ここから―――(1)
俺が何かしたか神様―――――
見たことのない景色を目の前に、少年は直立不動でただ空を見上げていた。
でも、彼は一人寂しくそこに立っているわけではなかった。そう、彼の隣には、彼と同じくらいの背の少女が同じように立ち尽くしていたのだ。
二人が立ち尽くしている理由である目の前の景色とは―――――いわゆる「異世界」というものだった。
どこを見ても、今まで見たことのない姿をした人間や、動物ばかりだし、言ったことも聞いたこともない言語を話している。
そんなのを突然目にしたら誰だってそうなるだろう。
だから、彼女はごく自然の人間の反応をした――――
だから、彼はごく自然な彼女の姿を真似した――――
異世界へ召喚される三時間前・・・
とある高校で昼休憩をとっていた喜酒春樹は昼飯を食べ終わったあとの残りの時間を自分のクラスの、日当たりの良い人の机を勝手に独占してぬくぬくしながら嬉しそうに眠りに就くことに費やしていた。
すると、そこに同じクラスの幼馴染である持田麻美が元気よく話しかける。
「いよっす!眠気覚ましにマミちゃんがおしゃべりに来たよ~!」
昼飯を食べ終えて眠りに就いたばかりのタイミングだったためか、春樹は少しイラつきながらも、ゆっくりと伏せていた顔を上げると、麻美をギラリともニヤリとも眺めることが出来ず、ただただ眠そうな細目で眺めた。
「んだよ~、人がせっかく気持ち良く罪悪感と満腹感の交わった絶妙な感情を味わいながらまったりお昼休みをしていたのに。つか、お前読み方変えるなよ。」
「私はこっちの名前の方が良いの。こっちの方が可愛いし、呼びやすいし、おまけに覚えやすいでしょ?そんなことよりも、昼寝に罪悪感は絶対に要らないと思うんだけど?」
「この世に絶対というものは無いんだよ!―――多分。」
地味に胸を張る春樹には何故か妙な説得力があった。
でも多分って…
麻美はジメ~っとした目で春樹を見つめると、「ハァ~」と深くため息をつき、両手を腰に当ててどっしりと構えて言った。
「あんたさぁ、いちいち自信なさげに言わないでよ~。せっかくいい感じのこと言ってるんだから、それをわざわざ落とすようなことして、親に直されなかったの?そのままだと周りからの信頼を失うかもしれないのよ?」
「うるさいなぁ。君は俺の親か?」
春樹は若干、迷惑そうな面持ちと少し強張った声で、麻美と距離を取るかの様に声を張った。
すると麻美はポカンと口を開け、「え、何言ってんのこいつキモいんだけど。」とでも言いたげな目で同じくジメ~っと春樹を見つめた。
次の瞬間、二人は色々なモノを盛大に吹き出しながら笑った――――
すると周囲にいた昼食を食べていた最中のクラスメイトたちの無感情な視線が二人に集まり、二人は一瞬クラスの注目の的となった。
二人は瞬間的に席を立って周りにペコペコと頭を下げて謝った。その時の二人の表情はまさに「恥」そのもので、何度も謝る姿を見ているとなんだか、アルバイトが社長にミスを犯したことを平謝りしている光景が浮かんでくる。
ともかく、二人の反応を見たクラスメイトたちは何も起こっていないことにつまらないと言いたげな顔で元の方向に身体を戻した。すると、先程と同じゆったりとした昼間の空気が流れ始めた。
恥をかいた二人は数秒間そっぽを見ながら耳を赤くしていた。それと共に、途切れてしまった言葉の続きを、続け方を探していた。そしてさらに数十秒という時が過ぎたとき、突然、閉まっていたはずの二人の隣にあった窓の隙間から生ぬるい風が勢いよく吹き込んできた。
その風は、二人の頬を優しく撫でながら間を通り抜け、机に置いてあった数枚のプリントをパラパラと教室に美しく舞わせた。
二人の頭の中は一瞬で真っ白になり、自然と舞っているプリントに目が行ってしまっている。周りにいるクラスメイトたちも同じくプリントへ注目しているが、ただ一人、そのプリントが舞うのをビクビクしながら見ている人物がいた。それは春樹が勝手に占領した机の持ち主である、猪出弘毅だった。
彼はクラスの中でウザくも地味でもない、ごく普通なちょっと優しすぎる人なのだが、ただ一つ、勉強が全然できないという弱点があり、今日がなんと運悪く中間テストの結果が返却される日だったのだ。そして見事に目が飛び出るほどのヤヴァーイ点数を取り、もう恥ずかしすぎてプリントをそのまま、ダッシュでトイレに駆け込もうとしたが、先生に説得され、なんとかお空に旅立つのをとどまって、死んでしまったかのようにゲッソリした状態で教室に戻り、親友たちに慰めてもらっていたのだ。
なのに、窓の隙間から流れてきた突風によって無情にもそのテストがクラス中の目に入ることになってしまったので、せっかく戻った顔色がまたもや魂が抜けたかのようにゲッソリした顔で額に大量の脂汗が滲み出てしまっているのだ。
と、そんなことを考えていたら、一瞬の風が止み、彼のチラチラ見えるヤヴァーイテストの全貌が、地面に落ちたことにより、クラスメイト全員にさらされてしまったのだ。
弘毅は、ヒラヒラと舞いながら落ちるプリントを地面に落とすまいとプリントを死ぬ気で追いかけるが、紙は不規則に落ちるため、追いかける弘毅もあっちに行ったりこっちに行ったりとまるで、初心者が変なテンポでフラダンスを踊ってるかの様で、周りの人たちからすればそっちの方がテストの点数なんかよりよっぽど笑えて来るようで、弘毅が冷や汗掻いて必死に追いかける姿を見てクスクス笑っている人たちが見えるだけでもクラスの三分の一はいることが分かる。
「はぁ~、くだらない。何がそんなに面白いのか。」
思わず、春樹は吐き捨てた。小声で。するとその弱々しい言葉に誰かが反応して、笑いの中で大きめの舌打ちをした。次の瞬間、少し盛り上がりかけた笑いがピタッと止まって舌打ちをした人物の方を向いた。プリントを何とか拾い上げた青白い顔の弘毅も、春樹の方を見て動きを止めた。
そして言葉には出さずとも、「なにしてんだよ。」と言いたげな感じに、眉をひそめて軽くため息をついた。
その反応を見て春樹は瞬間的に周りをキョロキョロと見まわして心の中で大声で叫んだ。
やっちまった~~~~!?
すると、そんな後悔でいっぱいの春樹の隣へと人影が近づく。
近づいてくる人の気配に気付いた春樹はフッと顔を上げて振り返る。振り返った先には、いつもクラスを支配し、操っている小堂将来がいて、機嫌悪そうに春樹を睨みつけいて、胸の前で指をポキポキと鳴らしていた。
あ~っとこれは、マズイやつ、では!? 下手したら半殺し、的な……?
春樹は苦笑いしながら上目遣いで将来を見上げる。そのぎこちない笑顔を見た将来は、さらに凄い眼力で春樹を睨み、机を勢いよく叩いた。
瞬間、机からあり得ない、音が響く。
―――ボキィィ!
春樹は目を見開いて思わず席を立ちながら後ずさるが、うまく足が動かず、椅子に引っかかって地面に座り込む。
それもそのはず、なにせ将来が叩いた机が、真っ二つとはいかなかったものの、叩いた所から全体的に大きな亀裂が走り、あと少し小突くだけで壊れてしまいそうな状態になったからだ。それも、一発で。
周りの人たちはその一瞬の出来事を理解できずにただただ瞬きを繰り返す。
将来はというと、一切表情を変えないまま叩きつけた右手をそのまま春樹の目の前に突き出して、親指をクイッと廊下の方に向けた。
ちょっと廊下出ろ―――――
ということだろう。
春樹は冷静さを失った心臓をそのままに、ゆっくりと立ち上がり、そして大きく右足を踏み込んで、勢いよく左拳を将来の頬にぶち込んだ。
「邪魔だ」
瞬間、春樹は自分でも何でこんなことをしてしまったのか、分からなくなった。