SSー14.紅き竜の姫は、その身に眠る毒を吐き出す
良い匂いがする。ジューって、音ともにコポコポって。なんだろう。お腹空いたな。
目を開けるといつもと違う風景だった。大きなベッドに、爽やかなブルーのカーテン。サイドテーブルにはペットボトルとお皿にタオルが乗っていた。
キィっと扉が開くとジーンズにシャツ姿の律さんがそこにいた。
「起きたね。おはよ」
「お、おはようございます」
「どれどれ」
ふわっと大きな手がおデコに触れる。するとはい、と体温計を渡された。
「熱なさそうだけど、測っておく事。起き上がれそうならリビングで朝食か……こっちに運んできた方が良いかな?」
「や、大丈夫です。起き上がれますっ」
「そ? じゃあ待ってる」
扉の向こうに消えた。そうだ、思い出した。
なんて、事を、しでかしたんだ。
リビングへ続く扉からそろりと顔を出すと、サーバーを傾けながらカップにコーヒーを注いでいる所だった。良き匂い。律さんがこちらに気付いて、席の方に誘導してくれる。座ると目の前に朝食が置かれた。
「コーヒーは?」
「牛乳が入ってれば飲めます」
「了解。座ってて」
トーストにオムレツにウインナー。簡単そうに見えるが、立派な朝食だった。律さんは朝は洋食派なのだろう。一口オムレツを食べる。うん、美味しい。
「はい、どうぞ。カフェオレ。熱は?」
「ありがとうございます。36.6度で平熱くらいです」
「そう。良かった。下がったばかりだから、無理はしないように」
「はい」
優雅にコーヒーを飲みながら、トースト齧っている。何もつけてないけど、そのまま食べる派なのだろうか。
「あの、それで、律さん。つかぬ事お聞きしますが」
「どうしたの?」
「昨日……私、なんだかとんでもない事言ったようなー……あははー、気のせいですかね?」
「あぁ。抱けって言って迫ってきたこと?」
夢じゃなかった! とんでもない現実だった!
「や、ちがっ。違くないけど! ちょっと語弊があるというかですね!?」
「あぁ、そうだね……熱もあったし、正気ではないかなと思っていたけど。随分、積極的とは思ったかな」
「や……その」
「ん。そんな顔しないの。恥ずかしい自覚があるなら、無闇やたらと言わない事ね」
「ーー」
無闇、やたら、ではないのですが。たしかに熱はあったし、いつも以上に本音をぶちまけた自覚はあるけれど。でも、それは本音だったのだ。
どうやったら伝わるのだろう。いや、私はなにを伝えたいのだろう。
「藤花ちゃん?」
「……いえ。なんでもないです」
まとまらない考えを口にする事は出来なかった。朝食を食しながら、そういえばと思い出す。あとで、観月さんから預かったハンカチ、渡さなきゃ。あ、でも洗濯もしていないのに返すのはちょっと良くないか。うーん。だったら、お伝えだけしておこうか。
「律さん。そういえば、ハンカチをお返ししたいのですが」
「ハンカチ? 貸していたっけ?」
「はい、あの。観月さん経由で私が持っているのですが」
「ーー観月?」
不機嫌そうな声が、聞こえた。見れば眉間に皺が寄ってしまっていて、とてつもなく迫力のあるお顔である。ひぇ、と思って近くにあった鞄を漁った。あった。ドット柄の青いハンカチ。
「これです。律さんのですよね?」
「あぁ。そうだよ。それより、観月に会ったの?」
「あ、会いましたよ。それでこれを……」
「いつ?」
「昨日ですが……」
「何か」
律さんの顔はそのまま強張っていた。
「何か言ってたか?」
「なにか……いえ、特には」
言ってなかったように思う。そう言うと律さんは少しだけ表情が緩んだ。観月さんに会う事は、律さんにとってタブーなのかな。会いたくて会っているわけではないけれど。律さんにとって、観月さんとはなんなのだろう。
「観月さんは、律さんの後輩なんですよね?」
「そうだけど」
「親しいんですか?」
「親しい? まぁ、ごく一般的な上司と部下だと思っているが」
「その、観月さんは」
「藤花」
かたん、と。律さんが立ち上がる。律さんがすぐ傍に来る。目の前に立つ。私もつられて立ってしまう。名前を、再び呼ばれた。
「それは、わざと?」
「わざと……? なにがでしょうか?」
「俺はね。元々、何を考えてるか分からないって言われる事が多いけど何も考えてないわけじゃない」
「え、あ、そうですよね」
「うん。だから、感情もちゃんとあるわけ。だから」
くいっと頰に手を当てられて、上を向かされた。
「人並みに人を妬んだり、嫉んだりするわけ」
「ねたんだり、そねんだり」
その意味を悟った途端に、自分の顔が爆発したかと思った。それは、つまり律さんが観月さんに対し、嫉妬している事になってしまう。
「そ。分かる? 観月の名前を呼ぶたびに……俺がどんな風に思っているか」
綺麗な顔が近付く。私も目を閉じる。しかし、期待していた場所に唇は落ちなく、予想外の場所にその柔らかな感触がした。
首筋に、熱く少し鋭い痛みを感じて。その後すぐに湿った感触がした。
「ひぅ」
「これは、その証拠ね。沢山はつけなかったから。それと」
しゃらんと、音でもしそうだと思った。喉元に、雫の形をしたチャームがぶら下がっている。
「これは、クリスマスに渡せなかった分。遅くなってごめん」
雫の一部分には水色の石が装飾されていた。美しい雫。それはなんだか冬を連想させるものだった。
「なんだかんだ迷っていたら渡せなくてね。でも、うん。よく似合ってる。やっぱホワイトゴールドにして正解だったかな」
「り、律さんが選んでくれたんですか?」
「俺以外選ぶ人いないでしょ。……ん、良い感じ」
「あの。私も、これ」
再び鞄を漁って出てくるあの箱。渡せなかったネクタイピン。律さんが目を少し大きくして、それを受け取った。開けていい? と問われて私は頷く。あぁ、ついに渡す事が出来た。ようやく律さんの手に渡ったのだ。
「ーーそうか」
「律さん?」
「いや。うん。納得、した。すごい良いねこれ。ネクタイに合いそう」
「そうですか……? 喜んでもらえて嬉しいです」
「ん。ありがとう」
その時の律さんの笑った顔は、私が今まで見た中で一番自然な笑顔だった気がした。笑顔、だったのだ。誤魔化しなどではなく、紛れもなく心からの。この笑顔を私はこれから何回引き出す事が出来るのか、それは神のみぞ知るというやつなのである。




