ヤポニアの魔女(4)
訓練区画『イェソド』は、広い空間を存分に使った戦略を使用できる場所だ。障害物となる岩塊はほとんどなく、視界を遮るものはない。母星の輪の中に、人工重力衛星を使ってぽっかりと空けられた訓練区画となっている。
「今回の訓練は三体一のハンディキャップ戦だ。ゲイボルグ二番機、ゲイボルグ三番機、ゲイボルグ四番機、戦闘準備」
ルシエンヌの声を受けて、三人の魔女が前に出た。ホウキに跨った、防護服姿だ。鈍い銀色のホウキは、ワルプルギスの市街でよく見かけるものとは微妙に異なっていた。星を追う者のみが用いる、カスタマイズモデルだ。『飛ぶ』ことに特化した、そろそろホウキであることの自己同一性を失う一歩手前の魔術用具だった。
「訓練の安全性を保つために防護服の着用を命じているが、区画内には母星と同じ気圧、同じ成分の大気で満たされている。空気の摩擦を考慮して行動するように」
無重力だが、真空ではない。訓練環境には、様々な変数が与えられている。星を追う者はその時々の条件に応じて、臨機応変に対処しなければならない。訓練に参加する三人には、今この場で初めてその情報を開示した。相手の方も同じだ。それを受けて、どのような戦略を取るのかを考える必要がある。
「攻撃は双方、電衝撃のみを使用すること。一定のダメージを受けると保護泡が展開する。それをもって、本訓練では撃墜と見なす」
保護泡は星を追う者や宇宙で作業する魔女たちを守る、救助装置だ。装着者が危険な状態に陥ると発動して、半透明の保護膜で全身を覆い尽くす。熱や冷気、衝撃から装着者を守り、一日程度の空気も提供してくれる。その間装着者は宇宙空間を漂いながら、じっと他の魔女が助けに来るのを待つことになる。
今回の訓練では、ちょっとした衝撃を受けただけでこの保護泡が発動するように調整されていた。一撃必殺の挌闘戦、といったところだ。
「では、訓練開始!」
ゲイボルグ隊の動きは素早かった。開始と同時に三人は綺麗に散開し、区画内にいる敵の姿を探し始めた。
「こちらゲイボルグ二番機、敵影なし」
「ゲイボルグ三番機、敵影なし」
「ゲイボルグ四番機、目標視認。中央やや下より。包囲して攻撃開始」
「了解」
身を隠すものがないのだから、眼が三対もあれば発見は容易だ。ゲイボルグ隊はまるで互いの位置を正確に把握しているみたいに、目標を中心とした立体的な螺旋を描き始めた。魔女たちは念話を用いて、各々の思考をリンクさせている。訓練を重ねた星を追う者の精鋭ゲイボルグ隊は、美しく統率された一糸乱れぬコンビネーションを見せていた。
訓練区画のど真ん中を飛行する目標は、格好の的だった。油断は大敵だが、警戒しすぎて好機を失うのもまた愚策だ。ここはセオリー通りに、三方向からの包囲攻撃を敢行するのが正解だった。
魔女の魔力の強さは、主に二つの尺度から測定される。一つは、マナからどれだけの力を一度に引き出せるのか、だ。
これが大きければ大きいほど、強大な力を扱うことが出来る。単純に『魔力』という言葉を用いる場合は、こちらの尺度を指していることが多かった。特に隕石破砕のような強大な魔術を発動させるには、これに秀でている必要があった。
もう一つは、マナから力を引き出す量をどれだけ細かく調整出来るのか、だった。
どんなに瞬間火力が高くても、元栓が常に全開状態ではすぐにマナが枯渇してしまう。魔女が自分の体内に蓄積しておけるマナの総量など、たかが知れていた。必要な時に、必要なだけのマナを消費して力を用いる。ゼロから全開までの制御を素早く正確におこなえるのであれば、それだけマナを効率的に扱うことが可能だった。
「目標、消滅!」
消えたのではない。凄まじい速度で加速したのだ。ゲイボルグ隊が包囲してくることを見越して、目標はわざと巡航速度で飛行していた。そして攻撃が放たれる直前に、瞬間的に力を増大させて高速移動をおこなった。その証拠に、訓練区画全体が鳴動している。音速の壁を越えたのだ。摩擦熱で自滅していなければいいが。
「バランスが、うわぁ!?」
「ゲイボルグ四番機、被弾。戦闘不能」
「ちょっと、どうなってるの?」
どうやらそれは杞憂だった。何らかの対策は既に講じられていた様子だ。ゲイボルグ四番機の主観記録には、目標の姿は映っていなかった。恐らくはあっという間に背後を取って、近距離から電衝撃を当てていた。
問題はその後だった。ルシエンヌは肩を落とした。想定外の事態が起きたとして、その事後対策が結果を左右する。ゲイボルグ二番機とゲイボルグ三番機は、すぐに二機編成のフォーメーションを組むべきだった。
「ゲイボルグ四番機、何があったの!」
「被撃墜機との交信は不許可」
「後ろだ、こっちにいる!」
目標はゲイボルグ二番機の後方を、ゆっくりと旋回してみせていた。あれだけの速度、空気中で細かく制動できるとは思えない。目標は一直線に、恐らくはゲイボルグ四番機を掠めて飛んだのだ。その勢いで生じた突風で体勢を崩したゲイボルグ四番機は、急停止した目標に背後からの一撃で仕留められた。自身への慣性による加重は、全て重力制御で相殺したのか。実に鮮やかな魔力の取り扱いだった。
「くっそ!」
まだ距離がある段階で、ゲイボルグ二番機は電衝撃を乱射した。そう簡単に当たりはしないだろうに。冷静さを欠いているから、致命的な見落としをする。目標の周りでは、微妙に空間が歪んで見えていた。
マナ消費量も抑えたいだろうし、大方空気圧を使った壁辺りか。わざわざ空気があると言っているのだから、それを有効活用するのは当たり前のことだった。
攻撃に対する制限は通達したが、それ以外に条件は何も設定されていなかった。防御の手段は自由だ。それを忘れて、なまじ相手の姿が見えているからと、そこに向かって考えなしに撃ち込んでしまうとは。数的有利にあるうちに、もう一度包囲を試みれば良いのに。
「なっ!」
「ゲイボルグ二番機、被弾。戦闘不能」
言わんこっちゃなかった。また瞬間移動のような超高速機動で、目標は今度はすれ違い様に電衝撃を脇腹に当ててきた。これで数的には互角。マナの残量の観点からすれば、ゲイボルグ隊には依然として勝ち目が十分にあった。
残ったゲイボルグ三番機は、他の二人よりは幾分かはマシだった。目標のマナ消費量は相当に大きいはずだ。それを見越して、消耗戦に持ち込もうとしていた。訓練区画いっぱいに動いてわざと高速移動を誘い、発生した空気の対流を利用して最小限のマナ消費で回避する。それはそれで見事だが、いつまでもそうしている訳にはいかないだろう。
前方から迫ってくる飛来物を、ゲイボルグ三番機はまた躱した。目標の狙いが不正確で、旋回もしない。そろそろマナ切れかと振り返ると――
「え? なんで……」
保護泡に包まれたゲイボルグ四番機の情けない顔を認めた時には、もう手遅れだった。
撃墜後に残されていたゲイボルグ四番機を、目標は自身の代わりにぶん投げたのだ。直接ぶつけにいった訳ではないので、これの判定はぎりぎりセーフだ。ゲイボルグ隊の全滅を確信して、ルシエンヌは眼を閉じた。
とんとん、とゲイボルグ三番機の肩を誰かが叩いた。前に向き直ると、丸いヘルメットがすぐそこにあった。分厚い強化硝子を挟んで、真紅の瞳が見つめてきている。目標の魔力は、実際にマナ切れ直前だった。それ程とんでもない変態機動だったのだ。ゲイボルグ隊三機との戦いは、簡単なものではなかった。
だから――この零距離での電衝撃が、本当に最後の一撃だった。
「ゲイボルグ三番機、被弾。戦闘不能。状況終了」
この訓練区画に空気があって良かった。すぐにヘルメットを外して、深呼吸することが出来るのだから。まとめてあった黒髪が、ふわり、と広がった。汗の球が浮く。完全に魔力を使い果たしたので、この後はニニィに回収してもらわないといけない。褒めてもらう前に、きっといっぱい文句を言われるだろう。
「勝者、フラガラハ隊、サトミ・フジサキ候補生!」
審判を務めるニニィの高らかな宣言が、サトミにはとても誇らしかった。
『記録再現室』の設備は実に素晴らしかった。星を追う者のホウキに仕込まれた記録装置によって、訓練の状況が克明に残されている。ゲイボルグ隊の三機に加えて、サトミの側からもその時がどういう状況であったのかが判る。まるで自分自身が、その場にいる星を追う者のホウキに同乗しているみたいだった。
ルシエンヌは各人の映像を適時切り替え、一時停止したり巻き戻したりして解説をおこなってくれた。ゲイボルグ隊にとっては、屈辱の記録だ。隊員たちは憮然として、一言も口を開かなかった。ルシエンヌはしれっとした顔で、「良い反省材料だ」と言ってのけた。なかなかの鬼隊長ぶりだ。
一通り記録を見終わって。フミオの心に一番残ったのは、最後にサトミがヘルメットを脱ぐ場面だった。無重力の中に浮かぶ、ヤポニアの魔女。やはり、サトミは美しい。そんな感想しか出てこないのは、新聞記者としてはだいぶまずい気もする。しかし実際にそう感じたのだから仕方がない。ゲイボルグ隊の面々も美人揃いではあったが、サトミの持つ雰囲気とはどこかが違っていた。
「――以上だが、何か質問はあるかね?」
フミオがサトミのことを取材にきていると知って、わざわざこの記録を資料として見せてくれたのだ。そこで出てくる言葉が、「ウチの魔女、美人ですね」ではとんでもない顰蹙を買うことになる。隣にいるトンランも、じぃっとフミオの方を薮睨みしていた。フミオはごほん、と咳払いをした。
「ええっと、そういえばこれって、魔女対魔女の戦闘訓練ですよね? 対隕石にはどんな効果を持っているんですか?」
ゲイボルグ隊三人を相手にして倒したサトミは、確かに優れた魔女ではあると思う。しかし、星を追う者が相対するのは、隕石であるはずだ。隕石は魔女に対して包囲殲滅を仕掛けてはこないし、ましてや電衝撃で攻撃してきたりはしないだろう。
ふむ、とルシエンヌは腕組みした。
「一つは、咄嗟の判断力とマナの制御を学ぶためだ。対人戦は考えなしでは勝利出来ない。星を追う者は、無為無策に目の前の隕石を砕いていれば良いというものでもないのだ」
星を追う者のオペレーションが破砕以外にもある、というのはフミオも知っていた。何もかもが予言士と予測士の言う通りになるならば、星を追う者は楽な仕事だ。それに従って、ほいほいと目の前の隕石に対して、あらかじめ決められた処置をおこなっていればそれで済む。
ところが現実というものは往々にして、そう上手くいくことばかりではない。何か予想しえない事態が発生した際に、その都度いちいち国際高空迎撃センターの司令部に問い合わせていては、星を追う者の任務は果たせない。
どのような状況であっても、冷静な判断を下すことのできる胆力に、魔力の制御。それがこの訓練を通して星を追う者に求められている素養だった。
「それからもう一つ。あまり良い話ではないが、これは実際に魔女を相手にする場合の戦闘訓練でもある」
「魔女を?」
ルシエンヌは暗い顔で、「そうだ」とうなずいた。ゲイボルグ隊も、トンランも表情を曇らせた。訊くべき話ではなかったのかもしれない。母星を守るために一丸となっているはずの魔女たちが、何故同じ魔女と戦うのか。
「ヤポニアではあまり知られていないかもしれないが、魔女が母星を隕石から守る際に、最大の障害となっているのは……実は、同じ魔女なのだ」
極大期の隕石の迎撃を魔女たちに一任してきたヤポニアでは、その辺りの事情からずっと取り残されてきた。黙ってお金だけ払っていれば、魔女の傘が勝手に守ってくれる。そういった姿勢であることは、魔女たちが何と戦っているのかについての無関心を生み出してしまっていた。
「我々が人類と共に母星を救いたいと願うのを、快く思わない魔女たちがいる。ここしばらくは大人しくしているが、彼女たちがいなくなったという話はついぞ聞かない。彼女たちが存続している以上、我々は警戒を怠る訳にはいかないのだ」
ワルプルギスの魔女たちは、皆一様に母星を守ることを使命だと口にしていた。それは、トンランからも聞いたことだ。国際高空迎撃センターは、そのために存在している。フミオはそれを、絶対の真実であるとして信じていた。
だがそれを、真正面から否定する魔女たちがいる。フミオは背筋がぞっとした。魔女たちは人間に対して友好的で、力を持つことへの責任感が強かった。それが崩れてしまったら、どうなるのか。
人間に対して敵対的で、無責任に力を行使する魔女。
「彼女たちはワルキューレと呼称されている。人類と魔女、共通の敵だ」
それは今の母星の在り方を脅かす――恐るべき『敵』だった。