SSー23.水辺に佇む仙人様、その装いはどちらで
ターゲットはあのグレーのスーツを着た男。随分と優しげな見た目だが、本当に婚約者を差し置いて逢引なんぞしようとしているのか。世の中はわからない。
それにして、凄い人、人、人。会場は主催者の所有地らしく、随分と広い会場であった。お屋敷と駐車場、そして別館がある。なんだか別世界に来たみたいだなと思った。
私に頼み事をしてきた女性ーー名は、山名 伊織さん。律さんの同僚だと、言っていた。思い返せば、数奇な偶然だ。一度目は、クリスマスの時。二度目は温泉旅行の時に会っている。そう、あのフルーツ牛乳を飲んでいた人だ。どうして早く気付かなかったのか。
兎にも角にも、婚約の挨拶が始まるまで私はその男を見張っていれば、あとは好きにして良いと言われた。お料理食べても良いし、彼女に声をかけて帰っても良いと。そしてーー律さんはこの会場のどこかにいるから、会いに行っても良いと。
でもさすがに仕事の邪魔はしたくなかったので見つけても遠くから眺めるだけにしようと思った。一体なんの仕事をしてるのか。そしてどこにいるのやら。会場できょろきょろしていると、肩をぽんっと叩かれた。
「誰か探しているの?」
振り向けば、そこには今日の主役がいた。何故。ひぇ。
「あ、いや。いえ。人が多いなーって、思っていただけで……」
「婚約の挨拶があるからね。それより、君は? どちらのご令嬢だい?」
どこのご令嬢でもありません。とは言えず、うーんと悩んでいるとぐっと、距離を縮められた。
「可愛らしいね。そのドレスもとても似合っている」
「は、はぁ」
「良かったら……」
「あいにく」
すっ、と。目の前に大きな背中が見えた。
「こちらのご令嬢は、俺のですので」
失礼、と。そのまま肩を抱かれて会場ホールから立ち去り、人気のない廊下に連れて行かれる。っていうか、待って。履き慣れてない靴だから!
「待っ」
「……」
「靴、痛……っ、み、観月さん!」
くるりと振り向かれる。
「なにしてるわけ? そんな格好で。お呼ばれでもした?」
「違いますが……」
「だろうね。ご令嬢って感じしないし」
「失礼!」
「本当だろ? それより、なにしてるわけ?」
二度聞かれた。私はそんなに不審者に見えるだろうか。なんと言ったら良いかわからなくて、もじもじとしてしまう。
「なに? トイレ?」
「違いますよ! デリカシーないです!」
「生理現象でしょ。それより、こんな所でなにしてるわけ?」
三度目の正直。私は深く呼吸をして、彼を見上げた。
「実は」
私が今、山名さんに頼まれている事を簡単に話すとふーん、と。興味なさそうに、話を流された。
「山名さんも何考えてるか、わからないけど。律さんこの事知らないんでしょ?」
「はい。山名さんが話してない限りは」
「それ、大丈夫?」
「はい?」
「君、どうせ律さんの……というか、俺達の事を何も知らないんだろうけど。こんな勝手して、怒られないの?」
「それは」
「山名さんの事も平気で口にしてるし、あんまり自覚もないみたいだし」
「なに……? なんの話を」
「それより、この前の答えを聞かせてよ。君の答えを」
「なんの話です?」
「律さんが、君を好きかどうかって話」
それは随分と前のように感じる。そう言えばそんな話もしていたなぁ。
「好きですよ。好きって言ってもらいました」
「へぇ。驚いた」
「驚き……?」
「あの人、そんな事言いそうにないなって。だったらさ」
ぐっ、と。今度は観月さんに距離を詰められる。
「君に何かあれば、律さんきっと怒るよね」
その筋張った手に、手を取られる。右手の中指に指輪、おそらく男性物だろうか。シルバーでシンプルな指輪を嵌められた。ちょっと緩い。
「それ、貸してあげる。服にも合ってるんじゃない?」
「え? いらな」
「勘違いしないでくれる? また変な奴に声かけられて、助けるの面倒だからしといて」
「でも……」
「どうせ、律さんから貰ってないんでしょ。指輪。これが終わったらソレ、返してもらうから」
それは観月さんの優しさだったのだろうか。それとも、律さんへの気遣いだったのだろうか。いまいち分からない表現方法に、私は付けられた指輪を眺める。
「中指で効果ありますかね?」
「だからと言って、薬指につけたりするなよ」
「それは、もちろん」
「……なに?」
「えへへ。ありがとうございます、観月さん」
虚をつかれたような顔をして、観月さんはふんっと鼻を鳴らした。




