、いるはずなのだが。
きょろきょろしてみると……いた。誰かの肩を叩いて、和気藹々と話をしている。随分と笑顔だ。そんなに気を許したような顔で、一体全体、誰とお話しているのか。ちろりと目をやれば、そこにはいつでも一番会いたい人がいた。
「変わってないなぁ……相変わらず、とっつきにくい」
「失礼だね。処世術だよ」
「しかしまぁ、元気そうでなによりだ。雪」
律さんが、主役と話していた。あの二人、知り合いだったのか。いや、仕事関係で知り合いなのかな? にしても、随分と親しげだ。前からの知り合いとか?
「なんだ、雪。彼女とは別れたのか」
なっ……んという、気になるフレーズ。彼女、というのはこの場合、きっと私の事ではないのだろう。昔の彼女かな。そうか……そうだよね。彼女くらいいたよね、昔、の恋人。
「あぁ。知ってるだろ?」
「人伝てに聞いただけだ。でも、今でも仲良いじゃないか」
「友達に戻っただけだ。俺達はそれが良い」
「友達ねぇ」
意味深に呟く主役。私……こんな話を盗み聞きして良いのだろうか。なんだか胸がざわざわとしているのを感じて、両手をぎゅっと握りしめていると。
「おや。君は確か」
咄嗟に目を逸らしたが、彼は私の存在を認知してしまったらしい。
四つの目がこちらを向く。ひぇ。見つかった。主役には見つかっても良かったけど、律さんには見つかりたくなかったのだが。
「また会ったね、お嬢さん」
主役が私にそう話しかけると、律さんは驚くほど普通に、知り合いか? と、主役に話しかけていた。
「あぁ。さっきも会ってね。可愛らしいお嬢さんだろう?」
「あぁ」
「でも恋人がいるみたいだから。ナンパはダメだからな」
「へぇ」
「ほら、お前のところの。なんて言ったかな……月みたいな」
「あぁ、観月?」
「それそれ。そいつの」
「それ嘘だから」
「は?」
律さんは私の隣に歩み寄ると、まるで見せつけるように私の肩を抱いた。そして、憮然と言い放つ。
「どういう経緯かは知らないけど。この子は俺の」
「俺のって……」
「そのままの意味ね。じゃ、婚約挨拶頑張って」
そのまま肩を抱かれて、早足で会場から連れ出される。律さんの歩くスピードが早くて、思わず足がもつれそうになるが、頑張ってそれについていく。メインホールを出て真っ直ぐ、左に曲がって突き当たりをまた右に曲がる。そうしてそこにある扉を開けて、部屋に押し込まれた。なんだなんだと、部屋の中に入れば控え室のような場所だった。
「りっ」
「藤花」
「はいっ」
「ここで、なにしてるのかな?」
距離を詰められて、目の前に律さんが立つ。目が座ってらっしゃいますよ。落ち着いて下さい。
「あの、ですね。少し事情が、ありまして」
「ふぅん。藤花はここにお呼ばれでもしてたわけ?」
「いえ、そうではなくて」
「で、観月が恋人なの?」
「律さん! 話が噛み合ってません!」
「いいよ、そんなの」
ぐいっ、と。腕を引かれて律さんの大きな腕に体を身を包まれる。
「藤花の恋人は俺でしょ。なんで、観月の名前が出てくるわけ?」
「それは、ですね。私が今日の主役に絡まれている所をですね」
「なに、今日の主役って。そんなふざけた奴どこにいるの」
さっき喋ってました! と言いたいのにその綺麗な顔が徐々に迫ってくる。あ、と思った瞬間には唇を塞がれていた。
優しいキスではない。奪われるような、こちらの動きを封じるような、少し強引なものだった。けれど、今の私はそれが嫌だと思えなくて。むしろ、もっと、と思ってしまって。律さんの首に腕を回した。
ぴくり、と。律さんの体が動く。離された唇。律さんの視線が徐々に指先に落ちていき、少し目が細まった。
「これは?」
「あ、それは」
「これも観月?」
「や、あ」
すっ、と。指輪を指から抜かれて近くの机に置かれる。そして、指輪のしていた手のひらにちゅっと口付けを落とされる。
「なんでこんなのしてる?」
「それは……んっ」
「こんなの、まるで藤花が観月の恋人って言ってるみたいだよね」
「そんな事……っ」
唇が、徐々に指先に移動する。指の一本一本に口付けが落とされた。そして、なにを思ったのか突然抱き上げられて近くの机に座らせられる。自然と私と同じか、少し低いくらいに律さんのお顔があって、いつもと違う目線にどきどきする。
「観月の恋人じゃない」
律さんの両手は机についており、私の動きは封じられている。
「俺の、だろ」
手首の内側を強く吸われて、そこに鬱血痕が残されたのだと気付いたら、頰に熱が集まった。前にも律さんにコレをつけられた時も、確か観月さんが関わっていたな。律さんは、ヤキモチ、妬いてくれているのだろうか。人並みに、妬んだりすると言っていた。もし、律さんが今も嫉妬していてくれているなら嬉しい。どきどきする。
「律さん」
「本当に、藤花ちゃんは目が離せないね」
「う……」
「こんな指輪、付けたらダメだからね」
「は、はい!」
「……藤花」
首筋にすりっと寄ってきて、まるで吐息交じりに言葉を紡ぐ。恥ずかしいのか、それともなんなのか。近寄ってきた律さんはとても熱っぽい。
「なんでしょうか?」
「……好き」
「あ、え、は!」
「指輪は俺から返しておく。だから、藤花ちゃんは気にしないで良いからね」
「え、あ」
「返事」
「はいっ」
「それから、その服」
目線が上から下まで動いていて、服を眺められているなと思った。思わず感想を聞きたくなって、スカートの端を掴み律さんに尋ねた。
「これ。どうです? ちょっとパーティーっぽいです?」
「……」
「律さん?」
「あぁ。すごく可愛い」
あれ、聞き間違いかな。なんか、律さんらしからぬ言葉が……? いつもなら、似合ってるよ、とか、可愛い可愛い、とか。ちょっと嘘っぽく言ってくると思ったのだけど。
「その姿をもうちょっと見てたいけど」
「え!」
「なに?」
「いえいえ!」
「仕事、戻らなきゃ。藤花ちゃんまだ時間ある?」
「はい。今日は一日お休みですから」
「俺も会場内いるし、参加してるなら食事でも食べてゆっくりしててよ。ブュッフェスタイルだから。ローストビーフもあるよ」
「わ、食べたいです」
「それで、帰りは一緒に帰ろうか」
「はい」
「何かあれば声かけてね」
最後に唇にキスをされて、律さんと会場に戻った。ちらりと手首に残された痕を見て、頰が熱くなるのを感じながら私はローストビーフの元へと急いだ。




