SS-13.燃えた百の果実を食べた?
会おうと思った。律さんに会いたくて、自ら電話をかける。何コールかして、律さんが電話に出た。会いたいと強く思っているせいか、声を聞けただけで苦しいくらいに、胸が締め付けられた。
「会いたいです」
第一声がそれだったせいか、律さんが電話の向こう側で息を呑む音が聞こえた。今どこ、と聞かれてもうすぐ自宅の最寄り駅の一つ手前の駅ですと伝える。すると、そこで降りてと言われ首を傾げつつも、そこで降りる。今から俺が言った通りに進んで、と。駅を出て電話越しに言われた通りに歩みを進めた。徒歩にして五分ほど。わりと大きめなマンションが見えてきた。
「なんだか大きなマンションに着きました」
「中入って待ってて。オートロックだから、その手前で」
すぐ行く、と言われて待つ事十分。自動ドアの開く音と共に現れたのは、少し着崩れた律さんだった。
「りっ」
「来て」
「は」
そのまま解錠されて、エレベーターに乗り込み九階へ。その中の一室の鍵を開けると、私を中に通した。そして。
「どうしたの」
と聞かれながら、力一杯抱きしめられる。
「りつさ」
「ちょっと黙って」
そちらから聞いてきたのに! 理不尽な切り返しに反論を試みるがそれは無駄に終わる。その柔らかで強引な口付けで黙らせられる。ふわふわ暖かくて、苦しい。幸せなのに、苦しいだなんて変わってる。おかしい。
「りっ、さ」
「はっ」
「んぅ……!」
お互いに、会えなかった時間を埋めるように重ね合った。もし、律さんも会えない分寂しいと感じていてくれたなら嬉しい。存分にお互いを確かめ合ってから、唇を離す。そして律さんに手を引かれて中へと入った。
「はぁ……」
ため息をつかれて、びくりと肩が上がる。すると、お茶淹れるから座ってと。ソファ席に誘導された。
「ええと」
「あぁ。手洗いうがい? 洗面所はそこ出て左ね」
「あ、はい」
そうではないのだが。
とりあえず手洗いうがいを済ませて、再びリビングに戻ってくると、すでに温かな紅茶を淹れてくれていた。ミルクや砂糖は? と聞かれたのでストレートでと答える。
「ずっと会えなくて悪かったね。大丈夫だった?」
「? ……はい」
「何か変わった事でもあった?」
優しい声で問われる。あぁ、どうしたら良いんだろう。まず、何から言えば良いんだろう。会えたら言いたい事、聞きたい事、沢山あるのに。
「律さんの、お家。初めて来ました」
「そうだね。あまり片付いてないけど」
「会いたいって電話に応えてくれて嬉しかったです」
「……当然でしょ」
「律さん」
名前を呼ぶだけで、苦しい思いがこみ上げる。どうしてこんなにも、胸が締め付けられるのだろう。渇きは、どうしたら満たされるのだろう。
「藤花ちゃん。ちょっとオデコ……」
「やっ」
「やっ、て……」
目の前がゆらゆら歪む。あれ、なんだろうこれ。頰に何かが流れてゆくのを感じる。それがなんなのか、いまいち分からないまま、私は思った事をそのまま口走っていた。
「律さんは、どうしてキスばっかりするんですか!」
「は……」
我ながら、ストレート過ぎただろうか。でもしょうがない。ずっと気になっていたんだもの。
「キスは、暖かくて、気持ち良いから良いですが……それだけで、なんで、いつも、やめちゃうんですか!」
「藤花ちゃん? ちょっと落ち着きなさい。ほら紅茶飲んで」
「逸らさないで下さい!」
律さんの頰を手で挟んで、その瞳を見つめる。綺麗で、優しくて、ずっと見ていたいその瞳。
「この前だって、会いたい話になったら、逸らすし!」
「とう」
「キスしかしないし!」
「あのね」
「私はそんなに! 律さんにとって、魅力、ないですか……」
「ーー」
言いたい事を言って俯くと、頭上からため息が聞こえた。やってしまった。こんな面倒な事を言って、律さんを困らせたくないのに。でも、言わずにいられなくて。やっぱりどうしても、この人の心を知りたくて。
「藤花」
名前を呼ばれただけで、舞い上がってしまう。
「えーーん!」
「そうやって、男を籠絡するなって言ったでしょ。忘れた?」
今度は律さんの両手が私の頰を挟んで、奪うように口付けが降ってくる。触れては僅かに離れ、再び深く重なる。その熱に律さんの腕を反射的にぎゅっと握れば、それが合図かのように僅かな隙間から舌が絡んでくる。熱くて、柔らかくて、気が遠くなりそうだ。
「はっ、」
「藤花が言ってるのは」
とさっ、と。ソファに倒される。律さんが上で、私が下になっている。
「ここから先もして欲しいって事?」
どろりと内側から何かが溢れた気がした。その感情を、気持ちを、人は何て呼ぶのだろう。
「は、い」
「良いよ。してあげる。でも」
律さんの顔が近付いてきて。その吐息が首筋にかかる。そして、その低くて色のある声音で囁かれた。
「正気の時にね」
「正気……?」
「風邪かな? 熱あるでしょ?」
「熱……? ないですよ」
「気付いてないの? 舌、すっごく熱い」
ひぇ。何言い出すんだこの人。
「だから、風邪が治ったらね。俺も万全じゃないし」
「万全じゃない?」
「ほら」
律さんが右手を挙げて、それを見せる。包帯巻いてる。
「それ、どうして」
「ちょっと仕事でミス。だから、最近はずっとデスクワークでね。藤花ちゃんに心配かけたくなかったから、会わないようにしてたけど逆効果だったね」
その言葉を聞いて、膨らんでいた気持ちがいきなりシューっと萎んだような気がした。律さんの手、包帯ぐるぐる、いたいのかな。
「いたい、ですか?」
「いや。もうそろそろ完治するところ。大丈夫……だから、そんな顔しないの」
私はどんな顔をしていたのだろう。律さんが、ちょっと困った顔をして私の頭をぽんぽんと叩いた。私の風邪なんて、熱なんて、大した事ないけど。律さんのソレはきっと大怪我で、自分がいかに勝手な事を言っていたのか反省した。
「ベッド、連れて行くからね。今日はゆっくりお休み。明日また話そう」
ふわりと浮上した感覚に、体を委ねながら律さんの匂いに包まれて安心して目を閉じた。




